自#508「子供の頃は、やっぱり善です。大人になると、善悪込み込みです。何故、こうなるのか、教育の現場に37年間いても、つかめません。高校を卒業して、一気にいろんなことが、押し寄せて来るってとこは、まああります」

          「たかやん自由ノート508」

 ティツィアーノは、パウルス3世の孫のラヌッチョファルネーゼの肖像を描いています。ラヌッチョは、十歳。ローマの名門貴族、ファルネーゼ家のお坊ちゃんで、利発そうで、気品のある、高貴な顔立ちをしています。赤いサテンの衣服を着て、マルタ十字章のついた黒のガウンをまとい、剣を帯び、右手に皮の手袋を持っています。マルタ騎士団の正装です。十歳の男の子でも、制服を着ていると、凜々しくて、男ぶりは150パーセントくらいは、upするなと思ってしまいます。
 名門のお坊ちゃんだから、いい顔をしてるってことではないです。ムリリョが描く、貧しい家の子供だって、子供らしい、無邪気ないい顔をしています。何日か前に、教え子が、3歳の息子が、床に座ってぐずり込んで、泣いている姿を、絵に描いて、メールで送ってくれました。お母さんの子供に対する愛情が、絵に溢(あふ)れています。この子供も、教え子のファミリー全体も、happyだなと直観しました。
 子供だけが写っている年賀状を送って来る教え子がいます。年賀状というのは、一年一回、お互いに元気で生きているということを、確認し合う作業のようなイベントですから、子供だけが写っている写真よりも、家族全員の集合写真の方が、望ましいです。それと、写真で、子供に対する愛情を表現することは、普通の人にはできません。写真を通して被写体への愛情を表現できるのは、ごくごく限られたプロのカメラマンのみです。オリンピックの頃、スポーツ選手の写真を、新聞や雑誌で沢山見ましたが、写真を通して、そのスポーツへの愛が表現できている写真家は、まずいないと感じました。一枚の写真では表現できないので、動画を撮るというトレンドになって来ているんだと、想像しています。
 10歳のラヌッチョファルネーゼの肖像を見て、小学校の先生とかも、いろいろ楽しそうだと思ってしまいました。が、小学校のガキんちょというのは、とんでもなくわさわさしていて、何かの拍子に蜂の巣を突っついたように、騒がしくなりそうです。小学校の先生とかもいいかなと、一瞬考えた夢想は、瞬時に打ち消しました。子供は、残酷で思いやりがなく、わがままで自分勝手です。でも、善です。一流の画家は、子供の善の部分を、きちんと引き出して来て、それを巧みに表現します。餅屋は餅屋だと、痛感します。
 大人も善だと信じたいですが、この歳まで生きて来て、大人は善悪込み込みだなと、客観的に理解しています。人間は、弱い生き物です。その弱い部分に、悪が忍び込んで来ます。いったん悪が忍び込んで来ると、その悪が、自分を強くしてくれるかのごとく、錯覚します。メフィストフェレスの威を借りた、ファウスト博士になってしまうんです。ファウスト博士は、中世の伝説的人物ではありません。21世紀のリアルタイムにだって、そこら中に、ファウスト博士は、存在します。ゲーテの「ファウスト」は、もっと普通に読まれて、しかるべき名著だと思います。
 ラヌッチョには、二人、兄がいます。アレッサンドロとオッタヴィオの兄弟です。この二人と祖父のパウルス3世の三人の集合肖像画も、ティツィアーノは描いています。アレッサンドロが長男で、オッタヴィオが次男です。長男は、イタリアルネサンス期という嘘と虚飾が巷(ちまた)に溢れていた時代であっても、甚六っぽいです。「まあ、こいつはカモだな」と、詐欺師にすぐに目をつけられてしまいます。次男のオッタヴィオは、この肖像が描かれた時は、まだ22歳ですが、すでに海千山千です。
 学校の教師には、海千山千なんて人は、まずいません。だいたいみんないい人です。騙されるか、騙されないかという言い方をすれば、騙されるタイプの人たちです。人を騙すだけのpowerと人間力を、学校の教師は、基本、持ち合わせていません。が、音楽業界には、海千山千は、いくらでもいます。うかうかしていると、勝手に利用され、騙されてしまいます。海千山千のちみもうりょうの人たちとのお付き合いは、楽しかったです。音楽業界の人たちとのお付き合いがなければ、教師の仕事がマンネリ化して、のんべんだらりんの最後の10年間だったと想像できます。音楽業界には、ちみもうりょうが蠢(うごめ)いているんですが、みんな音楽が好きなんです。一度、あの世界に入ったら、そう簡単には、抜け出して来れないなと思ってしまいます。
 22歳の名門の貴族の子弟が、海山山千のヤバい人間にならないと、生き抜いて行けない、それがルネサンス期のローマやフィレンツェです。ヴェネツィアの方が、権力の中枢から遠いだけに、もう少しのほほんとしてるかもという気はします。パウルス3世にも、強烈な目力を感じます。教皇というのは、権力闘争を勝ち抜いて来て、てっぺんを極めた人です。王侯諸侯のように、血縁と家柄だけで、上に行けるわけではありません。権力闘争を生き抜くだけの、powerと、知性と、ずる賢さ、人間力が必要です。
 ティツィアーノは、神聖ローマ皇帝のカール5世の肖像も描いています。そうは言っても、教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)は対立していた筈です。が、ラファエロ、ミケランジェロ亡き後のイタリアのNo1の画家は、ティツィアーノなので、テッツィアーノに肖像画を描いてもらうことは、誰にとってもステイタスなんです。ティツィアーノは、顧客が納得するような絵を描きます。ルネサンス期の三大巨匠は、純粋なアーティストですが、ティツィアーノは、アーティストとビジネスマンの両方の才能を兼ね備えています。ローリングストーンズのミックジャガーは、白人のVoのなかでは、一番歌が上手いと、私は思っていますが(無論、ミックジャガーが若い頃の話です)VoがNo1なのに、ビジネスマンとしても、超一流の人なんです。ローリングストーンズには、専属のマネージャーはいません。マネージャーなしで、60年間も、ミックジャガーは、バンドを引っぱって来たんです。GAFAのCEOレベルのビジネスセンスだと、私は想像しています。天は、二物を与えるというrareケースも、時にはあるわけです。
 カール5世とパウルス3世を較べると、目力はパウルス3世の方が上です。神聖ローマ帝国は、神聖でもないし、ローマでもないし、帝国ですらなかったと、後の歴史家に揶揄(やゆ)されましたが、寄せ集めのそう安定もしてない基盤に立って、カール5世は、内憂外患に、いっぱいいっぱいの状態で、対処していたんです。そういうカール5世の苦労や苦悩を、ティツィアーノは、きちんと表現しています。三大巨匠亡きあとのイタリア画壇を、ティツィアーノは、きっちりと背負っています。
 カール5世の政敵のザクセン選帝侯の肖像も描いています。ザクセン選帝侯も、カール5世やパウルス3世同様、ヤバい感じです。そのヤバさの種類は、三人とも、違います。それをきちんと説明できるだけの知識も、感受性も、残念ながら私は持ち合わせてないです。ただまあ、三人の中で、友だちとして、フレンドリーに付き合えるのは、ザクセン選帝侯だけだなとは、思います。

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