自#103|スキューバーやっておけば良かった(自由note)
脳科学者の中野信子さんと、内田也哉子さんが対談された記事を読みました。たとえ対談であっても、文字に起こして、紙ベースの文章になっていれば、文章を通して、その方の人となりは、私なりに理解できます。内田さんは、他人に気配りできる優しい方です。中野さんは、スキルとして、気配りはできますが、本来は、優しくもなく、気配りもしたくないと云う一匹狼的な、鎧(よろい)の下が、ちらちら垣間見られるような気がします。中野さんは、ストレートでまっすぐなんですが、御自分の発言は脳科学の教養で補強されています。何かcoreになる教養を備えていると、説得力は、一気に高まります。中野さんは、エリート型ではなく、非エリート型の現代の論客だと、私は思っています。東大の博士課程を修了されていますが、高学歴=エリートではありません。中野さんは、いい意味の非エリートのたたき上げの話の分かる、カウンセラーのお姉さんと云うイメージです。一家に一台ではないですが、各学校に一人、中野さんのようなカウンセラーさんがいてくれたら、学校生活は、colorfulで、varietyゆたかな、心地良い空間に変貌するんじゃないかと云う夢を見させてくれる、魅力的な女性です。
中野さんは、テレビで大活躍されていますが、テレビは、仕事がなくて、スキルがないので、出演したと仰っています。テレビには、才能ゆたかな方が、沢山、出演されていますから、全体を統括し、仕切るスキルがあれば(それは中野さんにはありそうです)出演者とともに、happyな時間をshareできそうです。
孤独が好きな方と、集団の方が安心できるタイプと、大きく区分できて、生後6ヶ月~1歳半の1年間で、この2タイプは、ほぼ決定されてしまうそうです。傍にあったかい、優しいお母さんがいれば、集団で安心できるタイプになるし、or notであれば、孤独型になる、おおよそ、そういった意味のことを、中野さんは仰っています。集団で過ごすことには、メリットがあります。キャラバンで、大集団になるのは、外部から身を守るためです。が、大集団になると、自分の利益率は逓減します。単独で行動した方が、取り分が多かったりします。集団で過ごすのも、ソロで過ごすのも、どちらも一長一短あります。状況に応じて、使い分けられるのがbestですが、幼児期の時に、決定されてしまうと、大枠は動かなさそうです。
中野さんは、明らかにソロタイプです。が、テレビで大活躍されているので、当然ですが、ストレスは大きい筈です。休日はスキューバーダイビングをしているそうです。世界には、美しい海が沢山あります。メキシコのカンクンのセノーテと云う地区の洞窟には、石灰岩で濾過された水が溜まっているから透明で、100メートル先まで見えるそうです。沖縄も宮古島あたりまで行くと、幻想的な海底が見えるようです。マンタが泳いでいて、光合成をして泡を出す植物が、海底に生えています。そのシュワーと云う泡が、とてもきれいだそうです。エビがヒトデを食べたり、イソギンチャクがクラゲを食べたりしている捕食シーンも、見ることができます。スキューバーは、間違いなく、一人になれる崇高なまでのソロの時間です。
中野さんは、自分には一人になる時間が、絶対に必要だと仰っています。私も、30歳くらいまでは、人間は、誰でもそういう存在だと思っていました。が、30歳を過ぎてから、孤独が絶対に必要な人と、or notな人がいると云うことを知りました。つまり本来、孤独型の人は、努力して人と合わせているので、時々、どうしても一人になる時間が必要なんです。集団で安心できるタイプの方は、孤独な時間がなくても、普通に過ごして行けます。
対象の状況を客観的に理解する脳のDLPFC(背外側前頭前野)と云う領域が完成するのは、30歳くらいだそうです。脳のOFC(眼窩前頭皮質)と云う共感の領域も、やはり完成するのは30歳頃です。状況を把握できて、他人に対する思いやり、気配りができるようになる、孔子は、三十にして立つと言いましたが、そういう段階に到達して、はじめて而立することができると云う風な言い方もできそうです。
中野さんは、不倫に関しても、割とぶっちゃけな、身もふたもないことを、仰っています。不倫をするのは、AVP(バソプレッシン)と云う不倫遺伝子があるからで、DNAレベルで云うと、たった一文字違うだけだそうです。
種の保存と云う観点に立つと、子供は沢山生まれた方が、種にとっては有利です。ですから、種の保存の原理に基づいて、男たちは不倫をすると云う考えもなりたちます。それが、種の本来のあり方だったからこそ、モーセは、十戒の中で「汝、姦淫するなかれ」と、大きく枠を嵌(は)めたんです。そういった、人間としてまさにあるべき倫理的な枠を嵌めることは、宗教の大きな役割だと言えます。
中野さんは、「語らいが深くなると、スキューバーに似た心地良さがあります」と語っています。これは、なかなか、意味深な、深い発言です。私は、愛娘のK子と一緒にいる時は、まったくストレスを感じません。自分一人でいる時と、同じように過ごせます。娘が小学生の時、週三回、ソロバン塾の迎えに行きました。自宅まで、20分くらい、歩いて帰ります。お互い、何か喋りたいことがあれば、喋ります。月が出ていたら、どっちかが、「月がきれいだね」と言います。「そうだね」と返します。その後が沈黙でも、気まずくはならないんです。自分一人でいる時と、同じ状況です。娘が、いきなり学校であったことを喋ったりします。「ふーん、良かったね」と、私は相槌を打ちます。お互い、喋っても、喋らなくても、naturalで、気まずさのかけらもない人間関係は、二人で森を歩いていたり、海の底に潜っていたりするのと、ちょっと似てるかもと、中野さんの発言を聞いて、思ってしまいました。
もっとも、私は、素潜りはやったことがありますが、スキューバーは未経験です。素潜りは、呼吸の苦しさとの闘いです。スキューバーの方が、断然、楽しそうです。30代の前半、スキューバー系のウィンドブレーカーを好んで着ていたんですが、あの頃、やってやおけば良かったと、a little、思ったりはします。
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