自#725「走ることは、自己に負荷をかける、一種の修行です。それなりの年齢に到達したら、そういうことは、もうやらなくてもいいかなという気がしています」
「たかやん自由ノート725」(自己免疫力71)
走ることは、取り敢えず卒業して、歩くようになったわけですが、考えてみると、歩くことは、子供の頃から好きでした。で、走ることは嫌い。マラソン大会というのは、子供時代、もっとも苦手なイベントでした。小1から、自転車にも乗っていましたが、自転車に乗って遠出をするよりも、そこらの端山をほっつき歩いたり、海辺の径を歩く方が、自分の好みに合っていました。
社会人になって、中古のカローラを購入して、普通に乗っていました。都会と違って、田舎では、公共輸送機関が充実してませんから、my carは、やはり必要です。仕事に行くだけでしたら、自転車でも徒歩でも可能です。が、買い物をするのも、人に会いに行くのも、車がないと不便です。
20代は、四国の山に登っていました。南宇和連峰の三本杭という山が、お気に入りで、数え切れないほど登りましたが、三本杭の登り口にアクセスするためには、車で移動しなければいけません。車ではなく、徒歩で、その頃住んでいた土佐中村から、三本杭の登り口まで移動するとしたら、一日半くらいはかかります。三本杭そのものには、2時間もあれば登れます。山頂で休憩して、ゆっくり下山するとしても、5時間あれば、往復できます。車を使えば、日帰りの山行ですが、徒歩ですと、4日くらいはかかります。まあしかし、車がなければ、4日かけて往復したと思いますし、登る回数は減ったとしても(理論的にいうと4分の1に減ります)徒歩で4日かかった山行の方が、日帰りでちゃちゃっと済ませた山行よりも、はるかに楽しかっただろうと想像できます。が、車の便利さを、知ってしまった以上、もう容易なことでは後戻りできません。
大学1、2年の頃は、まだ車には乗ってなかったので、京都も奈良も、レンタカーを使って回ったりはせず、徒歩で古寺を巡りました。楽しかったです。京都ですと、鞍馬とか、高雄あたりまで歩いています。比叡山延暦寺には、漱石の「虞美人草」の甲野さんと宗近くんが、修学院離宮付近から辿ったルートを、同じように歩いて登りました。
大学1、2年の頃、すでに禅寺での坐禅も体験していました。禅の世界観は、自分の性分に合っていました。その頃、自分が普通のサラリーマンになって、安全、息災に無難な人生を過ごして行くとは、正直、到底、思えませんでした。どこかで、人生を棒に振ってしまいそうでした。どうせ、人生を棒に振るのであれば、禅の世界に突き進んで、雲水になって、最後どこかの寺の飯炊き爺さんみたいな老人になるのは、まあ、決して、悪くはない、人生の棒の振り方だという気もしていました。
が、結局、私は禅の世界で、百尺竿頭のあと一歩を進めることなく、雲水の道に突入することを、躊躇しました。理由は、いろいろありますが、ひとつの大きな理由は、自分は、座ることが、そんなに好きじゃないということを、坐禅の修業を通して、はっきりと理解したからです。禅は、基本、坐禅です。座ることが好きじゃない人間には、向いてません。座ることも、慣れですが、慣れて何時間でも平気で座れるようになっても、そのことと、好きか否かは、別問題です。2時間くらい座って、change upするために、堂の周りを歩くんですが、歩いている時は、happyでした。歩くことは好きで、座ることも、走ることも、さして好きじゃないんです。
ひたすら歩くことが修業である、延暦寺の千日回峰行というものが存在します。大学1年の時、千日回峰行について知りました。歩くのは、実質、千日なんですが、この修業を達成するためには、7年間が必要です。最初の3年間は、比叡山中の点在する堂を巡る約30キロの回峰で、これを毎日、春から夏まで100日間、一日も休まず、続けます。千日回峰行は、どこかで一日でも休むと、そこですべてがチャラになります。
4年目と5年目は、回峰の回数が、倍の年200日になります。春から秋の初旬あたりまで、毎日、歩くわけです。6年目は、日数は100日に戻りますが、一日に歩く距離が、倍の60キロになります。最後の年は、京都大回りという80キロのコースを、まず百日歩き続け(相当なspeedが必要です)その後、最後の100日は、最初の一日30キロの回峰をやって、千日回峰行は、終了します。
この修業は、7年目が、一番、きついです。死ぬとしたら、毎日、80キロを、100日間、歩いている時です。まさに、命がけの修業です。多分、5年に一人くらいしか、この修業を達成した人は、いない筈です。100年で、20人くらいしか達成できない、至難の修業だと言えます。7年間を、棒に振るのは、まあさて置くとして、7年目のハードなルートを、乗り越えられるだけの体力が、自分にあるかどうか、疑問でした。中学時代はヤンキーで、高校時代は、本ばかり読んでいた私は、おそらくこの修業に耐えられるだけの、ベーシックな基礎体力がないと、容易に想像できました。座るのも、そう好きじゃなく、徹底的に歩くのも体力不足で不可能。悟りの世界には、到底、入って行けないだろうなと、大学1年の頃、ほぼほぼ、見極めはできていました。
が、まあ悟ったりはできなくても、お四国の巡礼くらいは、四国の田舎に生まれて育ったわけですから、一応、体験しておきたいと、何となく思っていて、それもひとつの理由で、大学卒業後、郷里に戻ったんです。県庁の職員になりましたが、崇高な使命感とか、高いモチベーションとかは、爪の先ほども持ち合わせていませんでした。デモシカ公務員でした。で、お四国巡礼の方は疎かにして、山登りばかりしていました。
家族がいなくて、独身で、一人暮らしでしたら、取り敢えず、四国に帰って、お四国の1400キロを歩きます。まあですが、東国三十三ヶ所巡りとかもありますし、東京でも、その気になれば、巡礼は可能です。
歩くことに決めましたから、まず、自転車を基本、封印しました。運転免許証は、身分を証明するために便利ですから、取り敢えず、持っていますが、車に乗る事は、この先、99.99パーセントくらいの確率で、もうないと思います。吉祥寺の古本屋(街中ではなく井の頭通り沿いにあります)にも、これまではチャリで行ってましたが、この頃は、往復、武蔵境から、歩いています。本を沢山買うと、帰り道、重くて大変なので、買いたい画集が、4、5冊あったとしても、一冊だけに絞ります。そもそも、もう自宅に本を置くスペースがないんです。「何かを得れば何かを失う」のセオリー通り、新しく古本を買えば、そのスペース分、ストックしてある本を捨てる必要があります。
今、流行のマインドフルネス・ウォーキング(歩く瞑想)などを、実施しているわけではありません。マインドフルネス・ウォーキングは、明らかに修業です。もう、修業をするつもりはないんです。修業的なことは、これまでの人生で、嫌というほど経験しました。孔子様は、七十にして、心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えずと仰ったわけですが、そもそも、私はさほど欲のない人間なので、自分の思うまま、好き勝手に生きても、そう矩(のり)を踰(こ)えることは、まずないだろうと楽観しています。