自#572「昔のことを語るのは、年寄りの役目だと思っています。ちゃんと聞いてもらえるように、ネタをきちんと整理しておく必要は、やっぱりあります」

          「たかやん自由ノート572」

 毎週、火曜日or水曜日のどちらかの午後、エドトー(江戸から東京へ)への授業の予習をしています。エドトーは、つまり日本史です。日本史の資料は、自宅にはアート関係以外は、一切ないので、休日に自宅で教材研究をすることは不可能です。毎回、社会科準備室で、資料を見ながら、次回教える(2日後か3日後です)単元をノートに整理しています。前日に予習をせず2、3日前に準備をするのは、2、3日、寝かせておくためです。2、3日寝かせて、教える当日の朝、整理してあるノートを見ると、何を省くのか、どこにポイントを置けばいいのかが、瞬時に判別できます。人類が歴史というものを発明したのは、時間が経過すると、何が大切で、何が大切でないかが、判別できるようになるからだと、想像しています。
 予習のために使っている主なツールは、インターネットではなく(私は原則、ネットは使用しません)吉川弘文館の日本史の辞書です。高2の時、世界史を、旧制高校から、京都帝大に進学された碩学のM先生に教わりました。これだけの高学歴の先生は、田舎の県立高校には、まずめったにいません。この碩学のM先生は「世界史も英語や国語と同じだ。解らない言葉があったら辞書を引きなさい。大百科事典とかが、自宅にあれば、それでもいいが、百科事典を引くのは手間がかかる。世界史の用語を調べるのは、これでいい」と、紹介してくれたのは、山川出版の世界史小辞典です。私は、即座にこの小辞典を購入しました。LP一枚分くらいの値段でしたが、LP一枚より、はるかに付加価値があると直観で理解しました。
 自宅に百科事典は、もちろんないので、図書館のレファレンスコーナーに置いてある百科事典を使って、世界史のおさらいなどをしていました。百科事典を引く楽しさというものを、高2で初めて体験しました。ただ、まあ全部で25、6冊くらいはあるので、用語を引くのに手間ヒマはかかります。将来、万一、購入できるchanceがあったとしても、百科事典を置くスペースはありません。これまでの人生で、私は一度も、大百科事典を所有したことはないです。
 高2の夏、古本屋で、平凡社の三巻本のミニ百科事典を見つけて、それを購入しました(LP 2枚分くらいの値段だったと思います)。その三巻本のミニ百科事典を、その後、ずっと火災に遭うまで、使っていました。便利でした。三巻くらいでしたら、手元に積み上げておいて、即座に引けます。もしこの平凡社のミニ百科事典が古本屋に廉価で販売されていたら、買う気持ち満々ですが、残念ながら見たことがありません。百科事典という言葉がもうほぼ死語に近いですし、現物もさほど残ってないだろうと想像できます。
 今私が、利用している日本史の辞書も、全部で20冊くらいはあって、引くのは多少、面倒なんですが、手元に置ける小辞典とは、情報量がまるで違います。内容を理解するだけであれば、山川の日本小辞典で充分です。が
It is one thing to know, quite another to teach.
自分が知っていると言うことと、教えることは、まったく別のことなんです。1を教えるためには、10を知っておかなければいけないと、言われています。それは、望ましいことかもしれませんが、10も知ってしまうと、教える焦点がぼやけてしまいそうです。そういうことではなく、教える内容以外のプラスαの何かが、身についてないと教えられません。そのプラスαというのは、その教える用語なり人物なりのイデアのカケラのようなものです。つまり本質のカケラです。音楽にまったく感動しない人が、音楽を教えることは不可能です。私は、アートに感動できるので、アートを教える自信があります。教える人物なりイベントなりが、自己の琴線に触れなければ、それを熱く語ることはできません。人物やイベントが、多少なりとも自己の琴線に触れるためには、やはり、手間ヒマはかかるとしても、大きな辞書を引く方が、手っばやいと言えます。
 日本史の知識がすかすかの私は、一つの用語を辞書で引くと、その中に、10個くらい、よく知らない用語が出て来たりします。その10個の一つを調べると、またしても、10個知らない用語が記載されています。知らない用語、調べなければいけない用語が、等比級数的に増えて行きます。
 ニュートンは、自分がやっていることは、海辺の砂浜のひと粒を調べているようなものだと、言ってました。途方もなく広大な未知の世界が、ニュートンを取り囲んでいたわけです。これが、人間が置かれている実状です。そこら中、未知のものだらけなんです。が、人の人生には限りがあります。
 知らない用語が10個出て来たとして、これだけは知っておかないと、パズルが解けないと思われる一個のみ選び出して、調べます。そこでまた10個出て来ても、それはスルーします。こういうことを繰り返している内に、10個の内、どれが一番大切なのかを判別する、リテラシー能力が、次第に身について行きます。私は、アートに関しては、多少、座学でも学びました。やはり、こういう風にして、何が大切で、何をスルーしていいのかを、少しずつ学習して来たんだと、自分では思っています。
 私が今、使っているのは、昭和60年くらいに出版された辞書です。ですから、ここ35、6年のことは掲載されてません。が、ここ35、6年とかの最近のできごと(還暦を過ぎると、35、6年なんて、結構、短くて、ここ最近とかと普通に言えるようになります)は、歴史とは言えません。ワインだってウィスキーだって、ちょっと高級なものは、ここ35、6年くらいは寝かせています。まあ、百年くらい寝かせて、ようやく歴史として定着するんじゃないかと、私は想像しています。ですから、20世紀の功罪はまだ判別できない気がします(今のとこ20世紀は、二回の大量殺戮戦争をやってしまったので悪者ですが、そういう見方だけでは、人類は前に進んで行けないと推定しています)。
 私が今教えているのは、江戸時代の終わりあたりです(ミレーがバルビゾンで「種まく人」を書いていた頃です)。3学期の最後まで教えても、明治の終わりあたりまでしか辿り着けません。が、「江戸から東京へ」は、江戸が如何にして東京になったのかを伝える教科ですから、明治の終わりまで行けば、おそらく目的を果たしたってことに、多分、なります。
 明治は遠くなりにけりですが、私の祖父や大伯父たちは、みんな明治の人でした。小学生の頃は、日露戦争の忠霊塔の前で、よく黙祷をしました(先祖が日露戦争で戦死しています)。明治を、多少なりとも私は、リアルに知っています。多少なりとも知っているのと、まったく知らないのとでは、天と地の違いがあります。若い頃、先祖の墓を調べたことがあります。文化文政あたりまでの墓を確認することができました。江戸時代のイデアに、多少、触れたような思いがしました。昔のことを語るのは、年寄りの役目だと思っています。エドトーを教えることになったのも、何かの縁だって気もします。

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