インタビュー・ウィズ・クリスマス・チキン #パルプアドベントカレンダー2022
あなたはDVDをパッケージから取り出す。古いデッキだ──ディスクを押し込むと、これまた古くて頼りないディスプレイが少しのノイズとともに、映像をなんとか送り出した。
ザザザッ……ザー
この小説は『#パルプアドベントカレンダー2022』の提供でお送りします。
十二月二十四日、午後十時。
アメリカ合衆国東海岸。海岸地域に広がる港湾貿易都市として発達したグリーンウェル州。その中でも最も規模の大きなオールドハイト市──その郊外にある、ジョージ養鶏場にて。
古びた鶏舎の中──鍵はかかっておらず、電気は通っているように思えない。その奥──男が一人倒れている。赤髪のスーツの男だ。一体彼に何が起こったのか? なぜこんな辺鄙な養鶏場で倒れているのか?
それを語るには、二十六時間前に時を戻さねばならない。
インタビュー・ウィズ・クリスマス・チキン(おどろおどろしい80'sホラーフォントで)
十二月二十三日、午後八時。
オールドハイト市中央区、街一番の交差点を少し分け入ったところにある、ダイナー・レッドドラッカーにて。
「お前……またか?」
「いやあ、またですね……」
テーブル席に陣取った二人の男は、同じような理由からうんざりした顔を突き合わせていた。早くも二本目のタバコ──大衆の味方、安タバコの代表格『ラッキーストライカー』が、いまや根本まで燃え尽きそうになっている。
赤毛の男──ストライプ柄のスーツに身を通した、ビジネスマン風の男だ──は、はあとため息をつき、テーブルの上に供されていた瓶ビールを取って、そのまま口をつける。ホップが余計に苦々しい。
「ドモン。お前な……何度も言ってんだろ。仕事増やすなとは言わねえけど、クビになるようなマネだけはやめろって何度も……」
目の前にいる収まりの悪い黒髪の男──黒いジャケットに白いタートルネック、ジーンズ姿のカジュアルな風貌だ──は、深く刻まれた隈の下から覗く目を右往左往させながら、なんとか言葉を押し出した。
「いや、その……違うんですよ、サイ。そんなつもりは無かったんです。なりゆきというか、偶然というか……勢い余ってというか……」
「まあなったもんは仕方ない。次の仕事を探しゃいいんだからな。……とにかく聞きたいのは……お前、また殺っちまってねえだろうな」
ドモンはサイの言葉を聞いた瞬間、視線を外へと反らした。
ああ、こいつまた殺っちまってる!
サイは複雑な感情を押し流すように、ビールをあおった。これさえなければ、良い友人なのだが──。
「どこのメディアも拾ってませんし、警察も知る由もないようにしてありますから、その……実際問題ありますかね?」
へへ、となぜか卑屈そうに笑う彼を見て、サイはまたも眉間を親指で押して、いずれ来そうな頭痛を押し戻そうとしていた。
「あのなドモン。俺はそもそもブン屋だぞ。毎度毎度俺が知ってんのはいいのかよ」
「君はぼくを売るような真似はしないでしょうし、そもそも意味がありませんよ。いや今度は酷い話でしてね……ドーナツ屋でオーダーを取る仕事してたんですが、ある客がアイスは無いのかっていうんです。もちろんあるわけ無いですよね? 無いって言ってるだけなのに、クレームの嵐でしまいにはタチの悪い友達数人を呼び始めて、僕をフクロにしようってんです。店長は知らんぷりですよ」
そう述べて、まるで子供が皿を割ったのを隠していたのがバレたような口調で、結論は敢えて話さないところに、彼の葛藤──すなわち情けなさや申し訳なさが見え隠れしていた。
殺していい人間はいないが、その衝動を抑えることは難しい。ましてや、本物の殺し屋だった男ならば、その限りではない。
ドモンは引退した──と一応公言している──殺し屋だが、日常生活を送ることに四苦八苦しているフリーターだ。人生で殺し屋しかとりえがなかったことを恥じ入り、なんとか真人間として過ごそうしている彼だが、これまでに培った殺し屋という異常な人生と、オールドハイト市という異常な都市で生き残るためのルールが複雑に絡み合ったが故に、時たまバイト先で明らかに人を殺ってしまった反応をする。
反応をする、というのは、新聞記者であるサイが裏取りをしようとしてもできないがゆえだ。完璧な後処理を自分でしているのか、それとも依頼するのか──いずれにしろそう表現するしかない。
色々あって腐れ縁になった彼を、今更サツに突き出すのも面倒だし、彼がいうとおりしても無駄だ。
「あのなドモン。ちゃんとした仕事なら回してやるから、お前いい加減にバイトの掛け持ちやめろって」
「貧乏暇なしなんですよ」
「それで毎回問題に巻き込まれてクビになってりゃ世話ないだろ。まあとにかく話聞けって」
ネクタイを少し緩めてから、サイは仕事の話を始めた。
オールドハイト市の郊外に、ジョージ養鶏場という寂れた施設がある。元は、精肉用のブロイラーを飼育していた養鶏場だったが、三年ほど前からアニマルウェルフェアを守っていないという理由で取引が打ち切られるようになり、経営が苦しくなってきたらしい。
「はあ。チキンは大好きですが、話が見えませんね。それにアニマルウェルフェアってなんです?」
「動物福祉だよ。いずれ食われる家畜だろうがなんだろうが、苦痛は取り除いた飼育のほうがいいだろって考え方だ。昔のブロイラーは、常に光に当ててるほうが増えるなんて言われてたが、今じゃどこも六時間はライトを消すようにしてるんだと」
「いずれにしても食えば同じですし、殺してるのは僕ら人間のような気がしますが。随分身勝手な考え方ですねえ」
ドモンが光の反射が弱い黒々とした瞳でこちらを見つめながら、何でもないように言った。それがなんだか不気味に思えて、サイは手早く話題を戻した。
「ま、自己満足でも気持ちは買うがな。で、そのジョージ養鶏場なんだが……オーナーが変わってな。元はどっかのバイオ企業の研究部門出身の人間らしい。ま、そこまではよくある経営者が変わった企業の話だ」
「はあ」
「で、それに目をつけたのが、アニマルアノンって過激派動物保護団体でな。元々このAAって団体、問題だらけなんだ。ろくな裏取りもせずに政治的陰謀論と動物保護政策を組み合わせて、テロまではいかないが直接的な過激デモに及んでる。連中、ジョージ養鶏場は国の遺伝子組換技術試験場だかなんだかだ、糾弾するなんていいだした」
「一向に話が見えてこないんですが」
「ここからが肝だよ。連中がそうして乗り込んで行ったのが三日前。二十名くらいのデモだったらしいが『一人も帰ってこなかった』」
「……殺されたんでしょうか」
「それを調べるんだよ。陰謀論界隈ってのはきな臭い分、記事のウケがいいんだよな。な、ドモン頼むよ。最近、ネットニュースも担当してるんだがPV数が落ちててさ……ここらで逆転しておきたいんだ」
ドモンとしては、二つ返事で応えてやりたい気持ちと、また面倒くさそうな話を持ち込んできたな、というせめぎあいが心のうちにあった。
なにせこのサイという男は、自分以上にトラブルに巻き込まれやすい。単にギャングだの警察だのならまだしも、やれストーカーだの、呪いだの、超常現象だのと、摩訶不思議怪奇現象が相手なのだからたちが悪い。
何も大袈裟なジョークでもない。オールドハイトという街は、異常犯罪や異常現象、サイコパスに犯罪組織など何でも存在しうるのだ。今度の話も、話の向きから言ってもろくな目に合わないのは明白だ。賭けてもいい。
だが自分が放っておけば、そのろくでもない何かにミンチ肉か何かに変えられるのは時間の問題だろう。
「……わかりました。報酬はいただきますが、いいですよ」
「助かる! さすがはドモンだ。お前、やっぱ頼りになるよな」
「ひとついいですか」
ドモンは抵抗の意志を現すように、指を立てて言った。また命がけになるのなら、わがままを言ってもバチは当たらないだろう。
「……なんだよ」
「オニオンフライとビール。追加していいですか」
さもしいワガママになんと応えたものかわからなくなって、サイは小さく笑い、頷いた。
十二月二十四日、午後三時。
随分冷たい空気が肌を刺すような気がする。オールドハイトの摩天楼ははるか先、喧騒も取り残されて、ここには何も聞こえない。車で一時間以上離れれば、街の周りは自然豊かな──といってもこのあたりは荒野だが──風景が広がっている。羽と糞の据えた臭いと、ブロイラーの鳴き声と思しきケコだのクケだの規則正しい叫びが鶏舎から響いてくる。
サイはドモンを乗せて、オンボロのヒュンダイ・アクセントを停めて、背の高い柵の前に立つ。地面に南京錠が転がっていて、扉は僅かに開いていた。
「……デモの連中が押し入ったのはいつでしたっけ?」
ドモンがそれを拾い上げながら、じろじろと観察した。欠けたようなあとに傷。AAがやったのだとすれば、相当に乱暴らしい。入っていく足跡もそれなりの人数と思しき数が残っていた。そして、中に向かったものが大半で、逆は見当たらない。
「三日前だ。公式サイトの発表はそれで途絶えてる。直前には突入メンバーの写真もアップされてたから、タイミングにそうズレはないはずだがな」
サイはスマホで簡単に撮影をして、黒いコートにそれをしまい込む。ドモンは茶色のロングコートを脱ぐと、後部座席からバットケースを取り出した。彼の得物がこの中に入っている。もちろん端からそんなものをひけらかせばカタギの人間に遭ったときに言い訳が立たないので、こうした偽装をする必要があった。なくさないように袈裟懸けにかけて背負う。抜かなければそれにこしたことはない。とはいえ彼との仕事では、大抵抜くハメになるのだが。
「……で? あれは何でしょう」
ドモンは訝しげな目で、前方の地面──『AnimalANON』とロゴが背中にデザインされた白い半袖シャツにジーンズというシンプルな出で立ちの女性が這っているのを指した。
そう、這っているのだ。
金髪の痩せた若い女で、その顔は恐怖に歪んでいたが、こちらを見るやいなや、信じられない勢いで立ち上がってこちらへ向かってくるではないか!
「た、た……助けてッ! 今すぐッ!」
凄まじい勢いに気圧されるように、サイは背の低い女の肩を掴んでいた。鳥の据えた臭いがまとわりついていて、あまり嬉しくなかったのもあったからだ。
「なんだよ、何があった?」
「仲間が……中に!」
そう言って指を差したのは、鶏舎だ。大きなシャッターが降りていて、そばにある古びた扉がきい、と音を鳴らしている。
「中に何かいるんですか?」
ドモンはさっそく背中に手を伸ばそうとする。向かってくるなら、出方のバリエーションはそう多くはないだろう。
「と、とにかく助けて! 捕まってるのよ!」
「どうする、ドモン」
「どうするもこうするも、まさか離れる以外の選択肢あるんですか? 火の粉を振り払うのはしますけど、突っ込んで行くこともないでしょ」
言葉ではそう言うが、根っこでの正義感の強いサイが引くとも思えなかった。引くようなら、そもそもこんな話を取材しようなどとは考えないはずだからだ。
二人は女を車の後部座席に乗せ、外に出ないように言い含めてから、鶏舎の中へと入っていくことにした。
暗い。ブロイラーの場合、鶏舎がパンパンになる程度は飼うとは聞いているが、そこまでの規模ではないようだった。足が萎えたブロイラー達が数匹、ウロウロしている。この養鶏場が既に機能していないのは明らかだ。
「くせえ……」
「ろくに世話もしてなさそうですしね。しかし変ですねえ」
「何がだよ?」
サイは鼻をつまんで、鼻声で言った。
「やってるなら数が少ないですし、やってないならこの鶏の声はなんなんでしょう?」
クエ、コケ、クワ、コケ。
規則正しく鳥の声。
暗闇から響くその声は、明らかに無数になにかいることを示していた。
「……ちょっと待て。何かある」
サイはスマホのライトを起動させると、足元の先を照らす。糞や羽、横切るブロイラーの間に、地面が見える。そしてその先には、先程の女と同じシャツを来た男が座っていた。
ぎょっとするのも無理はない。身動ぎもしないのだから。そして、ライトはその頭に暗い空洞があることを示していた。思わず口を手で抑え、自分が平気だということを確認してから、恐る恐る相棒を呼ぶ。
「ドモン。ヤバい。逃げ──」
振り向くと、そこには彼の姿は無かった。ドモンが消えた。息が荒くなる。鶏舎には隠れるような場所はない。消えられるはずがないのだ。規則正しく鳴いているブロイラー達の声が、彼の焦燥感を煽る。何かがヤバい。
「ようこそ『おれの国へ』」
暗闇から声がする。地獄の底から響くようなバリトンボイス。サイは声の方にライトを浴びせる。
古めかしい軍服に、キラキラとした勲章に混じって、不格好な金属プレートが胸にいくつかぶら下がっている。そしてその顔は──鶏!
「ウワーッ!!」
「ウワーッとはなんだ貴様! 虚仮にしやがって!!」
次の瞬間には、サイの身体に激痛が走り、糞と羽だらけの地面に転がされていた!
鶏人間は手に棒──よく見ると血染めで、スマホを固定できそうなやつだ──を持ち、羽根だらけの右手でポンポン跳ねさせながら、彼を見下ろしている。ころがったスマホからむなしくスポットライト。鶏の顔がさらに不気味だ。異常事態からの激痛で、サイはどこか冷静になっている自分に気がついた。しかしなってもどうにもならない。相手は自分より二十センチは背の高い化け物──鶏人間なのだ。再び棒を振りかぶろうとする鶏人間に向かって、サイは手のひらを見せて制止した!
「やめろ! マジでやめろ! 話せば分かる!」
「話せば分かる……だと!?」
鶏人間はわずかに動きを止める。サイは姿の見えなくなった友人の言っていたことを思い出す。
『オールドハイトという街にはなんでもあるし、なんでもいます。ヤバいヤツ、ヤバいモノ、ヤバい事象──僕みたいな殺し屋も含めてですが。大事なのはどんな物事にもルールがあることです。ルールは守らなくちゃいけない──ルールを踏み外せば、自販機のボタンを押したらコーラが出るみたいに、君は確実に死にます』
ヤバい。なんらかの地雷を踏んだか? そうでなければ、この感情の見えない鶏の目が忙しく動いていることに説明がつかない。
「貴様ァ……それは……人間っぽいじゃあないか。気に入ったぞ」
鶏人間はそう言うと、おもむろに手を差し伸べた。手──そう、手だ。丸めた羽根とも言ってもいいが、とにかく器用なものだ。
「なんなんだよお前……勝手に入ったのは悪かった。謝る。だからここから……」
「気に入ったぞ人間。褒美に貴様のことをよおく聞いてから脳を摘出してやるからな」
振りかぶった棒がサイの顔に影を落とす。
さあっと血の気が引く音が耳を流れていった。ああ、最悪だ──と思う暇もなく、サイの視界は暗転していった。
水滴が落ちる音が、とてつもなく不快に感じてサイは目を覚ました。腕時計デバイスを見ると既に夜九時になっている。ホコリまみれのコンクリ打ちの床に辟易しながら身を起こす。手に乾いた血がついているところを見ると、ひどく打ち据えられたらしい。
「起きたか人間」
声にぎょっとして顔をあげると、そこには鶏の顔があった。
「ウワーッ!!!」
「ウワーッとはなんだ貴様! 虚仮にしやがって!!!!」
思わず頭を防御せんと手で覆ったが、今度は暴力は飛んでこなかった。鶏は腹に椅子の背もたれをつけて、こちらを見下ろしている。古い電球がバチバチと音を立て、不安を煽る。
「貴様、名前は」
「さ、サイ……」
「そうか。おれはジョージだ。この国の名前と同じだ」
「く、国? お前この国はアメリカだぞ」
ジョージは感情のわからない目をグリグリ動かして、せわしなく首を振ってから、口を──嘴を開いた。
「それは分かっている。貴様職業はなんだ」
「記者だ。新聞記者……」
「記者だと!!」
音を立てて椅子から立ち上がる。ジョージの上背は約二メートル。パツパツになった軍服の袖からは、手と思しき丸めた羽、鉤爪のついた足が飛び出している。
異常だ。ドッキリにしても出来すぎている。そしてこのオールドハイトにおいて、ドッキリだと思うような出来事はだいたい真実なのだ!
「記者……文明社会の代弁者! ついに我が国にもそれがきたか!」
ジョージはにわかに興奮気味に立ち上がると、ぶるぶるととさかと顎の下の肉垂れを震わせ、天高く拳──というより丸めた羽だ──を突き上げた。
「気に入ったぞサイよ。貴様にこのおれを取材する権利をやる」
「……ちょっと待て、ジョージ」
「ミスターをつけろ! 無礼だぞ貴様! この国はおれの国! 国家元首に対する敬意が足りない!」
クワッと嘴を広げ、真っ赤な口内がサイの恐怖を煽る! 何より秘密警察の棍棒めいた自撮り棒を離していない。彼の頭を生卵のようにかち割ることだってありうるのだ。いかに異常イベントの場数を踏んだとて、根本的な死の恐怖から人は逃れることはできない!
「わ、分かったミスター・ジョージ。国家元首?」
「大佐だ。カーネル・ジョージ! 特別にジョージでいいがな。三つ質問を許す! だが貴様の『お友達』については最後にしろ。その上で、開放するかどうか決めてやる。安心しろ、我が国でも記者は大事にせねばならんからな。今のところ命は保証してやる」
お友達という言葉に、大体の状況を察してしまう。暗がりごときであのドモンが遅れを取るとも思えなかったが、姿が見えない以上助けはすぐには期待できない。
この暴虐な国家元首とやらを怒らせぬよう、適切なインタビューをする他にサイが生き残る道はない。彼は記者としてのプロ精神をなんとか奮い立たせ、冷静さを取り戻してから、第一の質問を投げかけることにした。
「……ミスター・ジョージ。あんたに聞きたいことはたくさんあるが……俺はここがただの養鶏場だってことしか知らん。いつどんな経緯で国になったんだ?」
「教えてやろう。三年前、ここを買い取った男──サンダースという男は、おれを作ったのだ。サンダースは食糧危機のためだとかなんとか言っていたが、おれには関係がなかった。ヤツは、脳をいじることでおれの仲間──つまり残り少ないブロイラーたちを大きくできないか考えた。そしておれがうまれた。おれはブロイラーはおろか、チキンというチキンを超えた超鶏人間になった! だから、おれはおれのためにこの養鶏場を国にしたのだ!」
頭がくらくらした。つまりこの目の前の鶏人間は、正真正銘進化した鶏だというのだ。馬鹿げてる。しかしそれを口にすれば、ろくな目に遭わないことは火を見るよりも明らかだった。
「この服はサンダースが持っていたものだ。やつは軍人だったらしいが、よくは知らん。サンダースは去年亡くなったが──おれはやつの遺した偉大なる知性の塊……つまりインターネットから人間のことを学んだ。そして大佐という地位は、国をも支配できる地位だと知ったのだ。地位を得て、国を得た……つまりおれは国家元首だ! わかったか!!」
感情が昂ぶったのか、バリトンボイスのまま鶏のような声を出そうと、肉垂れをぶるぶる震わせた。イかれてる。こっちもイカれそうだ。
「……じゃ、二つ目だ。ここに飛び込んできた人間はどうなった。三日前に二十人くらい来ただろ」
「ふん、あの凶暴な人間どもか……やつらはおれの国の国民を……ブロイラーたちを攫おうとしたのだ! 他国からの侵略……国家元首としては絶対に見過ごすわけにはいかん。やれ『鶏のために〜』だのなんだのと言っていたが、おれにとっては犯罪者よ。全員捕らえて……」
「と、捕らえて?」
「実験に使った。おれは人間並みの脳がある!! では、逆に……人間の脳をわが国民に移植することで、おれのような鶏人間が生まれるのではないかと思ってな! 片っ端から脳をかち割って摘出してくれたわ!」
ジョージは自信満々に──単に鳩胸なだけかもしれないが──壁際のスイッチを押した。火花とともに奥の蛍光灯が灯り、磔にされたAAのメンバーと思わしき連中があらわになった。
血まみれのシャツ、頭蓋ごと砕かれ空洞になった頭がだらりと下がる──ゾッとした。こんなことを三日で何人も繰り返したのか。
「残念ながら失敗だったがな。人間の脳は大きすぎ、移植には適さん。──俺のような超鶏人間が誕生するにはまだまだ時間がかかる。それまでは、アメリカからの侵略を防がねばならん」
「いっとくがおれは政府の人間じゃないぞ」
「黒尽くめの男には見えんしな」
鶏のくせにジョークまで解している。インターネットの力は鶏の知性を人並みに進化させることができるらしい。とんだ皮肉だ。
「……友達のことを聞く前に、追加で質問したい、ミスター・ジョージ」
「貴様はここに並んでる侵略者どもよりよっぽど行儀が良い。敬意を払い、追加の質問を許そう」
「あんたの目的は何だ? 仮に同じような超鶏人間とやらができても、あんたのやり方じゃいずれ軍隊でも送られるぞ。アメリカはあんたを認めないだろ」
「……鋭いな。たしかにその通り! 国連に加入することも考えているが、それはまだ時期尚早だ。アメリカから見ればおれはアメリカの国土を切り取った独裁者。いわば犯罪者だ。認めぬのも理解できる。だが、アメリカは……いや、大統領はおれに罪なしと宣言するだけの前例があるのだ!」
そういうと、ジョージは古ぼけた地下室には似合わない大きなディスプレイを起動させて、そこにひとつの動画を流し始めた。
十一月二十二日。ホワイトハウス前で笑顔の大統領が式典を開き、あるものに話しかけている。
七面鳥だ。二日後に控えた感謝祭の前に、七面鳥には恩赦が与えられる。
『もう君は食卓に上がらなくても良いんだよ』
大統領恩赦となる言葉をかけられても、七面鳥はよくわかっていないのかあたりをキョロキョロするばかりだ──。
「見ろ! 七面鳥が恩赦を与えられるのなら……このおれも恩赦を与えられる権利があるはず! そしてそれはおれが正当な国家元首として認められ、この国がアメリカも認める正当な国家になるということを示す。つまり……クリスマスだかなんだか知らんが、この時期に我が同胞をバーレルに詰め込む貴様ら人間への怒りを、おれは水に流そうというのだ。感謝しろ!」
赦してもらうつもりも無いが、サイにはふつふつと怒りが湧いてくる。なにを赦してもらう必要がある?
ペンは剣より強い。だがそれは、暴力をもって我を通す人間への牽制であるべきだ。サイという記者にとって、暴力によってペンをコントロールさせようなどというヤカラは、もっとも忌むべき存在だ。鶏だろうが人間だろうが、それは変わらない。
「さあ、サイよ。理解したか? おれの記事を書くのだ! そして大統領に会わせ、おれを認めさせるのだ。そうすれば貴様をスポークスマンとして生かしてやってもいい!」
動画の放つ光の中で、ジョージは大きく羽を広げる。磔にされた動物保護活動家達の死体を背に、たった一人の異常なる独裁者は気勢をあげた!
「ミスター・ジョージ。あんたに言いたいことは二つある」
「発言を許す」
「あんた、狂ってるぜ」
サイはよどみなく、心底小馬鹿にするように言い放った。ジョージは羽を下ろすと後ろで手を組んで静かに言った。
「……もう一つは?」
「お友達についての質問はしない。『もう見つかった』」
モニタからの光が一瞬それに反射して、閃光が地下室をぎらりと通り抜けた。ジョージは首をぐるりと回転させると、後ろから襲い来るそれ──即ち、ドモンの姿を捉えていた。
彼の得物は刀──白刃が煌めいて、ジョージを精肉にせんと迫る!
「虚仮にしやがってェ!」
自撮り棍棒で刀を防ぐ! 並の人間なら両断されていてもおかしくないはずが、刃と棒がわずかに火花を散らして鍔で競り合う。
「メス人間にひっかかるヘタレが目覚めて来やがって!! それに拘束はどうした!」
「素人の拘束なんてのはポーズにしかなりませんよ。だいたいあの子も出てくるなっつったのに急に呼びつけてくるもんだからおかしいと思ったんですよね」
ドモンは涼しくそう言うと、急に鍔迫り合いをしていた手を緩め、ジョージの体勢を崩した。彼お得意の『崩し』の技法だ。前のめりになりかけた彼の足をめがけ、体を低くし足を払う!
ジョージは空中でぐるりと一回転して地面に叩きつけられる──はずだった。
ドモンもサイも、驚く他ない。ジョージが翼を羽ばたかせ、一瞬だけ宙を舞って体勢を立て直したのだ!
「ドモン! お前どこ行ってたんだ!?」
サイは隙をついて転がるようにドモンの元へ辿り着くと、後ろに隠れた。普段はどうあれ、こんな異常事態のときにこんなに頼りになる男もいない!
「アノンの女の子に外に出るように言われましてね。何かなあと思ってたらこの鶏にぶん殴られたんですよ。さすがに油断が過ぎましたね。しばらく気絶してました」
脳を取り出される前で助かった。期せずして、ジョージへのインタビューがドモンの覚醒までの時間を稼いだのだ。
「そのまま気絶していれば脳を摘出してやったものをーッ!」
ジョージが自撮り棍棒を振り上げて、ドモンの頭をかち割らんと振り下ろす。
しかし、ことこの場面においては何もかも終わり──もとい無駄であった。右足を踏み込むと、白刃が暗闇を切り裂く。掴んでいた棒が丸めた羽先を伴ってごろごろ地面に転がり、ジョージは情けない鳴き声をあげた。夜明けには五時間早い。
「貴様ら……貴様ら! 虚仮にしやがって!! 舐めるなよ、侵略者共! このおれが国家元首として、何も備えていないとでも!?」
右羽先を失ったジョージは流れ出る血を左羽で抑えながら、人間ではない、鶏の声で何事か叫び出し、暗闇の奥──ないし、地下から出るための階段へ駆け出した。
「どうする、ドモン! あんな危険なやつ、外に出したら大変なことになる!」
「でしょうね……君、怪我は?」
「お前と同じでたんこぶができたくらいだ。……血は止まってる」
「それは良かった。じゃ行きましょう。もうすぐクリスマスになります。チキンに逃げ出されるなんて縁起が悪いですからね」
階段の先にハッチタイプの扉が設置されていて、二人で扉を押し出して地上に這い出た。養鶏場の臭いが強くなり、そこがさきほどまで二人がいた鶏舎の中だということに気づくまで、そう時間はかからなかった。
「まずいな。スマホの電池切れてる……ドモン、お前のは?」
「コートのポケットの中です。車に置いてきちゃいましたよ。暗すぎてよく……」
コケ、クワ、コカ、クエ……鶏の声が響く、響く──。耳元で叫ばれているかのように、その声は二人を取り囲む。羽音が体のそばや耳元を過ぎ、まるで鶏のドームの中にいるかのようだ。
「サイ」
「なんだよ」
「伏せてもらえますか。どうやら逃げ切れそうもありません」
ドモンは冷静に、それでいて余裕なさげにそう言った。普段の生活こそ壊滅的で、たまに家に匿ってやらないと生きていけないようなやつだが──こと荒事において判断を間違ったことはない。サイは返事代わりに、羽と鳥の糞まみれの地面に躊躇なく伏せて、頭を手で抑えた。
直後、なにかがサイの頭上を通り過ぎる。風切り音と共に、奥の壁に激突し飛び散る水音。ぐしゃ、ばき、べき──。
友人の動きを察してから、ドモンは刀をベルトに刺し、親指で鍔を押し出しながら鯉口を切った。弾丸のように迫りくる『何か』にむかって、腰を落として白刃を滑らせる。居合の技法──空中を貫くそれは、白刃の下に羽と血を散らし、断末魔の声をあげる。
鶏が射出されている。
誰かが投げつけているとかでは断じてない。筋肉の萎えたはずのブロイラーではありえない自由曲線を描きながら、恐らくその嘴を先頭に、空気を貫くようにこちらへ向かって飛んできているのだ。さしずめ、神話の英雄の放つ矢のごとく!
普段であれば銃相手にも怯まぬ現代の剣士たるドモンであれ、こう暗い中では認識した音から発射予測を行い、着弾タイミングでそれを切り落とすのが精一杯だ。しかし、鶏が何匹いるかわからぬこの状況下では完全にジリ貧になる。
ドモンの頬に血の筋が通り、鶏弾が掠めて後ろの壁に激突し穴が開く。血と羽がへばりつき、穴からきれいな月のあかりが人間を照らし出した。
「コケーッコッコッコ!! 我が国の特攻部隊の威力を見たか、テロリスト! 次は貴様のどてっぱらに大穴開けて、その身を我が国の全国民で啄んでくれるわ!」
ジョージの悦に入った歓声が、どこからともなく響いてくる。音──そして月の光。暗闇で目を瞑っていたドモンは、ようやくその目を開いた。
「……いた」
闇を恐れぬが如く、ドモンは歩き出す。かつての生みの親が遺した暗視ゴーグルの中でそれを認識したジョージは、目の前に相対する人間が『殺し屋』であったことなど知らない。なぜこの闇の中で自由に動けるのかも、歩きながら鶏特攻部隊を切り落とせるのかも知らない。
小屋の中の鶏は、大空を知らないのだ。
「な、な、なぜ見える!? なぜ落とせる! おれは超鶏人間だ! 超越者でこの国の国家元首だ! 許されないぞ、テロリストめ……!」
暗順応。暗闇の中で目をつむることで光を感じる細胞の増殖を起こし、結果ある程度の視覚を確保することが可能な現象のことだ。
偶然破れた壁から月明かりが漏れ出たことで、ドモンの視覚が通常より早く回復したのだ。
「残念ですが、許してもらうつもりもありませんのでね……」
「黙れェェーッ! 挽き肉にしてやるゥゥァァァ!!」
左手に持ち替えた自撮り棍棒でドモンの頭蓋を今度こそ陥没させんと振り上げる。しかしその行為に三度はない。殺し屋への攻撃に三度目はありえない。切った張ったの鉄火場でそれを許すほど、ドモンという男は甘くなかった。
刃を返して、ジョージの細い膝に峰を叩き込む。峰打ちだろうが鉄の棒で殴られれば、ひとたまりもない。ジョージの関節爆裂! 激痛から成すすべなく膝をつき、棍棒も取り落として地面を転がっていく。そしてその首裏に、とん、と峰が落ちる。殺しの圧力が刃を伝わり、自然と国家元首の頭が下がっていく──。さながら、斬首を待つ哀れな暴政者のように。
「ま、待て……お、おれは知性ある鶏だ! いわば人間とほとんど同じだぞ! 国家元首だぞ! それを殺して、貴様、こんなことがあっていいと……」
「残念ですが、ぼくは自分や友達をぶん殴ったやつに同情できるほど慈悲深くありませんのでね。ところで……」
月の光に煌めくように、白刃が波紋を伝って輝く。切っ先が頂点に達し、異変を察したのか鶏達が頭上を横切った。
「斬首というのは慈悲深い処刑、らしいですよ?」
「ま、待っ」
気が抜けたようにすっ、と空気が流れて、振り落とされた刃と共に鶏の頭はころころとその場を転がった。ジョージだった体は肩から地面に崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
「おとなしく鶏やってりゃ、命乞いなんてせずに済んだのにな」
ドモンはそう呟くと、刀を振って血を飛ばし、刀を納めながら残心した。
羽やら糞やらを顔や服から落とすのに苦労した。AAの女はどこかのタイミングで逃げ出したらしく、姿は見えなかった。まあ居たとして同情してやれたかは分からなかったので、二人にはちょうどよかった。
無事だった車に乗って、ラジオをつける。クリスマスソングがノイズに乗って陽気な音楽を奏でる。ボビー・ヘルムズのジングルベル・ロック。遠くに見える摩天楼が放つ星々の如き瞬きが、ハンドルを握るサイに安堵をもたらした。生き残った。誰に話しても──もちろん記事にしてもボツだろう──信じてもらえまいが、とにかく生き残った。
「あー……深夜零時を回りましたね」
ドモンがぽつぽつとつぶやきながら、カーステレオに内蔵しているデジタル式の時計を指した。
十二月二十五日、午前零時。
「なんか……悪いな、ドモン。歴代でも最悪のクリスマスだろ。俺もそうだ」
「いいんじゃないですか? 命あっての物種です。君も生きてる。ぼくも生きてる──サンタってのがいるなら、なんとまあ慈悲深いじゃありませんか」
ドモンはジャケットの懐から紙タバコ──ラッキーストライカーを二本取り出し、同時にライターで火をつけると、一本を自分で咥え、もう一本をサイの口元に近づけた。左手でそれを取り、せっかくのクリスマスを寿ぐ言葉を脳内で探した。
「……クソッタレ鶏野郎に!」
サイドウインドウを開けて、タバコを外へと出す。紫煙が夜空にとけていく。
「同じく!」
ドモンもそれにならい、右手で掴んだタバコを外へ出す。
「メリークリスマスだ!」
「メリークリスマス」
二人の男はそう言ってタバコを吸って──紫煙を吐き出しながら笑った。こんなこと、誰に話したって信じてはくれないだろう。でも、今ここで生きてる二人は確かな真実だ。それだけは誰にだって否定しようがない。
「帰ったら、チキンバーレルを買いましょうか。なんだか食べたくなってきました。」
ドモンは無神経にそう言い放った。マジかよ。だが彼はこういう人間だ。あんな目に遭ったのに、これ以上チキンに恨まれるような真似はしたくない。少なくとも、今夜だけは。
「勘弁してくれ。俺はジェノサイドに加担する気は無い」
ドモンは笑って、そうですかと流した。
窓の外ではオールドハイトの聖夜が、静かに更けていく。ハイウェイを下り、街に向かって一台の車が溶けていき──やがて消えた。
終
あとがき
クリスマスなので一年ぶりの『魔法少女研修』も考えましたが、やっぱみんなまた別のが読みたいよな!と思い直してこれになりました。
七面鳥の恩赦のニュースを見て、鶏も恩赦されたいのでは?と思って書きました。なお、ドモンとサイの二人は他の作品にもちょいちょい出てるので、ご興味あればnoteの他の記事を見ていただけたらと思います。
明日は12/20、担当はすぎこうさんです。よろしく!
昨年のクリスマス研修の様子