公#53「日本の経済は、もうさほど発展しません。経済的には、明らかに斜陽の国です。斜陽の国で、幸せを追求するために、とうとう、大学の学部で、幸福について、教え、学ぶようになったという風にも考えられます」
「公共ノート53」
武蔵野大は、今年の4月、世界で初めてのWell-Being(幸せ)学部を立ち上げた。Well-Being(幸せ)を、大学の学部で調査、研究することが、本当に可能なのかどうかは、判らないし、一体、何を武器にして、どういうとこに就職するんだろうと、素朴な疑問も抱いてしまう。Well-Being学部で、4年間過ごして、単位を取って卒業すると、人を幸福にするスキルが身につき、どういう職場に行っても、ムードメーカーになって、周囲の人を幸福にできると言った風なことには、多分、ならないと想像できる。
武蔵野大は、西本願寺系の大学。京都の西本願寺の傍の龍谷大学(関西のくくりでいうと、産近甲龍のひとつ。ちなみに産は京都産業大学、近は近畿大学、甲は甲南大学、で、龍谷大学。この4つの中で、頭ひとつ抜けているのは、マグロの養殖とマグロ食堂で有名な近畿大)の姉妹校だが、学生には仏教は、一ミリも浸透してない。まあ、ミッション系の場合も、中高時代、ミッション系の学校で過ごした生徒じゃないと、ミッション系のカルチャーは感じないそうだから、ましてやシャクソン(釈尊)系、をやって、感じはする。 ミッション系で、幸せを教えるのは簡単。キリスト教を信じること=幸せ、だと断言できる。武蔵野大はシャクソン系の西本願寺派だから、浄土真宗。浄土真宗の開祖は親鸞さん。親鸞さんが説く、阿弥陀仏に対する「絶対他力」と、阿弥陀仏からの「自然法爾」(しぜんほうに)を信じることが幸せという風な講演内容では、まったくなかった。親鸞さんというビッグネームも、シャクソン系のテクニカルターム(専門用語)も、一切、登場しなかった。私のひが耳でなければ、Well-Beingを実現するためには、自力での救済が求められていると判断できた。
武蔵野大は、Well-beingの研究所も立ち上げているらしく、そこの副所長さんが、司会をされていた。無論、副所長さんも日夜、Well-Beingを希求されていると推定できる。
受付に女性のスタッフが三人いた。年齢層は、若手、中堅、ベテラン。この三人は、みんな丁寧な応対はしていたが、笑顔にはほど遠い生真面目な表情で「そこは、やっぱり口角を上げて、作り笑顔なんじゃないですか?」と、突っ込みたくなった。幸せになるためには、まず、口角を上げて、笑顔を拵える、これくらいのことは、ちょっと気の利いたJKなら誰だって知ってる。
司会の副所長さんは、ちょいちょいボケながら、イベントの進行をしていた。ウケても、ウケなくても、自らが率先してボケて、自らが笑う。幸福になるためには、そういう努力も、必要だろうと想像できた。
来賓の一人が、長寿の秘訣は、①バランスの良い食事、②適度な運動、③人とのお喋りだと、述べていた。これは、つまり長寿=幸せというコンセプトが、根底に存在している。が、正確に言うと、健康長寿=幸せだと、規定しなければいけない。鼻チューブを入れて栄養を送り込む、あるいは、胃に穴を開けて、必要な栄養を補給する。で、本人は、動けなくて寝たきり。この無理やり生かしている状態を、幸せだとは言いにくい。
私の母親は、85歳で認知症になった。認知症になって、自分の息子である私のことが、判らなくなった。当然、私の妻のことも、認識できない。人格が分裂して、5人くらいの人格が、次々にchangeした。が、この認知症、人格の分裂は、ひとつの状態(自我のコントロール)から、別の状態(自我の非コントロール)に移っただけのことで、幸、不幸には無関係だと判断できた。唯、困るのは徘徊されること。多摩地区であっても、認知症の85歳の老人が勝手に一人で歩いて、リスクがなくて安全だとは、とても言えない。誰かが一緒について歩かなきゃいけない。私と妻が、交替で、母親に付き添って、歩いたりしていたが、学校の仕事を辞めない限り、親の介護には専念できないという簡明な事実に、ぶち当たった。私が、学校をやめたら、一番、困るのは部活の生徒たち。
結局、母親には介護をしてくれる病院に入院してもらった。病院側にしてみると、夜中に勝手に徘徊されたら困る。夜は、動けないように、手足を拘束されていた。それが、嫌なら、自宅でケアしなければいけない。その内、母親は諦めて、昼間、歩くこともしなくなった。モノも食べなくなったので、点滴注射で、栄養を補給することになった。その内、血管が硬くなり、静脈注射の針が入らなくなってしまった。主治医に、鼻にチューブを入れて、栄養を補給しますと言われた。母親は、延命はするなと、認知症になる前に、私には言ってた。が、きちんと文書でそれを明示していたわけではなかった。医者が、鼻チューブで栄養を送りますと言っているのに、それは嫌ですと、拒否することもできない。あと、2年半後に、完全リタイアしたら、自宅に引き取って在宅介護をしようとは、考えていた。
ある夜、AM3時過ぎに病院から、電話がかかって来た。すぐに来て下さいと言われて、妻とタクシーに乗って、駈けつけた。到着したのはAM4:00。が、AM3時に看護婦さんが巡回に行った時、すでに死亡していたらしい。母親は、AM12:00~3:00までのどこかで、誰にも看取られず、一人で死んだ。が、まあそれは、別段、後悔はしてない。母親は、そういう運命だったんだと私は割り切っている。
寝たきり状況に陥って、本人が生きることを拒否したら、もうそれは幸福な状況とは言えない。この不幸な状態を、少しでも早く終わらせるために、母親はモノを食べなくなったと理解できる。私が、同じ状況に陥れば、母親とまったく同じことをする。が、私は、最後まで、自分の足で歩けることを目指している。寝たきりの状態には、絶対にならないという(根拠のない)自信もある。
自分の足で歩けて、モノも自分の歯で食べ、夜、普通に眠れたら、健康長寿で、幸せだと言える。日本の高齢化率(65歳以上の高齢者が総人口の29.3パーセント)は、世界200ヶ国中、トップ。先進国の中でも、ダントツのトップだと言える。ちなみに幸せ度は、先進国中では、ほぼ最下位に近い。65歳以上の高齢者が、健康長寿を保てば、幸せ度は確実にupする。高齢者になっても、普通に歩けるし、日々、楽しいし、幸せだってとこを、ちゃんと教え子には、見せなきゃいけないと自覚して、自分としては行動しているつもりでいる。