自#977「ヒポクラテスの昔から、運動療法は存在します。運動によって、身体の温度を上げると、精神疾患も改善すると、ヒポクラテスは述べています」
「たかやん自由ノート977」
「ハンチバック」の著者が「筋力が落ちることで、心肺機能が低下する」と、インタビューで語っていた。この部分を読んで、81歳の冬、結核性肺炎で、府中の都立病院に入院した母親のことを思い出した。一週間に二回、母親の見舞いに行った。結核病棟の入り口で、熱があるかどうかを訊ねられ、一枚、400円のマスクも購入した。
「体調が悪かったら、面会は中止して下さい。免疫力が落ちていると感染します」と、看護婦さんに警告された。
母親は、自分の病室から、談話室まで、一日に何十回も往復して、体力をつけようと努力していた。抗生物質の副作用だと思うが、食べたものを戻してしまうらしい。で、戻って来たものを、無理やり飲み下したりもしていた。
「食べられないと、点滴になる。辛くても自分の口で食べるしかない」と、母親は洩らしていた。
食べられないと栄養点滴になり、その後は鼻チューブ、そして胃瘻。寝たきりになって、動けなくなり、体力、免疫力が低下して、死ぬ。母親は、病院の付添婦の仕事を通して、嫌というほど、そういう人を、見て来ている。
病院では死にたくないと、見舞いに行く度に言ってた。結局、病室と談話室との往復を繰り返し、母親は4ヶ月後に、退院した。
その後、私自身が、4回目の肺炎で、三楽病院に入院した。熱が下がってから、母親の顰(ひそみ)みに倣(なら)って、体力をつけるために、ほとんど誰も使ってない階段の登り降りを、毎日、午前、午後、夜と一回20分ずつ、3セットやっていた。遊歩道などがあれば、そこを歩いて体力をつけたかったが、お茶の水にある三楽病院には、階段以外に体力をつける場所はなかった。
現役教員時代は、ずっと走っていたが、走りは膝や足首を痛めてしまう。還暦を超えた頃、井の頭線の階段を駈け上がろうとして、階段を踏み外し、左足のアキレス腱を切った。結局、4ヶ月ほど、ギブスを嵌めて、松葉杖生活だった。左足を元に戻すためには、一年くらいの歳月が必要だった。歳を取って、アキレス腱を切ったすると、体力、筋力、免疫力のすべてが、ダダ下がりになり、もう元には戻せなくなる。
転ばないように、まず走ることをやめた。サンダルも履かない。高尾山程度の山であっても、山にはもう登らないことにした。
走らないで、歩いている。学校に行く時は、最寄り駅の武蔵境駅まで15分歩く。中央線で国分寺まで行って、そこから学校まで、やはり徒歩15分。合計30分なので、往復で60分。が、60分のウォーキングでは、運動不足。今の私は、毎日90分くらい歩くのが丁度いい。幾分、多目の1日、2時間歩くことを自分のノルマとして課している。
ハッチバックの主人公の釈華は、喋ると負荷がかかるので、長い会話は、lineに書き込み、なるべく喋らないようにしているらしい。おそらく、作者の現実生活も同じ。喉に呼吸用の穴を開けているので、喋ることはそう楽にはできないと想像できる。作者は、発病する前から、相手にちゃんと言葉が伝わらない構音障害があったらしい。
私の長い教員生活の中で、ある日、突然、声が出なくなるようことは、何度かあった。無理をすれば、喋れなくはない。が、無理をすると、間違いなく喉を痛める。喋ることは、書くことより、はるかに大きな負荷がかかる。もうむちゃくちゃなマシンガントークのような喋りは、100パーセントできない確信している。周囲に囃し立てられて、ウィスキーをタンブラーに3杯ほど一気に飲み、喋りまくっていたら、間違いなく脳の血管が切れる。脳の血管が切れて、生き残った場合、その後、どれだけ大変な地獄のリハビリが待ち構えているのかは、知り抜いている。
マシンガントークではない、ほど良いトークを会得するために、朗読の会に参加して、適度なテンポのトークの練習を地道にしている。
ハッチバックの主人公は、脳に酸素が行き渡った喜びを語っている。酸素吸入器を装填すると、パルスオキシメーターの数値は、一気に上昇する。幸いにというべきか、残念なことになのか、私のファミリーは、誰一人、コロナ感染はしてないので、バルスオキシメーターや酸素の威力を感じ取れてない。小学生の頃、海に潜っていた。呼吸が苦しくなると、海面を目指して上昇して行く。顔が海面の上に出た瞬間に、大きく息を吸い込む。酸素を吸うことが、こんなに幸せなことだったのかと、海に潜る度に実感していた。
郷里の海の傍に暮らしていたら、今でも、5メートルくらいは楽に潜って、カキとかハマグリとかを海底から掴み採って来てただろうにと思う。呼吸のありがたさを実感するために、たまにロングブレスなどをやってもいいが、一人だとどうしても、ゆるめのトレーニングになってしまう。が、試験監督に行った時や、講演会などで、ホールに出向いた時、他にすることが何もないので、ロンクブレスのトレーニングも、少しはしている。
ハッチバックの主人公は、ネット上の情報を使って、コタツ記事を書いている。コタツ記事の男性向けは、風俗店体験談やナンパスポット紹介、女性向けは、復縁神社20選といった記事。復縁したいというニーズが、女性側に相当あるらしい。が、復縁したいと本気で考えているのは、男の方じゃないかという気はする。
ふりかけさえあれば、お米が食べられるといういじましいリクエスト理由が、フードバンクのウィッシュリストに書いてあるらしい。私は、子供の頃、ご飯とみそ汁だけで、食事をしていた。禅寺だと、基本、お粥と沢庵くらいしか食べない。ふりかけのような添加物や着色料をどっさり使ったりものより、醤油飯とかの方が、断然、いいだろうと思うが、これはもう、昭和世代のオヤジの独善的な意見かもしれない。
ハンチバックの最後のとこに、エゼキエル書の第三十八章、三十九章から抜粋したものを掲載している。ここは、旧約聖書版の最後の審判みたいな箇所だと言っていい。ヨハネの黙示録というのは、私が若い頃より、今の方が、はるかに読まれているような気がする。それはつまり、そこら中に、ルサンチマンを抱えた人間が、どっさりいるという意味だろうと思う。ハンチバックは、オブラートとユーモアに巧みに包んではいるが、ルサンチマンをぶちまけた、小説だと言っていいと思う。主人公は、発射されたルサンチマンを飲み込んで、あやうく死にそうになっていた。