創#790「小学生の頃は、自然の中で遊び、中学時代は音楽に夢中になり、高校の3年間は、文学とアートと映画にのめり込む。ITは、大学生になってからでも、充分、間に合うと思います」

      「降誕祭の夜のカンパリソーダー535」

「石を投げる水切り遊びは、オレもやった。平たい石で水が切れるのは当たり前だ。平たくない平凡な石の塊で、水を切れる奴が賞賛された」と、私はYに言った。
「水切り遊びというのは、平たい石を投げて、水面を何度かジャンプさせる遊びだな。ここらは、川幅が狭かったから、自分たちはそういう遊びはしてない。それに、夏も水が冷たいので、川で泳ぐこともなかった。山奥の村では、川遊びは充分に楽しめない」と、マスターは率直な口調で言った。
「川釣りとか川ガニの捕獲とかは、しないんですか?」と、私は訊ねてみた。
「そういう経験もない。もっと下流じゃないと、無理だな。水はきれいだが、冷たくて、多分、川魚だって暮らしにくいとこだ」と、マスターは返事をした。
「当然、冬場はそこらの道路や畑にも、雪は積もりますよね」と、私が言うと
「無論だ。昔は、冬場になると、村の中に閉じ込められた。こんな田舎なので、車が走る広い道路もなかった。だから車も入って来られない。急病人が出ても、家に置いてある薬を飲ませて、安静にして回復を待つしかなかった。今は、119番にかければ、町から救急車が来てくれて、町の病院に運んでくれる。立派な道路ができて、モータリゼーションの波もこの田舎にまでやって来て、やっぱり便利になった。冬の間、ずっと閉じ込められていた昔の村を、懐かしく思い起こすことはあるが、もう一度、あの不便だった生活をやってみろと言われたら、嫌だな」と、マスターは率直な口調で語った。
「自分の故郷が、ある程度、便利になったから、Uターンされたってことですか」と、私はマスターに訊ねてみた。
「まあ、そうだな。若ければ体力もあるし、どんな不便だって、耐え忍べるが、歳を取ると、そうそう自分の体力を過信することもできない」と、マスターは言った。
「中国の昔の絵を見ると、年寄りの爺さんと、童子が一人描かれてたりしますが、あの童子は、本当はもっと成長していて、体力のない爺さんを、サポートするために、付き添っているってことですか?」と、私はマスターに訊ねてみた。
「車、電気、ガス、水道、電話などがない不便な山奥で生活する年寄りには、やはり体力のあるサポートしてくれる若者が必要だろう。爺さんと孫と言った風な肉親の繋がりで、サポートする若い男の子がいたりするんじゃないかな。若い頃に、そうやって、サポート役を務めて、次に自分が年寄りになった時には、自分もサポートされる、そういう仕組みだったんだろうな。まあ、中国の古代だと、年寄りは知識もあったし、尊敬もされていた。サポートされる若い男の子は、爺さんからさまざまな知識を学びながら、体力仕事を引き受けていたという風に考えられる。現在の日本の年寄りたちだって、知識はあるが、戦前の軍事国家的なエートスを叩き込まれている世代だから、戦後の民主主義世界で育った若者たちには、リスペクトされないってとこもある。それに、文明や科学が進歩して、その進歩した世界に若者は慣れているが、年寄りは取り残されている。戦後の年寄りは、戦前の年寄りに較べると、恵まれてないと言えるかもしれない」と、マスターはこぼした。
「マスターには、奧さん、子供さんが、いらっしゃらないという気配が濃厚なんですが、ずっと御一人で暮らして、独身なんですか?」と、私は、不躾な質問をした。
「戦後の個人主義の影響を受けた。家とか戸長とか、そういうものは存在しなくなったとsimpleに信じた。人間は、スタンドアローンで生きて行けると、若い頃、確信していた。で、ふと気がつくと、独身のままもう還暦が目の前に迫ってしまっている」と、マスターは返事をした。
「マスター御自身が、スタンドアローンで生きて行くと、若い頃、決意されていたんじゃないんですか?」と、Yが切り込んで来た。
「確かに、決心してたな。結婚をして家を継ぐいう立ち位置ではなかった。何をしても自由、そういう恵まれた状態だった。不惑を過ぎて、故郷に戻って来た。新宿の西口に住んでいた。天気の特別いい日には、富士山が見えた。まあしかし、新宿から見る富士山とかって、ちっちゃなプリンみたいなものだな。他の山々は、ほとんど見えない。北と東と南の三方向には、山も川も海もない。そういう風景が当たり前だと思っていたが、ある日、突然、そこら中、山だらけの故郷に帰りたくなった。未来の展望とかがあったわけじゃない。衝動的な行動だ。が、衝動的に中央線の電車に飛び込むよりは、はるかにポジティブで、前向きのactivityだと言える。よろず屋の経営にあくせくしてる間に、20年が、またたく間に過ぎ去った。この20年の経過が、正直、あまりにも早すぎるという感じがする。若い頃の自分の感覚だと、2年くらいの長さだ。時間が過ぎ去って行くspeedが、等比級数的に速くなっている。40歳くらいの頃、そのことに、薄々は気がついていたが、今は、薄々じゃなく確信できている。が、今さら、時計を巻き戻すこともできない。家の制度があって、結婚するのが義務だという縛りがあった方が、平凡な人間は、息災に幸せに生きて行ける。自由というのは、才能のゆたかな、creativeな個人にとっては、どうしたって必要なものだと思うが、平凡に生きて行く普通の人間には、やっぱり、自己を制約する縛りがないと、結局、易きに流されて、時間だけが過ぎ去って行く。君たちは、学生だ。学生だったら、卒業はちゃんとしなきゃいけない。その後、何らかの職業に就いて地道に働いて、当然、結婚もする。子供も育てる。今の時代だから、そう年寄りの我がままは許されないのかもしれないが、上手く行けば、爺さんになって、孫がサポートしてくれる。孫がサポートしてくれた場合、孫に何かを与えてあげなきゃいけない。最近の年寄りは、お年玉とか小遣いを与えて、孫の歓心を買おうとしているが、それよりは、知識やスキルを与えてあげた方がいい。川釣りや川ガニの捕獲が得意なら、それを教える。論語・孟子をマスターしていたら、それの素読を教えてもいいと思う。サポートしてもらって、takeするなら、何らかのgiveは用意しておくべきだ」と、マスターは我々に伝えた。

いいなと思ったら応援しよう!