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自#093|何もしないでおいて、運が降ってくるわけじゃない(自由note)

 報道カメラマンの千葉康由さんのインタビュー記事を読みました。千葉さんは、59歳。AFP通信の東アフリカ・インド洋担当のチーフフォトグラファーとして、仕事をされています。

 千葉さんは、小学校時代はインドネシアに住み、高校時代は、1年間、交換留学でアメリカで暮らし、武蔵野美術大映像学科を卒業された後、朝日新聞に入社しています。朝日新聞の松山支局で、1年目の修行をされます。取材先に何度も通って関係を築く、名前などの基本情報をきちんと確認すると云った、ジャーナリストとしての基礎を叩き込まれたと語っています。

 司馬遼太郎さんが、西域に行った時、写真を撮って、紀行文をお書きになっていました。ですが、どこで撮った写真なのか、時々、お忘れになってしまっています。いつ、どこで撮ったのかが、明らかじゃないと、写真は価値を持ちません。司馬さんは文章のプロですが、写真に関しては、初歩のノウハウも学習されてないと言えます。写真にだって、学んでおくべきベーシックな基礎・基本があります。いきなりフリーのカメラマンになるよりは、朝日新聞のような大きな組織で学んだ方が、確実に、漏れなく、基礎基本がマスターできます。

 朝日新聞は、5年ほどで退職なさっています。どこで何を撮るのかと云うことに関して、自由を得るためには、組織に属さず、フリーにならざるを得ないんだろうと推測できます。

 千葉さんは、今年度の「世界報道写真コンテスト」で大賞を受賞されました。日本人の大賞は、ベトナム戦争の報道で知られる沢田教一さんに続く41年ぶりの快挙だそうです。大賞を受賞された沢田さんの「安全への逃避」と云う二組の母子が川を渡って避難するsceneを撮った写真は、現在、世界史の教科書や資料集に掲載されています。ベトナム戦争と云うと、この写真だろうと誰しもが脳裏に浮かべる著名な作品です。

 今回、千葉さんが受賞された写真は、昨年の6月、スーダンのハルツームで撮ったものです。長期独裁政権がクーデタで倒れ、軍が実権を握ります。それに対し、文民統制を求める人々のデモが、起こります。電気もインターネットも遮断された厳戒態勢下で開いた集会で、少年が突然、群衆の中に躍り出て、詩の朗読を始めます。気迫ある声と真剣な表情。無数の携帯電話が少年を照らし、手拍子と合いの手の声が響く中、若者が自分の言葉で、未来を作ろうとしていると直観した千葉さんは、夢中でシャッターを切ったそうです。写真のタイトルは「まっすぐな声」。少年は、何かを誓うかのように胸に左手を当てています。その手が、力強く、大きく、写真を見ているこちら側に、飛び込んで来ます。周囲にいる少年達の手も、未来を紡いで行けそうなpowerfulで、逞しい手です。絵画では、レオナルドダヴィンチの「モナリザ」以来、手が描けているかor notかと云うことが、問われる訳ですが、この写真は、間違いなく手が撮れています。青いダンガリーシャツと、黒くてたくましい手とのコントラストが、強烈です。ケータイの灯りが写真に写っているのを、初めて見ました。ケータイの灯りは少年を照らしていますが、同時に、彼らの未来を照らしているようにも、見えます。闇の中に、光の洪水が、これから押し寄せて来そうな予感すらします。千葉さんが、この現場にいたのは、おそらく偶然です。が、その偶然を引き寄せる力が、おそらく千葉さんにはあります。

 ナイロビの街角で撮った千葉さんが写ったスナップも掲載されていました。街角と云う言葉を使いましたが、およそ日本のそれとは違います。人はいます。千葉さんが立っている傍には、髪をきれいなドレッドに巻いた青年が、野菜の選別作業をしています。フルーツを売っている女性もいますし、写真に写ろうとして、こちらに顔を向けているboy&girlもいます。千葉さんは、電柱によっかかりながら、カメラを持って、何か面白くて興味深い被写体が、ひょっこり登場してくれないかと、待っている様子です。

 朝日新聞に入社する前の1995年、ボランティアで阪神大震災の被災地に入ります。マスコミを追い払っていた男性が、震災の写真集を真っ先に買い、見入っている姿を見て、記録することの大切さを痛感されたようです。現在、AFPで仕事をされていますが、朝日新聞にとどまっていた方が、給料も福利厚生も、将来の生活も、すべての面において、恵まれていたとは思いますが、AFPですと、「世界に伝えます」と、言えます。実際、「まっすぐな声」は、間違いなく、ストレートに世界に伝わりました。世界中の人が、自分の写真を見てくれている、それは何にも代えがたい幸せであり、生き甲斐だろうと想像できます。動画を見るためには、ソフトも機材も時間も必要です。写真は、印刷すれば(いや印刷しなくて、ネットの画像でも)瞬時にshareできます。すぐれた写真が与えるインパクトは、超ド級だと言えます。

 私は、高1の時、W・ユージンスミスが撮った「水俣の母娘」と云う写真を見ました。一度見たら、一生涯忘れられない、強烈な写真でした。水俣病に関して、何の知識もなく、正直、関心もなかったんですが、一枚のすぐれた写真によって、私は、水俣病の本質を、直観しました。私は、大学を卒業して、公務員になりました。全体の奉仕者として、社会のために何かしたいと云う情熱は、それなりに持ち合わせていました。「水俣の母娘」のような現場が、待ち構えていたとしても、立ち向かっていけたと思っています。

 千葉さんは、ネガティブなことがあると、逆に発奮するタイプだそうです。
「写真を撮る時も、簡単にあきらめない。人に聞いて、情報を集める、予想して待つ。何もしないでおいて、運が降ってくるわけじゃない。探す努力のお陰で、運は何とか付け加わって来るものだと信じている」と語っています。つまり、いい写真が撮れる筈だと云うことを信じているんです。自分を信じ、自分の周囲を信じ、自分の仕事の正義を信じているからこそ、運は廻って来るんです。

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