自#525「漢字が書けなければ、放置しないで、まめに辞書を引いたり、漢字の練習をしたりすることが、やっぱり必要だと、自戒しています」
「たかやん自由ノート525」
「歳をとると字も忘れがちになるものだと親鸞もこぼしている」と、週刊誌のエッセーに、五木寛之さんが、お書きになっていました。ずばぬけた博覧強記の親鸞さんでさえ、お忘れになるんですから、ましてや、我々、凡人をやって感じです。現代人は、ワープロの交換機能に頼ってしまっているので、昔の人より、より一層、忘れやすくなっています。 私がワープロを使い始めたのは、20代の後半ですから、もう40年近く、ワープロに頼っています。ただし、原稿は手書きで、原稿用紙に下書きをしています。下書き段階で、漢字が出て来なければ、ひらがな書きして、ワープロで打ち込む時、変換してもらいます。このスタイルでは、当然、漢字を忘れます。が、その場で、書けない漢字をいちいち、辞書を引いて調べていては、文章を書くリズムが崩れてしまいます。私は、毎日、原稿用紙5枚ちょっとの文章を書いていますが、所要時間は60分~65分の間です。これより長くなっても、短くても、どちらも文章のレベルが下がります。一定の時間の「しゃく」の中で、文章を書かないと、一定の文章のレベルは確保できません。したがって、どうしても、漢字を忘れてしまうという現象が発生します。
漢字忘却を予防するために、時々、漢字の書き取りを、問題集を使って、練習していました。毎日ではなく、たまに、思い出したように、3、4ヶ月練習し、しばらくやめて、また危機感を覚え、練習帳を取り出して実践する、そういうことの繰り返しを、還暦の頃までやってました。還暦を過ぎてからは、一度も漢字の練習はしてません。年寄りになると、ものぐさになります。あとまあ、クラス担任でしたら、推薦書を書いたり、通知表の所見欄を埋めたり、学籍簿や内申書を書いたりと、手書きの書類仕事はたくさんありますが、担任を離れると、オフィシャルな手書き仕事は、ほぼなくなります。私の試験には、作文課題が一問あって、生徒が書いた文章に、赤ペンで講評を書く時くらいが、手書きの仕事です。
今、勤めている学校の世界史の同僚が、完全リタイアして、世界史を教えなくなっても、世界史の入試問題集を、毎年、購入して、ボケ防止のために、入試問題を解き続けるつもりだと、何日か前に、言ってました。その同僚は、私より6、7歳、お若い方です。
「うわぁ、世界史の先生の鑑(かがみ)じゃん」と、思ってしまいました。私は、バンドの部活の顧問として、Identityを確立していた教員なので、世界史の教師の鑑には成れっこないし、まあ成りたいとも思ってません。ただ、将来、義理と人情の絡みで、民生委員などを引き受けてしまって、お世話をしている住民と一緒に、役所の福祉課などに行って、手続きの書類を書いたりする時、漢字が書けないと、民生委員としての権威に傷がつきますし、まあ民生委員にならなくても、ボケ防止のつもりで、漢字の練習を再開すべきかもと、同僚の発言を聞いて、プチ反省しました。
ところで、五木さんは、ワープロはお使いになってないようです。現在、百歳くらいの瀬戸内寂聴さんが、手書きなのは納得できますが、五木さんは、まだ80代です。90歳を超えても、パソコンやスマホを使いこなしている方は、沢山、いらっしゃいます。五木さんも、文章を書いている時、必要な漢字が出て来なくて、困惑することが、再三、あるそうです。五木さんはプロフェッショナルで、私はアマチュアです。アマチュアは、取り敢えず、ひらがな書きでも平気なんですが、プロは、ちゃんと漢字が出て来ないと、文章のイメージの一画が崩れてしまうんだろうと、想像できます。で、電子辞書を引くそうです。「えっ、ワープロを使わないのに、電子辞書は使うんだ」と、プチ驚いてしまいました。私は、ワープロは使いますが、電子辞書もスマホも使用しません。あのちまちました、ガゼットを、自分が使いこなせるとも思ってません。五木さんのようなプロは、文章のリズムが崩れることより、正しい漢字を、正確に綴ることの方が、大切だと、多分、お考えになっています。まあ、それも判らなくはないです。
「パソコンで原稿を書けばいいじゃないですか?」と、編集者に勧められたりもするそうです。おそらく若手の編集者です。手書きで文章を書いた経験が、ほとんどない方だと、推測できます。手書きの文章と、パソコンのキーボードを打って作成する文章とでは、質が違います。どっちが上とか、下とかと言うつもりはないんですが、私に言わせれば、両者は、まったく別種のものです。私も職務上、自己申告書や年間指導計画、報告書などは、キーボードを打って、綴ったりもしましたが、それを、文章だとは思ってません。文章みたいなものです。私の場合、文章は、手書きじゃないと書けません。So dose he.それは、五木さんも、きっと同じです。
五木さんは、「仕事の注文がこなくなったとしても、たぶん原稿を書くことはやめない。字を書くという行為自体が、ある種のよろこびなのだ」と、お書きになっています。So do I.それは、本当にそうです。文章を書く人は、それが好きだから書いているんです。身体を動かしてスポーツをすることが好きな人もいれば、万年筆を持って、原稿用紙に漢字、仮名まじりの文章を書く行為が好きな人もいます。
朝日新聞に漢字に関するアンケートが掲載されていて、「まん延・し烈・改ざん・ねつ造など、交ぜ書きをどう思いますか?」という質問に対して、ルビを振って漢字で書くべきだと答えた方が、圧倒的多数でした。朝日新聞を購読している方が、アンケートの対象者ですから、新聞というものをまったく読まず、ネットニュースだけに頼っている若者よりは、「識字率」は、高い方々だと推定できます。まん延・し烈・改ざん・ねつ造は 蔓延・熾烈・改竄・捏造の方が、私も断然いいと思います。改竄は、ルビを振るべきですが、あとはルビなしでも大丈夫です。読者の学力を、ある程度、アテにすることも、大切です。親切すぎると、逆に読者を、spoilしてしまうんじゃないかと、懸念してしまいます。
私は、漢字、かな、カタカナ、英単語の四種の交ぜ書きです。そもそも、このnoteは、授業の最後にエンディング曲を流しながら、生徒に配っていたプリントが、ルーツです。ターゲットやシス単などの重要単語くらいは、覚えていて当然だという建前で、プリントを書き始めた40年くらい前から、英単語は使っていました。私はセンターレベル(共通テストよりはちょいハイレベルでした)の英文くらいでしたら、普通に読めます。日本語を理解するためには、英文がある程度読めることも、ベーシックな基礎教養だと確信しています。グローバルな時代です。横書きの文章ですから、普通に、英文の諺(ことわざ)のようなものも、引用すべきかもとすら考えています。