自#683「緑茶がしみじみ美味だと味わえるようになった頃、日本の絵は、そう努力しなくても、向こうから見えて来ると思います」

  「たかやん自由ノート683」(自己免疫力29)

私が住んでいる団地は、私のような老人が多いので、市の公報カーや、警察のミニパトカーが、時折、やって来て、「特殊サギに、だまされないように、電話は留守電機能を、活用して下さい」と、警告しています。
 かなり前のことですが、自宅に特殊サギっぽい電話がかかって来て、受話器を取り上げて、応対していた私が、突然切れて「てめえ、誰だよ。どこの誰なんだ。住所を教えろ。今すぐお前のとこに乗り込んでやる」と怒鳴ったら、相手は慌てて電話を切りました。ここ、7、8年は、突然、切れたりといった現象は、もう起こさなくなりましたから(充分に年寄りですし、突然、切れたりしないように、脳細胞のどこかで、勝手にアレンジしているんだろうと推測しています)多分、10年くらい前のできごとです。
 この「ブチ切れ、尻(けつ)まくり応対」が、blackな世界の中で、shareされているのかどうかは、解りませんが、特殊サギ的な電話は、その後、一度もかかって来ませんでした。その代わり、特殊サギではない、単なるセールスの電話は、嫌というほどかかって来ます。かかって来る電話の9割以上が、セールスです。私は、セールスだと判った瞬間に「うっせえな。もう二度とかけて来るな」と、即座に切ります(あっ、全然、怒ってません。ただ、普通の人のように、丁寧じゃないだけのことです)。
 フルタイムの勤務をリタイアした後、「今後、1年間のみ、部活の運営やライブイベントなどについて、解らないことがあれば、電話をかけて来たら、アドバイスする」と、学校に残っている部活の幹部には伝えてありました。が、去年は、コロナ禍で、ライブは一切開催できず、部活も開店休業状態だったようです。最初の頃、何回か、電話がありましたが、その後は、連絡が来なくなりました。
 1年間が経過して、リタイアして2年目に入って、原則、もう電話には出なくなりました。9割以上がセールスの電話です。もし、どうしても必要な電話であれば、留守電にメッセージを吹き込む筈です。リタイア2年目からは、夜は、より一層、早く寝るようになったので、必要な電話がかかって来る頃には、もう私は寝てしまっています。で、留守電は、朝、仕事に行く前にcheckするようになりました。必要な電話であれば、時刻を指定して、またかかって来るであろうし、こちらからかけることもあります。
 非常勤講師が、生徒や生徒の保護者に直接連絡することは、100パーセント、ありません。そもそも、非常講師には、生徒のプライベートな情報は、一切、伝えられていません(フルタイムの正規の職員ではなく、単なるバイトですから当然です)。必要な連絡は、担任を通して伝えます。非常勤講師は、授業を受け持って、教えるだけです。これだけが仕事です。フルタイムの現役時代と比較すると、仕事量は、10分の1以下に激減しています。学校の先生方が、如何に雑務に追いまくられているのかということを、身を持って知ったってとこもあります。
 もっとも、私はバンドの部活のマネージメントを、自ら積極的にやっていました。以前、勤めていたJ高校には、バンドの部活は、存在してなかったのに、自らが苦労して、立ちあげました。バンドが好きで、バンドをやる生徒が好きで、ライブイベントが好きだったからです。雑務はどっさりありましたが(年に3回、自力で大会を開催していましたが、その事務量だけでも、膨大でした)自分が好きでやっていたので、苦にはなりませんでした。
 担任や顧問時代は、保護者との対応もあります。保護者と喋るのも好きでした。いろんな文化的な背景を持っている保護者と喋るのは、新しい発見もありますし、教えられることも沢山あります。電話で保護者と長話をするなんてことは、昔は、しょっちゅうでした。が、ケータイメールなどが普及して、保護者の方(ほう)が、電話が苦手になったらしく、イエ電にかけても、電話に出なくなりました。生徒のケータイにかけても、まず電話には出てくれません。この現象は、10年くらい前から、もう起こっていました。つまり、私は、10年遅れで、ようやく電話に出なくなったわけです。トレンドに乗り遅れ過ぎていたかもと、プチ苦笑してしまいます。
 考えてみれば、電話はなくても、別に困りません。どうしても、私に連絡をしたいのであれば、手紙を書いてくれたら、確実に届きます。時間はかかりますが、たかだか2、3日くらいのことです。緊急に今すぐ連絡しなければいけない、そんなemergencyな要件など、もうほぼ100パーセントないと、私は思っています。どうしても、緊急に連絡をしなければいけないのであれば、電報を打ってくればいいんです(電報制度は、まだ存在している筈です)。
 私は、鎌倉時代が、理想の生活です。「江戸から東京へ」の授業を受け持ってから、江戸時代の勉強を少しして、江戸時代も、まあ悪くはないなと思いましたが、鎌倉時代の方が、stoicで、自分の性分には合っています。鎌倉時代にも、江戸時代にも、電話は存在してません。ですから、電話はなくても構いません。
 電話は、留守電を聞くだけで、もう出ないと決めたので、隠居ライフは、より一層、軌道に乗って来た感じがします。隠居ですから、引退して、隠れて住むみたいなイメージです。「人生、百年時代」というキャッチフレーズを座右の銘にして、積極的、かつaggressiveに、ばりばり活動されて、社会のために貢献されている方も、いらっしゃると思いますが、私は、そんな殊勝なspiritは、持ち合わせていません。私は、もう充分に社会のために、自分の役目を果たして来ました。今後も、もしごく自然に、何ができることがあれば、多少、ボランティアっぽいこともしますが、基本、自分の趣味の世界に没頭します。
 年を取っても、マルチタスクを抱えて、八面六臂の活動をされている方は、立派です。私の先輩にも、そういう方がいました。ガンで余命、6ヶ月だと、宣告されてからも、自分のためではなく、周囲の人たちのために心を尽くして、活動されていました。尊敬はしますが、とても真似はできません。そもそも、私は、原則、もう病院には行きませんから、ガンで余命6ヶ月だと宣告されることもあり得ません。自分自身が、どうやら自分はガンだなと判断できたら、そのまま放置します。自分自身が気がつくということは、もう手遅れです。手遅れなのに、病院に掛かる意味はないです。死ぬということは、解りきっています。解りきったことを、考える必要はまったくないです。同じように、ガンだと解っていれば、もうガンについて、考える必要はありません。そもそも、鎌倉時代には、手術も、抗がん剤も、放射線治療も、存在しません。非常に少なかったんですが、ガンは存在していました。ガンの一番の原因は、やはりストレスです。
 今朝、紅茶を飲みながら、雪舟の四季山水図(山水長巻)を見ました。「山水長巻」とサブタイトルがついているのは、四季山水図では、どこが、どの季節に該当するのか、判別しにくいからかもしれません。若い人ですと、確かに、判別は難しいかもしれません。が、人生の場数を踏めば、自ずと見えて来るんです。外国の絵と、日本の絵との違いは、日本の絵は、人生の場数を踏んで、努力や苦労を積み重ねていると、向こうから絵が見えて来ます。外国の絵の場合は、こちらが努力しない限り、見えて来ません。これは、やはり、本質的な文化の違いです。絵も、古典も、若い頃よりは、歳を取った、今の方が、はりかにいろんなことが、解りますし、見えます。昔、年寄りが、歳を取るのも、別に悪くはないと、よく言ってましたが、まあ、その意味が、自分にも、どうやら、判るようになったわけです。  

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