世#09「中国の故事成語」

          「たかやん世界史ノート⑨」

 中国の歴史から出た言葉(故事成語など)について、書いてみます。

「鼓腹撃壌」。こふくげきじょうと読みます。
 孔子は、伝説に過ぎないと切って捨てたんですが、中国の古代には、三皇五帝と言われる三人の皇帝、五人の帝王がいます。前漢の司馬遷は、三皇については言及せず、五帝から書き起こしています。五帝は、おそらく陰陽五行説にもとづいて、設定されたものだと思われます。
 五帝の最初は、黄帝です。陰陽五行説によると、東が青、南は赤、西は白、北は黒で、中央が黄です。黄が一番、価値のあるgreatな色なんです。そのgreatな黄の黄帝を最初に持って来て、次が顓ぎょく、三番目が帝こくです。いずれも黄帝の子孫とされていますが、単なる数合わせで、突っ込んだだけです。四番目は堯、五番目が舜です。堯・舜くらいになると、もしかしたら、いたかも(?)と、多少のrealityは、かもし出しています。堯は部下の義和(ぎか)に命じて、天に昇らせ、日月や星辰を調べ、民に暦を授けさせ、春の耕作、夏の化育、秋の収穫、冬の貯蔵のことなどを、つかさどらせます。義和は太陽を乗せて走る馬車の御者も務めていたそうです。ちなみに、太陽は10個あります。毎日、1個ずつ乗せて、10日で一巡します。ちなみにこの10個の太陽には名前がついています。五行の木火土金水に、2個ずつ太陽は、割り当てられています。木(きの)は甲(きのえ)と乙(きのと)、火(ひの)は丙(ひのえ)と丁(ひのと)、土(つちの)は戊(つちのえ)と己(つちのと)、金(かの)は庚(かのえ)と辛(かのと)、水(みずの)は壬(みずのえ)と癸(みずのと)です。この十日間のことを旬と言います。月の上旬と言えば、1日から10日までのことです。
 堯は、つまり暦を作成し、農業の指導などをしたわけです。この堯が、世の中が、本当に上手く治まっているかどうか、おしのびで、こっそり町に出て来ます。そうすると、白髪あたまの老百姓が、壌と云う木製のコマをぶっつけ合って(これが撃壌です)遊んでいます。で、腹鼓(はらづつみ)を打って「日出でて働き、日入りて息(いこ)う。井を掘りて飲み、田を耕して食う。帝力我に何かあらんや」。百姓たちは、何の不安もなく、鼓腹し撃壌に興じ、政治の力などすっかり忘れ去っている。これこそ、政治が上手く行っている証拠じゃないかと、堯は考えます。政治が、権力のカケラも感じさせず、非常に上手くrunしている状態、つまりこれが鼓腹撃壌です。

「禅譲放伐」(ぜんじょうほうばつ)。禅も譲も、ゆずると云う意味です。堯が有徳者の舜に位をゆずり、舜が黄河の治水に功のあった禹に位をゆずったのが、禅譲です。禹は夏王朝を開きますが、最後の桀王が暴君だったので、革命を起こし、湯王が、殷王朝を開きます。このように、天子を追放放逐するのが、放伐です。中国では、禅譲が政権交代の理想的な形だと考えられたので、後世、革命の場合も、基本、禅譲の形式を整えます。

「塗炭の苦しみ」。塗は泥水で、炭は炭火です。つまり、水火の苦しみです。夏の桀王は、道徳に背いたので、民が泥や火の中に落ちたような苦しみを味わっていると言って、殷の湯王が、夏の桀王を放伐したわけです。

「酒池肉林」(しゅちにくりん)。殷の最後の王である紂王は、政治を忘れ、酒色にふけった暴君の代表と云うことになっています。史記殷本紀によると、紂王は、毒婦妲己(だっき)を喜ばせるために、国富を湯水のように注ぎ込んで、大宮殿や大庭園を造り、池には酒を満たし、肉を吊り下げて林に見立て、裸の男女が乱舞していたようです。この大乱痴気騒ぎを酒池肉林と言います。

「殷鑑遠からず」。夏の最後の桀王は、妹喜(ばっき)と云う美女の愛に溺れ、政治をかえりみなくなります。ために、国力は疲弊し、人心は夏王朝を離れ、ついに、殷の湯王に滅ぼされます。殷の紂王も、妲己の色香に迷って、政治をかえりみなくなっています。この時、西伯(後の周の文王)が、紂王を「印鑑遠からず」と諫めます。つまり、殷の鑑は、夏の最後の桀王の政治のそれにあるんじゃないですかと、忠告をしたわけです。が、紂王は、西伯の諫めを聞かず、西伯の子供の武王に滅ぼされてしまいます。

「太公望」(たいこうぼう)。黄河の支流の渭水で釣りをしていた呂尚と云う老人を、西伯が見かけます。話をしてみると、学問のある立派な人物です。自分の祖父の太公が、「やがて、立派な人物が現れて、その力で周は栄えるだろう」と云って望んでいた人が、この人だと判断して、自分の師と仰ぎ、太公望と呼んで尊崇し、周の要職(軍師)に就いてもらいます。太公望が、文王の子供の武王を助けて、殷を滅ぼします。

「虎の巻」(とらのまき)。太公望呂尚の作とされる六韜(りくとう)と云う兵書があります。文韜・武韜・竜韜・虎韜・豹韜・犬韜の六書より成っています。この中の虎韜から、兵法の秘伝をしるした書物のことを虎の巻と言います。

「覆水盆に返らず」。太公望呂尚は、周の文王の師となり、後に封ぜられて、斉国の祖となります。一介の釣り師から、大々出世したと言えます。若い頃、人一倍、貧乏暮らしだったのに、外に出て働こうとせず、読書三昧の生活を送っていました。家の中は、火の車だったので、愛想をつかした妻の馬氏は、実家に帰ってしまいました。それから、長い歳月が流れ、功なり名を遂げた呂尚のもとに、ある日、ひょっこり馬氏がやって来て、復縁してくれと頼みます。すると、呂尚は、器に水を汲み、それを庭先にこぼして
「その水を、器に戻して下さい」と言います。が、水は土にしみ込んでしまっているので、戻せません。呂尚は「こぼした水を、元に戻すことはできない(覆水盆に返らず)。別れた者は、もう一緒になれない」と、言ったそうです。呂尚の人間力を見抜けなかった、馬氏の負けかなって気はします。

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