自#352「本格的な電子図書の時代がやって来ると、取り次ぎも、書店も、書店員も不要になるわけで、大きな文化が、一挙に失われてしまうと、やっぱり思ってしまいます」

         「たかやん自由ノート352」

 大阪の隆祥館書店の店主の二村知子(ふたむらともこ)さんのインタビュー記事を、beで読みました。隆祥館書店は、売り場13坪の小さな書店です。千坪を超える大型書店と較べると、百分の一くらいの規模です。店は狭く、棚も少ないのに、表紙を見せて、平積みっぽく本を棚の枠に並べてたりします。ストックしている本の数が少なくても、店主が選んだ「推し」の本を売るという経営方針です。小規模店は、店主の努力と工夫と誠意がなければ、生き残れない時代です。平積みしておくだけで、次々と立ち寄る客が買って帰るようなベストセラーは、小規模店には、なかなか配本されません。ベストセラーは、売れそうな大規模店やアマゾンに優先的に配本されます。大きくて、強い者勝ちです。書店の世界は、決して、民主主義的ではなく、弱肉強食です。

 私は、去年の4月から、武蔵境駅南口から、徒歩7、8分の小さなS書店(文具屋を兼ねています)を利用しています。駅前の文教堂は、人が多いので、密を避けるために、お客さんが限りなく少ない、小さな書店に行くようになりました。基本、本らしい本は置いてません。新聞や雑誌の書評などを読んで、興味を持ったら、S書店で注文して購入します。注文をして、書店に届くのに、普通に1週間くらいはかかります。が、一刻を争って読まなければいけないような本は、半分、隠居生活に入ってしまっている私には、存在してません。「鬼滅の刃」の最終巻を注文した時、「発注はしますが、入って来ないかもしれません」と、言われました。まず、アマゾンや大型店の注文に応じ、在庫が残っていた場合のみ、取り次ぎの東販or 日販は小さな書店に配本するという仕組みです。

 ベストセラーに頼らず(配本されないかもしれないので頼れません)いい本を見つけて、それをpushしてお客さんに買ってもらう、そういう戦略が、小規模店には必要です。武蔵境のS書店も、以前の学校に勤めていた時、やはり行きつけだったG書店も、特別な努力、工夫はしてません。どちらもマンションの一階に店舗があります。マンションのオーナーなんです。書店のファミリーは、家賃収入で食っているし、どちらも近隣の学校に教科書を納入しているので、それも、多少は、利益を上げているんだろうと想像しています。

 隆祥館書店は、父親の代からの書店で、おそらく店は自前で、家賃を払って書店経営をしているわけではないと思います。大阪の一等地で家賃を払っていたら、どんなに自助努力をしても、小規模店では、立ちゆかないだろうと推測できます。

 私が住んでいる武蔵境は、駅の北口に、以前は、本屋が二つありました。その二つとも潰れました。駅から離れた多少不便な店は、ポルノ系が充実していたんです。が、680円で、120分のDVD付きのエロ雑誌であっても(私の教え子が一時期、そういう雑誌の編集をしていました)もうポルノは売れません。街のあちこちにあった昼間は見えないように、銀のスクリーンで覆ったポルノ雑誌の自販機も、見かけなくなりました。今やネットに行けば、エロはいくらでもあります。わざわざお金を出して、本屋でこっ恥ずかしい思いをしながらエロ雑誌を買ったり、人が見てない時に、こそこそ自販機で購入したりする必要は、もうまったくありません。まずポルノ系充実の書店が潰れ、その後、普通の小さな書店が姿を消しました。

 多くの小さな書店は、マンガ雑誌も含めた雑誌を売って、経営を支えていたんです。が、雑誌はコンビニでも売るようになりました。ちょっと立ち寄った時、コンビニでついでに雑誌も買う、これが普通のライフスタイルになりました。小さな書店に決定的なダメージを与えたのは、アマゾンではなくコンビニです。アマゾンがいくら便利でも、届くのが翌日のアマゾンで、雑誌を買う人はいません。ちなみに、私は、S書店で雑誌を買っています(アエラ、週刊プレイボーイ、週刊文春、週刊現代など)。近所のコンビニにも、イナゲ屋にも雑誌はあります。が、書店を守らなけばいけないと、考えているんです。私がささやかな努力をしても、世の中の趨勢は変わりませんが、だからと言って、流されたくはないです。アマゾンで本を購入したことは、一度もありません。アマゾンですと翌日に届き、S書店ですと、注文品は一週間かかります。注文に行ったり、本が届きましたという留守電を聞いたり、取りに行ったりする手間もかかります。が、便利なものには、軽々しく頼らないと言うのが、私のポリシーです。

 二村さんの書店で、平積みっぽく並べてあるのは、原発関連の本(原発に反対する系のそれです)、医療系の問題をフューチャリングした本、スコットランド&ケルト系、井上ひさしさんや暮らしの手帳と云った昭和のよき時代にタイムスリップする系、などなどです。書店として打ち出すテーマを、はっきりさせているんです。大都会の大阪だから、 この手法で、経営は成り立っていると言えます。私の田舎の四国の高知で、これをやれば、多分、潰れます。本を選んで読むためには、ある一定レベルの基礎教養が必要です。その基礎教養を身につけた人の割合が、都会も田舎も同じだとしても(おそらく都会の方が、割合は多いとは思いますが)田舎は人口の絶対数が少ないので、店主が魅力的なテーマで、本をプレゼンしたとしても、買ってくれる人の数は、ごく少数です。都会の一等地で、(おそらく)家賃を払わず、自前の店であれば、こういう手法で、小さな店も生き残って行けるんだろうと想像しています。

 当然ですが、店主には本に対する熱い想いがあります。二村さんは30代で結婚に失敗し、パニック障害になった時、星野富弘さんの「愛、深き淵より」に出会って、救われたそうです。アリストテレスの発見と急転ではないですが、そういう人生を変える、一冊にお客さんが巡り会って欲しいと、店主は切望しています。その真摯な姿勢が、お客さんのハートに届けば、お客さんは、リピートして通ってくれます。

 私は、小さいころから随分と本を読みました。ものごころついた時は、もう本を読んでいました。本が空気のように当たり前で、特定の一冊に出会って、救われたと云った経験は、残念ながらしてません。が、もっとも影響を受けたのはドストエフスキーです。ドストエフスキーは、人間性の闇と光の部分を可視化してくれます。ドストエフスキーを読むとなると、ある程度、手間ひまはかかりますが、若い人に推すとなると、やっぱりドストエフスキーの著作(カラマーゾフの兄弟、罪と罰、白痴、悪霊など)です。

 自宅に本の置き場がないので、図書館の本を借りて来て読もうと考えた時期が、少しだけあります。50代の半ばくらいの頃です。で、武蔵野市や三鷹市の図書館で、本を借りて来て、読んでいました。アニメ関連の本は、この時期に読みました。本の貸し出し期間は、2週間です。そうすると、二週間の内に、借りて来た本を読み切らなければいけないというプレッシャーが、自分にかかって来ます。一定期間に本を読むのが、ノルマのようになりますし、学校で出される宿題のような感じにもなります。自主的に取り組む勉強と、学校の宿題とを比較すると、自主的に取り組む方が、はるかに力がつきます(5倍を超えていると思います)。本を読むのが、ノルマとか、課題のようになって、読み終えることが目的になってしまうと、本そのものの楽しさをenjoyする世界からは、離れてしまいます。本は、やはり自分で買って、気ままに読むものです。図書館で本を借りることは、やめました。

 近所の小さな書店に読みたい本が置いてあれば、それがbestです。私は、もう新刊には、さほど興味はないので、個性的ないい古本屋が近くにあれば、それで事足ります。個性的ないい古本屋がなければ、ブックオフで我慢しますが、現在は、吉祥寺と武蔵境に一店ずつ、行きつけの古本屋があります。

 ある出版社の人が「町の本屋は人間なら毛細血管。これがやられると最後は心臓が止まる」と言ったそうです。正直、町の本屋は、別にここまですごくはないです。が、本を読むことを、ライフスタイルの中に取り込んで、ごく自然に、読書ができれば、間違いなく、ハピネスの水準はupすると思います。

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