自#437「お金がいっぱいあったら、間違いなく人間は弱くなります。たいしてお金とは縁のない人生だったので、その点は、luckyだったと思っています」
「たかやん自由ノート437」
ギリシアもローマも、普通の市民が、戦争をする時は、武装して戦います。指揮官も政務官から横滑りして着任します。カエサルの時代は、市民皆兵の原則は、かなり崩れていますが、それでも、生粋のプロの軍事集団とはとても言えません。ライン川を越えて、ガリアに侵入するゲルマン人は、authenticな軍事集団です。農業も一応、やっていますが、それは女性、子供、老人の仕事で、成年の男たちは、略奪と戦争が仕事です。戦いで奪い取ることは、ゲルマン人にとっては正義です。ゲルマンのアリオウィストスという部族長は、カエサルが送り込んだ使節に
「自分が戦争で取ったガリアの土地に、カエサルやローマが何の用があるのか。不思議なことだ」と、自分の意見を述べています。ローマの軍隊を攻めたわけではなく、ガリアの部族を襲って、土地を奪っただけです。ローマやカエサルが、文句をつけることが納得できません。ゲルマンの族長には、ローマがガリアを帝国主義的に支配しようとする意図もコンセプトも、理解できないんです。
「ローマが支配するなら、自分たちも同じように支配する。ローマがそれを許さないというのであれば、ローマとの戦争で決着をつける。十四年間も屋根の下に入ったことのない、戦争にもまれた不屈のゲルマン人の武勇を思い知らせる」と、アリオウィストスは、きっぱりと宣言します。外交および金品でゲルマン人を籠絡し、懐柔すると言ったことは、この頃は、まだ不可能です(150年くらい経て、タキトゥスがゲルマニアを書いた頃は、ローマに接しているゲルマンの部族は、かなり金品に目がくらむようになっています。古代スパルタが、ペロポネソス戦争以降、アケメネス朝ペルシアの金品に懐柔されたのと、同じです。歴史は、ある意味、繰り返します)。
ゲルマン人は、法外な体格を持ち、信じられないほど勇気があり、戦争で鍛え抜かれていると、ガリア人や商人から、決してはったりではない事実を聞かされて、半分、アマチュアのローマの兵士たちは、当然、びびります。大きな恐怖にとらわれて、士気はいっぺんに下がり、精神をかき乱されて、パニック状態になります。戦う以前に、気持ちで負けてしまいます。
教員になった頃、仲のいい生徒に、試合を見に来てくれと言われて、ラグビーの公式戦を見に行ったことがあります。相手は、私立の強豪校でした。前半は、キャプテンが身体を張って声を出しまくり、一点も取らせず、お互い無得点で終了しました。休憩時間の時、相手チームの監督が、スタメン全員を横一列に並ばせて、大きな声で
「都立のあんな弱小チームを相手に、一点も取れないとかって、どういうことだ。お前たちやる気、本当にあるのか?」と怒鳴り、その後、一人一人、チームメンバー全員の顔を、拳骨で殴りました。この光景を見て、都立の弱小チームの我々は、間違いなくびびりました。こういう相手と戦うのは、無理だと、ただ観客として見ていただけの私でさえ、思ってしまいました。で、後半は、ボロ負けしました。
高校の地区予選の一回戦であろうと、ゲルマン人とのバトルであろうと、理屈は同じです。気持ちで負けて、勝負を諦めたら、そこで終了です。
指揮官は兵士の気持ちを奮い立たせ、士気を高める必要があります。カエサルの子飼いの第十軍団は、相手がどんなに強くても、power 全開で戦い抜きます。戦いというのは、気持ちで負けなければ、たとえ勝てないとしても、負けることはありません。相手が、圧倒的に強ければ、無謀な正面衝突を避け、ゲリラ戦術に切り換えればいいんです。ローマには、ゲルマン人を圧倒できる土木工作技術があります。巨大な攻城機などを、数日間で拵えることができます。ゲルマン人は、ローマの兵士の勇気には、別段、びびりませんが(勇気のレベルはゲルマン人の方がはるかに上ですから)攻城機や橋を作る技術には、一目置きます。
カエサルは、ライン川を渡って、ガリアに侵入しようとするゲルマン人を、ライン川の右岸(東側)に押し返しました。ガリアの秩序を取り戻したと言えます。ライン川の右岸(つまりゲルマニア)と左岸(ガリア)を比較すると、左岸のガリアの方が、ゆたかな土地です。ゲルマン人が、右岸にとどまったのは、ゆたかな土地に移動することを、まだ、それほどは望んでいなかったということです。この頃のゲルマン人は、貧しい土地でも、我慢できたんです。ゆたかな土地に憧れる気持ちを増幅させたのは、ローマがその後、ゲルマン人に提供した金品です。金品で懐柔されたゲルマン人は、間違いなく弱体化しましたが、それ以上にローマの方が崩れて弱くなっていたので、その後のゲルマン人の大移動によって、ローマの西半分は消滅しました。
カエサルは、ゲルマン人の生活の様子も少し綴っています。土地の私有の概念はなく、同じ土地に、長い間、とどまることはありません。穀物はあまり摂取せず、乳製品、家畜、あと狩猟の獲物を食べています。極寒の地方でも、基本は裸体。ほんの申し訳程度に、獣皮を身につけています。戦争を始める時は、ことごとく武装して集まりますが、最後にやって来た者は、殺されるそうです。これは勝利のための犠牲と云った意味合いもあったのかもしれません。
農耕は、基本、蔑視しています。これはゆたかになることを、警戒していたってとこも、きっとあります。ゆたかになって、財産を持つようになると、弱くなります。失うものがない方が、人間は強く生きて行けます。一定の土地に、長く居住しないので、ちゃんとしとた家を建てたりもしません。せいぜい粗末な小屋です。戦争をするのは、略奪してゆたかになるためではなく、戦争が好きだから、その好きなことに没頭してるってとこが、カエサルの頃のゲルマン人には、確実にあります。部族の外で行われる強奪などは、決して、不名誉なことではありません。青年の怠惰を抑え、自己訓練をするために、他の領地に行って強奪することは、むしろ推奨されています。このヘンは、スパルタとまったく同じです。
童貞を長く守っている者が、絶賛されます。結婚前のsexなどは、ほとんどなかったと思われます。童貞を守ることによって、身長も伸び、体力や神経が強くなると、ゲルマン人は信じています。これは、まあ現代の医学に照らし合わせても、多分、そうだと言えます。中学生くらいでsexをしてたら、あとの人生は、だいたいにおいて、ダダ崩れです。
カエサルの「ガリア戦記」は、自己の主観や感情を交えず、客観的かつ的確に、必要なことを簡潔に述べています。なるほど、これはやはり名文だと納得しました。