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朝焼けの果てに

 長い旅であった。
 黒にとって、それは一日に似ていた。夜が来て、朝が来る。あるいは逆だったかもしれない。
 しかし今ここにおいては、もう明日はなかった。
「一年は長かったな? 黒よ」
 今、彼女の目の前には銃口が突きつけられている。既に数度の仕事を終えたその穴から、熱が伝わる。死の風。死の臭い。
 赤黒く染まった自身が情けない。そう、文字どおり長い旅だった。気の迷いで断じるにはあまりにも長すぎた。組織的強盗団というのは、会社に似ている。役割があって、裏切りは許されず、退職は死によって実現する。
 まともな会社がどうだなんてことは黒は知らない。だが一年前のあの日、押し入った家のベッドの下で恐怖に怯える明るい目を見たときから、黒はこの世界でいう『まとも』を手放してしまった。
 その目の持ち主はシロという少年だった。まるでよく世話された飼い犬のような少年だった。黒と違って、恐らくは愛された人生を送ってきた人間だった。
 黒の仕事はまさに最低の仕事だった。顔に醜い傷を持って生まれた彼女は、まともに人間に愛されたことがない。同じチームの『赤』は、美しい顔と豊満な身体で引き込みや陽動を果たしていたが、その真逆の彼女の仕事は、生き残りにとどめを刺すという嫌な仕事だ。誰もやらないから、黒はそれをやる他なかった。
 強盗団の『仕事』を全て目撃したシロを見つけた彼女は、その目に文字どおり目を奪われた。
 美しかった。
 美しい目を持つ彼が、宝石みたいな涙を流して、黒にすがり付いた。
 あり得ないことだった。愛されたことがない黒にとってそれは間違いなく初めての経験で――気づいたら匕首を仕舞って彼の事を抱き止めていた。

 黒にとって初めての朝が来た。
 誰かのために生きるのは、彼女には知りようがなかったが、本能的な喜びであった。シロは無垢な少年だった。黒の事を暴漢から救ってくれたと信じていた。
「パパもママも遠い国へ行っただけさ。いつかまた必ず会える」
 黒もまた、それが事実であると彼に語った。黒の拙い説明は、シロの世界に都合がよかった。
 十歳にも満たない少年にとって、世界は単純で美しくあるべきだった。黒にはそれを言語にするだけの能力はなかったが、行動に示すことはできた。
 強盗団の『仕事』唯一の目撃者となった少年は、当然のように命を狙われることとなった。当事者である黒は彼と姿を消す事を選んだ。ある時は橋の下で、ある時は郊外の家で……黒は殺して奪う事しか知らなかったが、シロを連れて逃げ続けることを選んだ。
「パパが言ってた。海から見る朝焼けってものすごく綺麗なんだって」
 黒は一も二もなくそれに頷いて、海を目指した。警察をやり過ごし、強盗団をすり抜けて、ただひたすら海を目指した。
 半年の逃避行の先に、二人は海にたどり着いた。二人で見る朝焼けは、黒がこれまでに見てきたどんなものより美しく、光輝いていた。
 そして、黒はもう彼と一緒にいてはいけないのだ、と思い至った。誰に言われるでもなく、そう理解した。彼と共にあるのは、醜い殺人者ではいけないのだ。

 再び夜が来た。
 強盗団のメンバーを六人殺した頃、黒は不覚を取り、紫という男に追い詰められた。
 撃たれ、血を流しーー動けなくなって、眉間に銃を突きつけられた。死の臭いが、今そこにある。
「ガキの居場所を言えば、俺達はこれまでどおり仲良しさ。病院だって連れていく」
 黒はうつむいたまま、口をつぐむことを選んだ。シロに与えてやれることはもうない。彼の身柄は遥か朝焼けの向こうだ。黒の持っていた金は、海を渡るのに使いきった。もうなにも残っちゃいない。
 彼女にできることは、この痛みを抱えて、静かに死んでいくことだけなのだ。
「ガキの面倒を見たことがあるかよ、紫」
「あ?」
「あいつらは柔らかくて、暖かくて、手を握り返してくるんだ。知ってるかよお前」
「もう一度言う。ガキはどこだ」
 シロと見た朝焼けの色が、黒の目の前に広がった。暖かくはなかったが、妙に満たされた気分だった。
 代わりに痛みを引き受けてやるなんて、なんて馬鹿馬鹿しいんだろう。
 黒は思わず笑って、紫を見上げた。
「忘れちまったよ。あいつは明るくて暖かい所に行ったのさ」
 銃声が轟いて、黒を抉った。
 彼女は自らの手に触れる温かい血が、シロの流した涙のように感じられて、微笑んだ。
 もう泣くなよ。多分また朝が来るだろう。
 窓から差した光が、黒の血にまみれた手を照らした。
 また朝が来た。
 だがそれを見るものは、もういない。




この小説はおねショタ逃亡劇アンソロ企画「おれのグロリア選手権」の一環で製作しました。

ほかにもたくさんの作品が投稿されておりますので、ぜひともお読みください。ではでは。