自#600「源氏物語絵巻と浮世絵が、まったく繋(つな)がりません。これを繋げるためには、相当量の時間とエネルギーを使って、地道に日本史の勉強をする必要があると想像しています」

      「たかやん自由ノート600」(晩年の傑作)

 私の母親は、86歳の時、認知症になりました。認知症になってからの母親は、まったく別の人格に生まれ変わっていました。多重人格者になってしまって、次々に人格が変わるので、identityを失ったとは言え、ある意味、人格的には、ヴァライティゆたかになったと言えるのかもしれません。86歳ですから、身体は若い頃のようには動かせませんが、精神的には、ある意味、溌剌(はつらつ)としていて、かつて一度も現したことがない、奥深いイマジネーションの綾を、見せてくれました。
 認知症になってから、母親が生きていた時代は、概ね、彼女の少女時代だったんだろうと推定しています。母親とか息子とか、水商売をしながら、シングルマザーとして、聞き分けのない親不孝な息子を育てたとか、そんな有象無象は、悉く、彼女の脳裏からは、消滅してしまっていました。完全燃焼すべきだった少女時代に戦争の惨禍に遭遇し(一番大切なadolescenceの時期が、太平洋戦争の真っ最中でした)こんな筈じゃなかったという少女を時代を過ごし、こんな筈じゃなかった筈の不倫に陥り、こんな筈じゃなかった筈の親不孝な息子を、嫌々ながらも育てなきゃいけなかったわけです。恨みつらみがどっさりあって、当然です。が、まあ、認知症になってからは、恨みつらみは、さて置いて、自己のイマジネーションの世界に没頭しました。認知症になって2年後に逝去しましたが、人生のいよいよ最晩年になっても、強烈なエネルギーとpowerを息子の私に感じさせてくれました。このエネルギーとpowerのDNAを受け継いでいると信じられました。私に強さを与えてくれたのは、間違いなく、母親です。最後まで母親には、勝てませんでしたが、別段、勝つ必要もなかったなとも思います。
 たとえ身体的には衰えて行くとしても、精神力は歳を取っても磨き抜いて行けるし、より高い所にだって、辿り着けると確信もしています。エビデンスはなくても、自分が確信していれば、最後まで自信満々で生き抜いて、死ぬことができます。99歳で逝去された瀬戸内寂聴さんも、そういう方だったと推定できます。
 ただ誰の人生にも、荒波や落とし穴はあります。老後の私にだって、多分、それはやって来ます。そこを忍耐力で持ちこたえて、やり過ごせば、新たな高みにだって、到達できます。スランプや逆境が襲って来た時、男たちは、往々にして、あっさり人生を諦めてしまいます。20代で自死した、敬愛していた叔父は、そこの諦めが、おそらく早かったんです。15歳でバイクで埠頭の海に飛び込んで死んだY、シンナーでトリップしてビルから転落死したN、その場にいて、そこから逃げだし、家に戻って、ロープを持ち出し、山で首を吊ったT、この三人の私のバンド仲間は、全員、死に急ぎました。まあしかし、私だって、Juvenileの頃は14歳で死のうと、80歳まで生き延びようと、結局、死ぬことには変わりないし、「差別」はないと考えていました。私も、彼等と同じように、バイクでダンプにぶち当たったり、海に飛び込んだりして、死んでいても、全然、おかしくなかったんですが、私をこの歳まで生かしてくれたのは、やはり母親のDNAです。母親の享年の88歳よりも早く死ぬというのは、それは絶対にないと、一人り決めしています。母親が最後に輝かせた、イマジネーションの嵐がやって来たら、それを文章で表現したいという野望だって持っています。
 ドストエフスキーが「罪と罰」を創作したのは45歳の時です。「カラマーゾフの兄弟」は、50代の終わりに書いた大傑作です。「カラマーゾフの兄弟」は未完です。全体の構想の5分の1くらいしか書いてない筈です。ドストエフスキーは、もっと長生きすべきでした。歳を取っても、文学者は文学者で、あり続けることができるし、より良い作品も、描けると私は信じています。ゲーテが、「ファウスト」の二部を仕上げたのも、最晩年の死の前年でした。
 上村松園さんも、最晩年の作品が、もっともすぐれています。群を抜いているのは「朝日」と「晩秋」。どっちがよりハイレベルなのか、甲乙、つけがたいです。スタンダールの「赤と黒」と「パルムの僧院」のどちらがすぐれているかと問われたら、後で読んだ方だと言ってしまいそうですが、松園さんの傑作も、「晩秋」を最後に見れば、そっちで、「朝日」を後にみれば、「朝日」が最高傑作ということになりそうです。
 松園さんに関して言えば、「焔」をどう扱うのかという難問題があります。これこそ、取り返しのつかない(修飾語がヘンですが)大傑作だと、理解できます。この絵が存在していることの意義は大きく、ある種の人たちにとっては、ヨハネの黙示録レベルのモニュメンタルな最重要作品だろうと推定できます。これを(無論、レプリカ)、リビングに飾って座右の絵にしたい人だって、きっといると思います。私の母親が最後に見せたイマジネーションの強烈な世界は、この絵と相通じています。着物の柄も斬新です。歌舞伎でしたら、こういう柄は許されると思いますが、日常世界で、この柄が出現したら、誰しもが、絶句します。「焔」が最高傑作だとは、私は思いませんが、これを松園さんのmasterpieceだと認める人は、きっと沢山います。その意見が、あながち間違っているとも思えません。「焔」も「朝日」も「晩秋」も傑作ということにしておけば、無難かもしれません。が、そうすると、松園さんは、二重人格かもってことになります。ただ、「焔」的なものは、女性は、やはり心の奥底に秘めているんだろうと、考えられます。普通は、それを秘めたまま、墓場まで持って行くってことです。松園さんは、表現者ですから、人生のターニングポイントあたりの中締めで、この作品を仕上げたということなんだろうと想像しています。この後、おそらく松園さんはスランプに陥り、それを耐え忍んで、晩年の大傑作を、生み出されたわけです。女性には、男が持ってない、超ド級の芯の強さがあると、松園さんの作品を見ていると感じます。
 浮世絵でしたら、一番、すごい傑作を描いたのは、写楽だってことに、多分、なっています。強烈です。デォルメされた表情は、間違いなく、オーラを放っています。が、写楽が八面六臂の大活躍をしたのは、寛政6年の5月です。突然、彗星のように画壇に登場し、信じられないほどの輝きを放ち、翌年の寛政7年には、もう跡形もなく、消え去っていました。19歳で、「地獄の季節」を完成させて、文学の世界から忽然と消えたランボーのように、この不世出の天才浮世絵画家も、消えてしまいました。これが、天才と言われている男たちのひとつのあるべき姿なのかどうか、そのヘンは判りませんが、男と女との人生の生きざまは、明らかに違っているとは感じてしまいます。

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