自#439「空疎な弁論と、ごくごくrareですが、真実のこもった弁論もあります。人生の限られた時間を、無駄にしないためにも、空疎な弁論は、即座に聞き流せる判断力が必要です」
「たかやん自由ノート439」
アントニウスは、若い頃、放縦な享楽生活を送っています。晩年、クレオパトラに籠絡されて、享楽生活に陥った時、若い頃の楽しさが、復活したかのように感じた筈です。アントニウスは、軍人です。殺伐とした戦いの世界に生きる人間には、時として、享楽生活も必要なのかもしれません(まあ人によりますし、個人差も大きいとは思いますが)。
クローディウスが、国政を乱した時、難を避けるために、ギリシアに去ります。キケロもこの時期、ギリシアに亡命していますが、ローマの世相が物騒な時は、ギリシアに身を隠すと言うのが、内乱期の処世術だったと想像できます。アントニウスは、ギリシアで身体の鍛錬をします。筋トレをするためのスタディアムもジムも、ギリシアには沢山あります。意識の高い人は、ギリシアで弁論術を学びます。
世界史や倫理で、ソフィストの活躍について学びます。「人間は万物の尺度である」と述べたプロタゴラスやゴルギアスなどが著名ですが、主観主義、相対主義を説いたソフィストの後に、ソクラテスが現れ、本格的な哲学が始まると、教科書には記されています。ソフィストの時代から哲学の時代に移り変わったような印象を受けますが、違います。ごく一部の人だけが、哲学を学んだだけのことです。哲人政治を説いたプラトンは、シラクサの僭主の政治顧問になって、政治の指導をしましたが、まったく何の役にも立ちませんでした。哲学は、ソクラテス、プラトンの昔から、究極の不要不急の学びなんです。政治家や軍人にとって必要な、ベーシックな基礎教養は、哲学ではなく、ソフィストの教える弁論術です。ローマにも、弁論術を教えるソフィストはいましたが(無論、ギリシア人です)よりハイレベルの弁論術を学ぶために、アテネやロードス島に、ローマの名門の子弟は留学しました。アウグストス(オクタヴィアヌス)の時代から、ローマは実質、帝政に移行しますが、建て前は共和政でしたから、建て前の議論ができる雄弁家は、必要とされていた筈です。authenticな帝政および官僚制が始まるコンスタンティヌス帝あたりまでは、ソフィストたちの需要はあったんだろうと想像できます。
カエサルは、雄弁家としてtopは目指しませんでしたが、かなりのレベルまで、弁論術は磨き抜いています。アントニウスは、正確にムラがありますから、カエサルやキケロのレベルまで、弁論術を極めたとは、とても思えませんが、シェークスピアの「ジュリアスシーザー」では、ローマの市民の世論を引っくり返していますし、部下たちにも慕われていますから、喋りは得意だったんだろうと推測できます。
弁論術は、ギリシアのクラシック期は、簡明で自然な、言葉を飾らないsimpleなスタイルでしたが、アレクサンドロス以降、つまりヘレニズム時代に入って、言葉を不必要なまでに彫琢し、飾りをつけまくった派手なものが流行し始めました。中国の漢時代の質実な文章が、六朝時代に入るとコテコテの四六駢儷文になってしまったのと、相通じているのかもしれません。simpleな弁論術は、アッティカ風で、キケロが学んだのは、こっちですが、アントニウスや多くのローマの青年が学んだのは、当時の流行のハデなアジア風の弁論術だったようです。プルタークは、このアジア風の弁論術は「けばけばしく驕慢で、空虚な誇示と、不均衡な名誉心に充ちたものだった」と記しています。言ってることは、賑やかでハデだけど、結局、何ひとつ大切なことは語ってないみたいな喋りは、リアルタイムの今の世の中にだって、どっさり溢れています。真実をちりばめることができる本物の弁論術と、空虚な何ちゃって弁論術の二つが、古代ギリシア・ローマの昔から、今に至るまで、西欧世界では、存続し続けて来たんだろうと思います。
アントニウスは、言葉はそれなりに飾りますが(大言荘語と言った方がいいかもしれません)外観は飾りません。「人は見た目が9割」と言ったマニュアル本は、当時は流行してなかったわけです。アントニウスは、胸像の顔を見ると、いかにも無骨な野人です。祖父がコンスルでしたから、名門の子弟ですが、家柄の良さを感じさせない、がさつでフレンドリーな人柄です。アントニウスの家は、ヘラクレスの末裔だというレジェンドだったようです。ヘラクレスは、ライオンの毛皮をまとい、それを荒縄で身体に縛りつけ、攻撃用の棍棒を常に持っていたわけですが、アントニウスは、粗い兵隊の外套を着て、大きな剣を吊り、下品なことなども平気で言い、他人の色事などにも力をかし、兵士たちにも好かれていたそうです。気前が良くて、兵士や友人にけちけち吝(おし)まず、何でも施したところは、カエサルと同じです。プライベートでは、贅沢な生活をしていても、軍人として軍務に就いた時は、腐った水も平気で飲み、食べ物がない時は、兵士と一緒に、樹の皮や根なども食べて、そんなカツカツの食糧事情で、アルプスを超えたこともあります。
私も26年前、K高校に赴任して、授業のopeningで、枯れた花を挿してあった花瓶の腐った水を、一気に飲みました。赴任して、初回の授業だったので、なめられちゃいけないと思って、ぶちかましたわけです。オジーオズボーンは、ステージの上でライブ中に、コウモリを食いちぎりました。コウモリを生で食べると、死ぬかもしれません。腐った水とかだと、せいぜい下痢を起こすだけです。が、まあ授業で腐った水を飲んだのは、これ一回だけです。日頃、贅沢しまくっているのに、軍務に就くと、即座に切り換えて、何ごともなく腐った水が飲めるアントニウスは、軍人としてやはり超一流だったと思います。
アントニウスとオクタヴィアヌスの連合軍が、ブルートゥスやカッシウスとぶつかったフィリッピの戦いで、アントニウスは、さくっとカッシウスを打ち負かしますが、オクタヴィアヌスは、ブルートゥスに敗れます。戦争の巧さでは、アントニウスの方が、オクタヴィアヌスよりも圧倒的に上です。そもそも、オクタヴィアヌスは、軍人としての訓練は受けてません。アリストテレスの習性的德ではないですが、軍人としての德を身につけるためには、ある程度、場数を踏む必要があります。オクタヴィアヌスvsアントニウスの戦いは、普通だったら、どう考えてもアントニウスの方が、勝つ筈です。が、アントニウスは敗れました。それは結局、クレオパトラの言いなりになったからです。「In God's Hands」というサーフィン映画の中で、「自分のスタイルを捨てたら死ぬぞ」というフレーズがあるんですが、自分のスタイルを捨てたら、軍人だって、当然、死にます。
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