公#5「先日、キュビズム展に行って、展示作品のすべてを、ざっくり手帳にスケッチしました。キャプションは、一切、読んでません。字を読まない人の気持ちが、ちょっと分かったような気がしました」

              「公共5」

「自由」をテーマにして、絵を描いてもらって、私がすぐれていると判断した作品を選び出して、百均(Can do)で買ったディズニーのシールを貼った。前回と同じ枚数を用意していたが、今回は前回の倍近くの数になって、慌てて、Can doに追加のシールを買いに出かけた。
 前回のお題の「幸福」より、今回の「自由」のテーマの方に、より力を注いだということではない。力の注ぎ方は、ほぼ同じ。ただ「幸福」より「自由」の方が、より難しいテーマなので、生徒たちは、それなりに知恵を絞ったんだろうと想像できる。一般的に言っても、ハードルが高い方が、より力は発揮できる。
 ところで、すぐれているか否かは、あくまでも私の個人的な判断。美術の先生が見れば、別の判断を下すと想像できる。そもそも、私は、絵の巧拙では判断してない。アイデアというか、切り口で評価している。だから、多くの人が考えた、試験終了後の自由とか、校則がなくて自由とか、鳥が空を飛べて自由とか、一人で家にいて何でもできて自由とかは、ほとんど選んでない。
 ただし、校則違反の自由でも、ぶちかましてくれば、評価する。高校生なんだから、やっぱりぶちかまして「なんぼ」やろとは、昭和世代の人間なので、普通に思ってる。
 男子生徒が、ぶちかましたJKを描いていた。まず、問題用紙の絵の枠を無視している。描いているのは超パリピのJKの筈だが、顔の表情を見ると、DKがJKに成りすましていることが、即座に判る。成りすましのJKの口は裂けている。昔、山ノ手線の池袋~新宿間に出没した口裂け女を彷彿させる。スカートは、めっちゃ短い。ここまでスカートの短いJKは、小平駅にも国分寺駅にもいない(八王子駅とか相模原駅ならいる)。外側に毛皮を貼ったようなヒールを履いて、そこら中に、星がきらきら輝いている。髪は短く、刈り上げor二ブロック。描いている本人が、楽しんでいる。試験であれ、公式戦であれ、リア充系の告白であれ、楽しんだもの勝ち。
「ショーシャンクの空に」の主人公が、穴を掘っているイラストも見た。絵はちっちゃくて、周囲の空白の部分が大きい。脱獄できるまでの、長い年月を想像させてくれる。read between linesってやつで、余白を巧みに利用している。セリフも、simpleに「ショーシャンク」としか書いてない。「ショーシャンクの空に」の映画を見てないと、この絵の意味は理解できない。音楽は知識、教養がなくても、直観で理解できるが、絵画や映画、アニメなどを理解するためには、教養が必要。
 雨の日=自由という作品もあった。晴れていると、外でactiveに活動しなきゃいけないし、人とのコミュニケーションもあって、いろいろ制約も発生する。雨の日は、晴耕雨読で、自宅で古典などを読んでいれば、人に煩(わずら)わされなくて、自由ってとこも、まあある。新海誠さんのアニメだと、高校生のboyは、雨の日のみ、公園の四阿(あずまや)で、古典の先生と会って喋ることになってる。サウンドオブミュージックの「My Favorite things」の歌だと、Rain Dropが好きだというフレーズが出て来る。インドだと、モンスーンのみが、豊かな実りを保証してくれるので、雨乞い専門の祈祷師とかだっている。いろいろトラブルがあっても、雨が降れば、何もかも水に流せるかもしれない。雨降って、地固まるとかの俚諺もある。「雨の日の初恋」といったポップスの名曲もある。雨は、自由だけじゃなく、その他、もろもろの特典いっぱいで、お得感を感じさせてくれる。 男の子が、寝っ転がって、夜空を眺めている絵があった。私は、武蔵野市に長年住んでいるので、井の頭公園や小金井公園の芝生に寝っころがっても、夜空の感じは、充分に掴(つか)めないと理解している。私の故郷の四国の高知市とかでも、もう星は、さほど見えない。人口30万人くらいの地方都市でも、夜は充分明るい。四万十川の河口の町に住んでいた頃、夜中に車で四万十川を遡って行って、ふと谷底から夜空を眺めると、満天のスターダストだった。ああいう宇宙観を、子供の頃、しっかり体験しておけば、自由とか平等、正義、勇気といった第一義的な徳も、多分、皮膚感覚で理解できるようになる。小学校の夏休み、4年生or 5年生あたりで、無人島で一ヶ月過ごすみたいなイベントをやっておけば、子供たちの人生は、それだけでも、一気に豊かになると思う。
 魂に羽が生えたようなエンジェルが、お墓からふわっと出て来て、飛翔している絵があった。死んだ後、魂に羽が生えて、天国に行けるとどうかは判らない。が、行けないとも言えない。本当の所、ぶっちゃけ、良く判らない。そう言った、高校生のリアルの考えが、表現できていると思う。学校じゃ、何もかも判ってる、理性なりAIなりで、すべてが解明できるという「てい」で、教えたり、教わったりしてるわけだが、その実、本当に大切なことは、結局、誰も知らない。これは、ソクラテス以来、いや人類が誕生して以来の人間が置かれている実存的状況だと言える。
 筋トレで、筋力をきっちり鍛え、お腹の筋肉がぱっくり三段に割れ、ホエイのプロテインなども、飲みまくっていると推定できるガタイのいい、男の子の肉体を描いている絵があった。言わんとすることは、筋力がないと、何ひとつ自由にはできないということだろう(ハンチバックの主人公のようにsexだって、ボランティア任せになってしまう)。健全なる精神は、健全なる身体に宿るだから、頭を鍛えるよりも、身体を鍛える方が、先決問題。窓枠を使った懸垂をやらなくなった私は、今、ちょっと後ろ向き。ペットボトルダンベル使って、腕の筋力の鍛えるべきかと、この絵を見て、多少、心を動かされた。
 頭の中で、ゴジラが飛行機を叩き落そうとしている絵があった。頭の中は、完全に自由。ただ、頭の中の世界を、どこまで拡張していいのかは、今の所、不可知らしい。だから、AIに丸投げというのも、それはやっぱり違うだろうと、思ってしまう。
 夢の中のイメージを描いている作品もあった。が、夢は自由じゃない。無意識に支配されている。自我は、夢をコントロールできない。自由じゃないから、夢は、fantasticで楽しいってとこも、まああると思う。

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