自#347「花は桜木、人は武士で、ぱっと散ったりするより、70余歳まで生き延びて、老醜を晒した方が、人は、トータルとして、やっぱり幸せです」
「たかやん自由ノート347」
西鶴の好色五人女の巻①、お夏清十郎を読みました。清十郎は、酒屋(蔵元)の息子で、美男。金持ちの男前は、当然もてます。今だって、卒業式の日、制服のボタンを奪い合いになるような男子は、特定の誰かです。みんながみんな、公平に女子にもてるってことは、絶対にありません。もてる男子は、より一層もてて、複数の女子に慕われ、もてない男は、そこに存在してないかのごとくスルーされます。経済と同じで、勝ち組、負け組の区別は鮮明です。今も昔も、恋愛は不平等なものですが、江戸時代は、一般の女性が、自由に恋愛できるわけではありません。恋愛が自由なのは、遊女だけです。
遊女たちは、真心を示すために、誓詞を書いて送ります。それに爪を剥(は)がして添えます。爪を剥がすのがどれくらい痛いのか、やったことがないので判りません。剥がした爪痕から、しばらくは血があふれ出る筈です。大象もよく繋がると言われている髪も、ばっさり切って、好きな男にプレゼントします。袋or箱を開けてみたら、長い、ふさふさの黒髪が、入っていた。「うわぁー、めっちゃ嬉しいんだけど」ってことには、多分、ならないと思います。
高1の時、寮の同じ部屋のA先輩に「ニシ、ちょっと来てくれ」と呼ばれました。Aさんの机のとこに行くと、机の上に菓子箱が乗っています。「蓋を開けて、中を見てくれ」と言われました。「先輩、オレは、菓子は食べませんよ」と言いながら蓋を取ると、菓子箱の中に、まるでヘビがとぐろを巻くように、黒髪がとぐろを巻いていました。「さすがに、これは食えないでしょう」と言うと「当たり前だ」と、先輩は不機嫌な返事をしました。A先輩が、つきあっていた女の子と別れて、その女の子が「記念」に送って来たのだそうです。「形見ですか。ヤバいっすね」と軽口を言うと「バカ言うな」と、さらに不機嫌になりました。「が、まあ先輩の青春の思い出の宝物として、大事にすればいいんじゃないですか?」と、私は人ごとなので、無責任に言い放ちました。「気味が悪いじゃないか」と先輩は困っています。「そうですね。夜中にこれが箱から這い出して来て、先輩の首を絞めたりしたら、さすがに怖いかな・・・みたいな」と、さらに調子に乗って言うと、「冗談でもやめてくれ」と、先輩は弱り切っていました。私は、仲の良かった伯母に、この黒髪とぐろ事件を、話しました。そうすると、伯母は「きれいな長い髪だったら、美容院が買い取ってくれる」と、私に教えてくれました。そのことをA先輩に伝えました。先輩が、黒髪をその後、どうしたのか知りません。A先輩がまだ生きていて(それすらも判りません)あの黒髪を、大切に持ち続けていたら、それはそれで、美談かなとは思います。
清十郎が、揚げ屋で、遊女たちと酒池肉林の狂宴をしているとこに、父親が踏み込んで来て、「勘当だ」と、申し渡します。この瞬間、清十郎は、金持ちのボンボンではなく、ただのヤサぐれたニートになってしまいました。金の切れ目が、縁の切れ目で、揚げ屋もはやく出て行けと言わんばかりに、サービスが悪くなり、遊女たちも引いて行きます。が、清十郎に惚れていた皆川という遊女が、白装束に着替えて、清十郎の前に飛び出して、「さあさあ、今ぢゃ」と剃刀を二本持ち出します。お互いの首の大動脈を剃刀で切って、心中すれば、このドタバタ劇の幕はすーっと引かれます。が、間一髪、周囲が止めに入って、二人は引き離されます。皆川は、引き離された後、一人で自害しますが、清十郎は、死に後れます。
清十郎は、その後、姫路の但馬屋の手代として働きます。そこで、但馬屋の主人の妹と、相思相愛の中になります。が、自由恋愛は許されません。親の承諾が必要です。勘当されている清十郎には、結婚をする資格がありません。男女の関係を持つことも、容易ではありません。花見のイベントの折、みんなが神楽や獅子舞を見物している時、「かかる時、早業(はやわざ)の首尾もがな」と、幔幕の陰で待ち構えていたお夏と、清十郎は、男女の契りを交わします。速いです。秒orマッハのSexです。女にもてる男は、Sexの濃さ、薄さ、長さ、短さなどを、自由自在に使い分ける必要があります。
で、二人は駆け落ち。駆け落ちは、最悪、死罪です。駆け落ちなんて、普通の人の人生では、絶対にあってはならない、超ド級の波瀾万丈のドラマです。二人は、船に乗って、大阪に逃げようとします。が、状差しを宿に忘れたまぬけな男のために、船は港に引き返してしまい、二人は追っ手につかまります。清十郎は、座敷牢で拘束。お夏は禁足。たまたま同時に、但馬屋で金子700両が紛失した事件が起こって、清十郎はこの700両窃盗の犯人にされて、結局、死罪。700両は、その後、車長持ちの中から出て来ましたから、完全な冤罪です。が、まあ駆け落ちをしたとことが、そもそも、大罪です。
里の子供たちは、「清十郎殺さば、お夏も殺せ」と、はやし立てて歌います。駆け落ちの男を殺したんだから、女も殺せと言う意味です。単純な善悪の観念しか持てない子供たちは、残酷です。が、お夏も自らこの歌を歌って、守り脇差しを抜いて死のうとします。まあ、普通は、脇差しとか、ハサミとかを、お夏の周辺には置かない筈です。ウツの子供が、いつ死ぬか判らないと戦々兢々としている家族は、ハサミや包丁などは、ことごとく隠している筈です。お夏は、自害を止められ、出家を勧められます。
罪人の墓を作ることはできませんが、周囲の人が哀れんで、屍を埋めた所に、松と柏を植えて、清十郎塚と名付けます。お夏は、尼になり、清十郎塚を守りながら、無量寿経なり大日経なりを唱え、中将姫の再来などと言われながら、生涯、殊勝に過ごしたってことになっています。西鶴の好色五人女は、実話に基づいた物語です。今でしたら、駆け落ちで生き残れば、その体験を赤裸々にプレゼンすれば、You Tubeで、一回はバズると思いますが、昔ですから、浮名を流した女のその後の人生は、針のむしろです。更生をし、復活を果たすことは不可能です。お夏の両親が生きていた頃は、実家でひっそりと暮らして、両親が死んだ後は、備前に行って、茶店を出して、茶店の婆さんとして、70余歳まで生きたそうです。まあ、確かに、このヘンがリアルだろうなと、納得できます。