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自#184|Sex and the City ①(自由note)

 Book Offで、「Sex and the City」のボックスが、五千円で売られているのを、発見しました。DVDは、特典ディスクも含めて、全部で19枚入っています。シーズン6までの全話ですから、94エピソード収録されています。テレビ放映と同じインターバルで、週一で見たとしても、2年間くらいかかってしまいます。それだけの時間とエネルギーを費やすのであれば、「20世紀の映像」「世界遺産」「鉄道で巡るヨーロッパの旅」「世界の車窓」と云った風なDVDを見た方が、はるかに教養が深まると、容易に想像できます。私は、映画を見せる授業も受け持っていますが、Sex and the Cityは、さすがに高校の教育現場に持ち込むのはNGです。授業のネタとして、喋ることもできません。「一対一の関係は90年代の宗教なのか?」とか「3Pは、新たな性のトレンドなのか?」とか「独身女性はいつでも、どこでも、どんな男とでもセックスできるのか?」と云ったシリーズ①の重要なテーマは、高校生にはなじまない、大人の遊び人たちのテーマです。他の教科(保健科とか家庭科)の学習指導要領を見たことはありませんが、たとえば「コンドームの正しい装填の仕方」とか、「オギノ式避妊日の選び方」とか、「ピルの正しい服用の仕方」と云った単元は、学習指導要領のどのページにも、掲載されてない筈です。
「寝た子を起こすな」と云うのが、与党自民党の基本のコンセプトですから、中学校でも、高校でも、いわゆる性教育と云うのは、ほとんど教えられてないと思います。戦前の女学校と同じで、せいぜい、オシベとメシベが、受粉して、何ちゃら、程度の話で、お茶を濁していると推定できます。一体、どういう風にして、子供が生まれるのかと云う、人間として、超重要な知識を、体系的に学ぶ場所、機会は、日本のJuvenileたちには、用意されてないと言えます。中高一貫校で、タテの関係を意図的に構築している学校でしたら、中学生に、耳年増な高校生のboy & girlから、学校教育では学べない、裏カリキュラムを教わったりするのかもしれません。もっとも、今の時代ですと、取り敢えず「子供の具体的な作り方。人」と打ち込んで、ネットでググるって展開だと云う風にも考えられます。子供の作り方、およびその細部に関して、関心をさほど持たず、寝ているJuvenileは、まずめったにいません。何か、有意義な話があれば、Juvenileたちは、耳をダンボにしてlisten toします。
 何の映画だったか、うろ覚えですが(多分、秘密と嘘)お母さんが、デートに行く娘に、スキンを2枚渡します。デートから帰って来た娘は、お母さんに、「ちゃんと2回して来たよ」と、報告します。お母さんは「あれは、二枚重ねて、使いなさいと云う意味だったのよ」と、こぼします。が、よりsecurityを保つために、スキンを二枚重ねて使うなんてことは、アメリカのどの州の学校教育でも、学べない筈です。
 私は、恋愛系の遊び人だったことは、かつて一度もありません(若い頃、遊んでないことに関して、別段、何ら後悔してません。二十代の膨大な時間を、坐禅で費やしましたが、有意義な、自己鍛錬のための時間だったと納得しています)。大学時代に、たとえば、鈍行列車に乗って、九州をぐるっと回って、大分の佐伯からフェリーで四国に渡って、郷里に帰ったりしていて、明らかにプチ乗り鉄でした。北海道と沖縄を除いて、あとの県庁所在地は、すべて鈍行列車で、通過or 下車しています。プチ乗り鉄だった過去を、惜しげもなくかなぐり捨てて、「鉄道で巡るヨーロッパの旅」ではなく(ほぼ同価格でした)「Sex and the City」のボックスを購入してしまいました。毎週、一話ずつ見るとして、約2年間。楽しみちゃ、楽しみですが、溺れるもの藁(わら)をもつかむではなく、転んてもタダでは起きない鎌倉時代の地頭のように、若い人に語れる(つまり授業のネタにできる)何らかのキャッチーなネタを、つかみ取りたいと云う野心はあります。「鉄道で巡るヨーロッパの旅」では、野心は持てませんが、「Sex and the City」は、嫌でも、多少なりとも野心を持って、clever and smartに、生き抜いて行けと、啓蒙してくれそうなドラマだと言えます。
 1シリーズのオープニングは、キャリーが、桃色のタンクトップを来て、マンハッタンを歩いているsceneです。日本のJuvenileの礼儀を弁えない中坊男子が見たら「えっ、こんなオバハンのタンクトップとかありなの?」と、首を傾げてしまうかもしれません。もちろん、ありです。そもそも、このドラマのターゲットは、30代、40代のキャリア志向のUSAの都会の女性たちです。その方たちに共感してもらえて、「なんぼ」なんです。日本のケツの青いJuvenileの男子が見ることなど、まったく想定してません。そういうお子ちゃまは、「グリーン」とかを見とけ(いや日本のひょっこりひょうたん島でもいいと思いますが)ってことかもしれません。
 ところで、キャリーが穿いているのは、白いチュチュ。そう、バレリーナが身につけるアレです。リアルタイムの日本では、シニアの方が踊っている「白鳥の湖」とか「くるみ割り人形」とかは(無論、アマチュアのダンススクールのそれ)探せば、いくらでもある筈です。日本は、世界最先端の老人国なんです。人生百年時代が本当だとすると、50代、60代のシニアとかは、Juvenileに毛が生えたぐらいの若々しさで、人生をenjoyして、全然OKってことになりそうな気がします。
 今、ふと思い出しましたが、私がJ高校で担任をしていた2010年の4月の末、TDS遠足で、クラスのうぇい系の4人の女の子が、ピンクのお揃いのチュチュで、TDSのゲート前にやって来ました。集合は、AM9:00です。私のクラスのその4人のJKは、ピンクのチュチュ姿で、朝のクソ混雑している南武線とか、京王の特急とか、小田急の急行とかに乗って、舞浜までやって来たんです。チュチユ姿のちょっと行っちゃってるJKには、痴漢も容易には手を出せないと推測できます。高校のライブのステージでも、チュチュ姿は、その頃、時々、見かけました。もしかしたら、Sex and the Cityのキャリーの1シリーズのチュチュ姿が、10年遅れで、日本の東京の多摩地区のJKの所に到達したのかもと、勝手に想像しました。
 私が社会人になった頃、近藤マッチさんのマッチヘアが、東京で流行っていて、そのトレンドが、四国の片田舎に到達するのに、2年間くらいかかりました。「ちょべりば」とかのJK言葉も、東京では死語になった頃、たまたま帰省したら、当時(高知に)できたばかりのドトールで、「これ戦前の制服?」と思ってしまいそうな、紺のサージの制服(私の母校の制服ですが)を着た女子高校生が、使っていました。同じ頃、流行った「マジ受けるんだけど」も乱発していました。が、この「マジ受けるんだけど」は、渋谷では、抑揚なくのっぺら棒に語って、本当は受けてないと云うことを、知らせるフレーズなんですが、ウチの田舎のJKは、抑揚たっぷりで、マジで受けていると云うことを、表現していました。表現の意図が、真逆に伝わってしまっているんです。とにかく、東京と四国の高知は2年遅れ。ニューヨークと東京の距離とかを、正確に計って、検証したわけでもありませんが、結構遠いし、当時、ネットはwindows95とかのガガーピーピーのゆるゆる立ち上がる電話回線でしたし、10年遅れと云うのは、充分にあり得ることです。

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