自#551「アイデンティティを失わないことは、大切です。借りものの拵えたアイデンティティでは、人を動かすことはできません」
「たかやん自由ノート551」
京都精華大学学長のウスビサコさんのインタビュー記事を、アエラで読みました。日本で初めての、アフリカ出身の学長です。京都精華大学は、ストーリーマンガのあの竹宮恵子さんが、学長を務めていたこともありました。竹宮恵子さんは、斯界(しかい)の大御所です。私が高校生の頃、月刊少女コミックの御三家は、竹宮恵子さん、萩尾望都さん、大島弓子さんの三人でした(私個人は、大島弓子さんが一番好きでした)。
京都精華大学は、2006年、マンガ学部を設置しました。これが、ポップカルチャー学部の嚆矢(こうし)でした。その後、メディア学部などは、次々と、東京でも登場しましたが、マンガ学部といったそのものズバリのネーミングの学部は、見かけません。今でも、京都精華大学のみが、唯一、マンガ学部を名乗っています。
京都精華大学のマンガ学部に進学しようかと考えていると、マンガ・アニメ系の女の子が相談に来たことがあります。クラス担任でしたら、「秒」で返答できます。担任クラスの生徒でもなく、教科を教えてもいなくて、部活でも関わりのない、ただ進路の相談で、進路担当の私のところに来ただけという生徒に対しては、そう簡単に、軽々しく返答をすることはできません。
私は多少、タロット占いができます。「じゃあ、カードを並べて、ちょっと将来を見てみようか」と言いたくなってしまいます。実際に、やったことはありませんが、「カード師」のように、何回か来てもらって、カードを並べながら、相手の反応を窺い、生徒の人となりを見極めた上で、アドバイスをした方が、学籍簿の担任所見欄などをcheckしたりするよりも、より正確な判断が下せそうな気がします。国分寺の駅ビルの上で、ブースをレンタルして、受験専門のタロットカード占い屋を開設した方が、非常勤講師よりも、はるかに収入は得られるかもと、思ったりもします。
相談に来た彼女は、普通だったら、東京の専門学校のマンガ科に進学します。それは、まあ普通だし、日常の続きです。京都精華大学のマンガ学部に進学すれば、いきなり非日常の世界に投げ込まれてしまいます。京都精華大学は、岩倉にあります。そのロケーションでしたら、叡山電鉄の奥の貴船とか鞍馬あたりで、一軒家を借りて、仲間たちとshareして、共同生活をしながら、大学に通うことも可能です。東京での高校生活とは、まったく違います。コペルニクス的転回を経て、異次元の世界に突入できます。鞍馬寺付近の廃屋に近い(無論、家賃はタダ同然です)一軒家に代々住む、ちみもうりょうに取り囲まれて、仲間たちと、わきあいあいと青春を謳歌する、考えただけでも、fantasticで、酩酊できそうな気がします。
昔からの京都人は、diversityに富んでいるとは言えません。「ぶぶづけでも、どないだす?」的なおばさんだらけです。が、京都に集まって来ているよそ者は、明らかにdiversityに富んでいます。日本で一番、プログレッシブな大学は、まあ今でも、京都大学だと思いますが、京都にはプログレッシブで、革新的なエートスが、間違いなく存在します。
将来、マンガを描くとして、日本の風景をきちんとsceneの中に取り込みたいと考えるのであれば、京都の田舎で、生活しておいた方が、断然、有利だと言えます。都会生活のディティールを描きたいのであれば、東京暮らしの一択です。
ところで、ウスビサコさんは、アフリカのマリ出身です。父親は、税関で働く国家公務員だったそうです。専業主婦の母親、妹、弟の五人家族だったんですが、サコさんの家には、常に30人くらいの人がいて、同じかまどの飯を食べていたそうです。国家公務員の一人の給料で、30人を養うことは、多分、できません。30人と5人、つまり35人が、寄り添って、お互いにサポートし合いながら、何やかや上手にやり繰りをしていたんだろうと推定できます。
昔、井の頭公園の傍の6畳2間、キッチン、庭付きのコーポに住んでいた頃、20人くらいのパーティを、時々、やってました(この頃はまだ、夫婦二人と長男の三人家族でした)。部屋に入り切れないので、庭にブルーシートを敷いて、座ったりしていました。もし、オールになって、全員が、泊まって行くと言い出したら、何とかしなければいけません。が、どうにかなるなと思いました。布団は、無論、人数分、あるわけではありませんが、人間は、どんな風にしても、過ごせます。環境ではなく、人間の方が、柔軟で多様性があります。押し入れに折れ重なって、3、4人が寝ることだって、やろうとすれば、可能です。
自分の家に常に30人が居候をしていた、その状態を、サコさんは、京都でも再現しようとしています。30人は、物理的に無理でも、サコさんの家には、教え子や教え子の友だちなどが、常時、7、8名くらいはいるだろうと、文面から想像できます。京都精華大学には、マンガやアニメを学ぶために、中国、韓国、台湾などアジア圏を中心に、多数の留学生が集まって来ています。当然、サコさんの家に居候している若者も、diversityに富んでいる筈です。
サコさんは、子供の頃、厳しい叔母の家に預けられて、6年間、水道も電気もない生活をしたそうです。朝起きると、井戸から水をくみ、薪で食事の用意をします。私は、若い頃、禅寺で、坐禅をやりました。坐禅のメリットというものは、無論、存在します。それ以外に、鎌倉時代を体験できるということが、坐禅修行の大きな利点です(今もそうなのかどうかは分かりません)。坐禅の修業をする空間には、電気もガスも水道もありません。法令で義務づけられているので、火災報知器のみ設置されています。唯一、これが文明的な機器です。水を井戸で汲んで、薪でご飯を炊きます。夜の灯りは、ローソクです。それも、もったいないので、月や星の光を頼りに、坐禅をします。満月の夜が、どれだけ明るいのかということは、電気のない空間で生活しない限り、分かりません。
Spare the rod and spoil the child. 甘やかされて育った子供は、大人なると、結構、どうにもならなくなります。少々、性格は歪(ゆが)んでも、厳しく鍛えられた方が、その後の人生を、逞(たくま)しく切り開いて行くことができます。厳しく鍛えられたサコさんは、母国、マリを離れ、中国で学び、その後、日本にやって来て、マリ人としてのアイデンティティを失わず、周囲に刺激を与え、日々、powerfulに生活されています。学長就任以来、分刻みのスケジュールで、講演や執筆、授業などをこなしているそうです。学長になって、授業を受け持つのは大変ですが、現場から離れたら、若者のリアルが見えなくなってしまいます。睡眠は、毎日、3時間だそうです。現在、55歳。50代だから、頑張れるってとこはあるなと、私も自分の過去を振り返って、思ってしまいました。
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