自#689「ファイザー社のワクチンの3回目を接種しました。副作用は、皆無でした。副作用が、まったく皆無だと、これ、本当に効くんだろうかと、懐疑的な気持ちに、やっぱり陥ってしまいます」

「たかやん自由ノート689」(自己免疫力35)

 コロナワクチンの3回目を、2月下旬の日曜日に、ようやく接種しました。モデルナ社製とファイザー社製の2つのワクチンのどちらかを打つわけですが、モデルナ社製のワクチンの供給量が多いらしく、多くの会場が、モデルナ社製ワクチンでした。市から送られて来た説明書には、三回目がモデルナでも、何ら問題はないし、研究機関の調査研究によって、三回目に異種のワクチンを接種しても、効果は充分に担保されている、といった風なことを書いてありました。
 ですが、会社が違えば、ワクチンの分子構造だって違う筈です。これまで、2回、ファイザー社製のワクチンを打って、副作用がどのレベルのものなのか、私自身、充分に把握しています。新たな種類のワクチンにchallengeすることには、やはり抵抗があります。あくまでも、ファイザー社製にこだわったので、ちょっと時期が遅くなり、集団接種会場では接種できず(やはり寄らば大樹の陰で、多くの人が接種する会場の方が、小さな医院より気持ち的に安心できます。キャンプに行って、30人くらいの大人数のカレーを作る場合、誰が作っても、だいたい悪くないというレベルのカレーになりますが、2、3人前のカレーを作るとなると、その味は、ピンキリになるみたいな理屈で言うと、やはり大人数の会場の方が望ましいと言えます)、地元の小さな医院で接種することになりました。 私は、病院が生理的に嫌いなので、病院に出むかなければいけないと考えると、それだけでメンタルが下がります。メンタルが下がれば、当然、免疫力も低下します。そうすると、ワクチンの副作用も、より強く出てしまいます。この負のスパイラルを断ち切るために、今、流行の歩くだけのマイドフルネスなどを、実践しながら(歩行マインドフルネスというのは、つまり坐禅の世界でいうところの、経行『きんひん』と同じです)会場の医院に向かいました。
 接種会場の病院名と住所は、予約した段階で、知らされていますが、電話番号は掲載されていません。電話による問い合わせが多いと、業務に差し支えが出てしまうということだと理解しています。私も、突然、かかって来た、相手が解らない電話には、もう出なくなりました。電話を使わない便利さに、ようやく気がつきました。鎌倉時代になかったものは、やっぱり基本不要だなと、改めて、思ってしまいました。
 医院は解りにくい場所にありました。同じビルの中に、内科、整形外科、耳鼻科の3つの病院が、2階と3階に同居しています。3つとも、申し合わせたように、解りにくいんです。これは、つまり病院に通っているということを、知られたくない患者さんへ配慮なんだろうと想像できます。階段とエレベーターがありました。いつも通り、階段を使いたかったんですが、接種前に階段を昇ったりして、ヘンに身体を熱くしたりしてもいけないと懸念して、ほぼ2年ぶりくらいに、エレベーターを利用しました。2年ぶりに乗って、エレベーターのあの浮遊感は、やっぱり決して、気持ちの良いものではないなと、感じてしまいました。
 入り口に、消毒液とか、体温計とかは設置されていません。こういうざっくり感は、嫌いではないです。体温は、朝、自宅を出る時、計ってあります。手は家で洗って出て来ました。歩いて、医院に行きましたから(この頃、基本、移動は歩きです)何にも触れてません。エレベーターのボタンは、JKのように萌え袖にして押しました(あっ、私はウィンドブレーカの萌え袖です。JKの萌え袖は、イーストボーイの紺やパステルカラーのカーディガンとかです)。
 医院の中の空気は、悪かったです。私は、授業に行く度に、入った時のCO2の濃度をcheckしています。40人詰め込まれている教室の空気は、すべての窓を全開にしない限り、良くなりません。冬場、それでは寒いし、夏はクーラーが効かなくなります。都教委の指示通り、窓際の一番前と、一番後ろの窓と、廊下の両方のドアを、すこしずつ空けていますが、それでは、正直、焼け石に水って感じです。ただ、まあ私と生徒との距離は、確実に1メートル半くらいは離れています。授業中に喋っているのは、私だけです(生徒への発問などは、コロナ禍に入ってからは基本してません)。私が感染してなければ、私の授業中に、クラスターは発生しません。私が、感染しないためにも、不本意ですが、ワクチンはやっぱり打たざるを得ないんです。
 医院の待合室の空気が悪いのは、窓がないからです。換気は無論していますが、窓を開けて、directに外気を入れないと、本当の意味での換気はできません。私は、ライブハウスにしょっちゅう行ってました。空気の状態が良いライブハウスは、皆無です。ステージでスモークをたくので(実際は煙状にした化学的な物質の散布ですが)より一層、空気は悪くなります。ライブハウスに限らず、換気についてたいして配慮していない建築物を造り続けた挙げ句の果て、天罰のようにコロナ禍がやって来たと、考えられなくもないです。そう考えると、昔の日本の家は、換気という観点で見て、申し分のない建築物でした。
 私が、到着した時、待合室には、一人だけ接種を済ませた方がいました。15分の経過時間を、待合室で過ごしているんです。私が、処置室に入って問診を受け、接種をしている間に、その方は、お帰りになっていました。私が、接種を済ませて、待合室に戻って、経過時間を過ごしていると、次の接種の方が来ました。20人以上が座れる場所ですが、どんなに多くても、二人以上の人は、待合室にはいません。そこは、予約の段階で、綿密に割り振りをしているわけです。
 集団接種会場には、とんでもなく沢山の人がいました。1回目はまだ慣れてないということもあったと思いますが、1時間以上前から来て、待っている人が、沢山いました。スタッフの数も、えっ、本当にこんなに必要なのと、こちらが懸念してしまうくらい、大人数でした。市にしてみると、スタッフを多くして、サーヴィスを手厚くしようという心づもりなんだと推定できますが、密になるので、正直、望ましくないと私は思ってしまいました。集団接種会場よりも、少々、空気が悪くても、個人の医院の方が、はるかに感染のリスクは少ないなと理解しました。
 接種する前に、看護師さんに、「はっきり聞こえる声で、ゆっくりとお名前をフルネームでおっしゃって下さい」と言われました。その口ぶりは、妙にフレンドリーかつ、優しい言い方で、認知症の兆候がないかどうかを、確かめておきたいといった雰囲気でした。まあ、それは私の邪推で、お年寄りの方に、フレンドリーかつ親切に話しかけるという習慣が身についているんだろうと、推定できます。そういうフレンドリーな優しさ、親切が心地良いというお年寄りもきっと沢山いると思いますが、私は、人に親切にされることが、さほど快感ではない天邪鬼なキャラなので、うーん、コレ、ちょっと気持ち悪いかもと、思ってしまいました。
 集団接種会場の医者の問診は、ほぼないに等しかったんですが(何か具合の悪いとこ、ありますか、なければ、お進み下さいと、秒で終了しました)医院では、お医者さんが、結構、こと細かく丁寧にいろんなことを聞いてくれました。これもまあ、丁寧で親切な先生の姿勢に、よい印象を持たれる方は、沢山いると思いますが、医者嫌いの私には「どこか多少なりとも悪いとこがあれば、即座にウチの病院で対応しますから」というビジネスパーソンとしてお医者さんのもうひとつの顔が、見えてしまいました。
 3回目の接種の副作用は、まったく皆無でした。本当に皆無です。化学物質を、強引に身体に挿入して、副作用が皆無だというのも、何か怖いなと思ってしまいました。つまり、私は、フアィザー社のワクチンに慣れてしまったんです。今回のワクチン量は、1、2回目の半分ですが、普通に考えると、ワクチンの量を増やさないと、効かないような気がします。副作用がない=効かない、が、正しいのかor notなのか、解りませんが、とにかく、3回目の接種を済ませたので、勤め人としての義務は果たしたなと、納得はしました。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?