自#486「オリンピックは楽しかったです。スポーツ好きの女房と、いろいろスポーツの話ができただけでも、今年のオリンピックは、有意義でした」
「たかやん自由ノート486」
オリンピックが閉会して、夏休みが半分終了しました。今年の夏休みは、以前にも増して、冷房を遠ざけるように心がけています。電車の冷房は逃れられないので、弱冷房車両の入り口の扉付近に立っています。電車に乗っているのは、往復で20分くらい。そう長い時間でもないです。学校は、職員室の私の机の位置が、ちょうど冷房の強く当たる場所なので、ウィンドブレーカーの下にコーデュロイの厚いシャツを一枚着て、冷房対策をしています。もっとも、授業用のプリントを作成する時しか、職員室は利用しません。パソコンの使用は、一日、最大90分間と、Maxの使用時間を決めています。このnoteの原稿をパソコンに打ち込んで、更正し、upするのに60分間くらい使用します。ですから、学校のパソコンは、最大30分しか使いません。職員室の滞在時間は30分以内です。社会科準備室の冷房は、何故かさほど効いてません。多分、壊れているんだろうと推定できます。冷房嫌いなので、壊れているエアコンを、素直に歓迎しています。
学校の図書室、武蔵野市の図書館、本屋(吉祥寺Junk堂)などは、冷房を避けるために、夏は出かけません。雑誌は、国分寺駅のキヨスクで買っています。井の頭通りにある西日の当たる古本屋には、週末の夕方出かけます。外の百均コーナーの棚のみcheckします。夏の強烈な西日が当たっています。当然、本は傷みます。が、日が当たって、少々、傷んでも、湿気た本よりはいいです。湿気た本は、ページが捲れなかったりします。一冊百円の本を購入する時は、店に入りますが、短時間なので、冷房はさほど気になりません。 緊急事態宣言が発令されて、不要不急の外出は控えるように、毎日、武蔵野市の広報車が回って来て、アナウンスをしています。私は、週末に吉祥寺の古本屋に行く以外は、不要不急の外出はしてません。どうしても必要な文房具があります。noteの下書きをするためのKokuyoのB-5版原稿用紙と三菱のペン、それとパイロットのボールペンです。この三つは、緊急事態宣言が発令される前に、大量にまとめ買いしました。向こう3ヶ月分くらいは、stockがあります。
以前は、印刷機のインクと印字する紙も必需品でした。が、夏休み前、印刷機がインクを認識しなくなりました。女房は、もう5、6年前に、年賀状をパソコンで印刷することをやめています。印刷機を使っているのは、私だけです。noteの下書きの原稿を書いて、パソコンに打ち込み、それを紙ベースでプリントアウトします。そのプリントアウトしたものを、赤のボールペンを使って更正し、パソコン内で文章を直します。今から、40年前に、シャープの書院を購入してから、ずっとこの方法で、プリントを作成して来ました。ですが、印刷機が壊れたことによって、紙ベースに頼れなくなりました。紙にプリントアウトせず、パソコンの画面上で、いきなり更正します。誰もがやっていることだと思いますが、私は、今年の夏休みから、ようやくこの新方式に切り換えました。紙を使わないというすっきり感はあります。更正も短時間で済むようになりました。紙ベースに頼らなければ、こんなに便利なんだと、ちょっと目からウロコが落ちたような気もしました。
紙ベースにして、それを2、3日、机の引き出しに入れて寝かしておくと、単なる誤字脱字だけでなく、文章そのものも手直ししてしまいます。その更正したものをプリントアウトして、また引き出しに入れて寝かせると、次もやっぱり文章を直してしまうんです。無限の更正ループに陥ります。プロの作家さんは、ゲラの更正は、2回までと云う風に、多分、決められています。そういう制限がないと、やはり無限の更正ループに陥ります。 私は、パソコンの画面を見ることが好きじゃないので、最短、最速で、更正を済ませようとします。今回、オリンピックを観て、観ることの大切さを、改めて、肝に銘じて理解しました。オィデプス王が、自ら目をつぶしたのは、ほとんど自殺と同じレベルの覚悟だったんだなと、納得しました。死の直前まで、自力で歩けることが大切だと、ずっと思っていましたが、死の直前まで、モノがちゃんと見えることも、歩けること以上に大切だと理解しました。目に負担をかけないために、最速、最短でIT機器と付き合って行く覚悟のようなものが、印刷機が壊れたことによって、身についたと云う風に考えています。 自宅には冷房がないので、その点は、no problemです。4月、5月の昼間は、近所の広場の木陰で本を読んでいました。が、6月に入ると、蚊に悩まされます。そこで、蚊が昇って来ない高さまで、避難することにしました。住んでいる公団には外階段があって、その外階段を6階まで上がると、蚊はいないということを発見しました。3階くらいまでは、普通にいます。4階にもたまに。が、6階までは蚊は上昇して来ません。外階段を利用するのは、3階までの住人です。4階以上に住んでいる人は、エレベーターを利用します。
6月に入ってからは、外階段の6階と7階の踊り場で、午前中は、本を読むようになりました。トイレに行きたくなったり、水を補給する時は、2階の自分の号室に戻ります。一日に、階段を何往復かすることになって、それは、足腰を鍛えることに、多少は役に立っている筈です。午後、外階段を利用しないのは、西日が当たり始めるからです。
休日は、武蔵野二中の吹奏楽部の練習の音が聞こえて来ます。が、それはインストなので、気になりません。踊り場から二本のケヤキの大樹が見えます。激しい雨が降ると、踊り場に吹き込んで来るので、退去します。風のない日の静かな雨ですと、気持ちが落ち着いて、読書の集中力は、一挙に高まります。「晴耕雨読」の真実を自ら確かめることができます。たまに横田基地に向かう戦闘機が描く、飛行機雲を見たりします。ユーミンの飛行機雲のフレーズを口ずさんだりすると、はてしなく遠いとこまで来てしまったなという気持ちと、大学1、2年の頃と、たいして何も変わってないなという、この二つのアンビバレントな気持ちが交錯して、ちょっと不思議な気がします。
8月に入って、セミの死に際の光景を、何回か見ました。いよいよ死ぬとなると、ハデに飛び回って、外階段の壁にぶつかったりします。で、バタバタしながら、駐輪場付近に落下して行きます。この時期、駐輪場付近には、毎日、10個くらいは、セミの死骸が転がっています。死の間際まで、powerfulに飛び回るという事実を、初めて知りました。クマゼミ、ミンミン、カナカナなどは見かけません。私が見たのは、すべてアブラゼミです。三次達治が、セビセビが煩くて閉口だと言ったのは、アブラゼミだと想像できます。
8月7日の朝、風がいきなり変わっていました。風の音に驚いたわけではなく、風の寒さに驚きました。都会に住んでいても(武蔵野市はバリバリの都会だとは、とても言えませんが)外の大気に常時触れていれば、季節の変化は、リアルに把握できます。