見出し画像

今年の「ドラマサ道」を観て考えたこと

2024年12月24日。メリメリとクルシミマス…

きょう、ぼくは仕事でうまくいかないことがあった。うまくいかないことの大抵は対人がらみのもので、人間関係はこちらの心持ちに関係なく、時に容赦がない。

いろんな人たちとの予定があったのだけれど、うまくいかなかった出来事がリフレインして頭から離れない。。早々に家に帰り、ふと眠りにつく。少しでも嫌なことがあると、すぐ布団に潜り込むのは昔から続いている癖だ。

夜の23時、このままではどうにかなりそうだと思い、渋谷にあるサウナスを訪れた。聖夜の夜ということもあり、男性側の浴室は数名のみ。5つあるサウナは貸切状態。クリスマスはさておき、サウナーにとってはこれ以上ないほどのベストな環境とコンディションがそこにはあった。

けれどもサウナ室の中で、ぼくの頭の中では仕事でうまくいかなかったことが延々とぐるぐるしていた。仕事相手から言われたこと、そのセリフがそのまま繰り返され、あぁ自分はあのときどう返したら、もっとうまくやれたのか、いや自分は悪くない、他責で全部相手のせいにして、自分自身の存在を正当化したい。けれども、どこかで、至らなさがあったのかもしれない。すべては自分にすべてが跳ね返ってくる。サウナ室にいるのに、全然気が紛れそうもない…  サウナ室での過ごし方が途端にわからなくなってしまった。

そんなとき、3日前に観たドラマの情景そのものを、ふと思い出していた。

ドラマサ道2024。サウナ室の中で、つらく切ない台詞が延々と繰り返されるようなシーン。放映の3日後、いま自分が体験しているのは、ドラマで描かれた情景そのものだった。苦しい台詞が頭から離れない…  サウナ室に居て、誰と話すわけでもなく、黙浴ルールをたまに息苦しさを感じたりもする自分が、今日だけは誰と話しても、この問題は解決しないような気がした。

しばらくずっと忘れていた感覚だったが、自分はどちらかというと、その日あった嫌な出来事や感情を、サウナ室にそのまま持ち込むことが多かった。仕事でうまくいかなかったことを皮切りに、会社を辞めざるを得なかったとき、明日からどうやって生きていくかの不安に苛まれたとき、愛する人や親族友人との別れがあったとき、もう、何もかもが嫌になってしまったとき…

その苦しみをたった数千円の入場料で、サウナが解決してくれるのでもないとわかっていたのに、ととのおうと思ってもととのえないのはわかっているのに、それでもぼくは苦しいときも、サウナ室にいることの方が多かった。

今年のドラマサ道を観て、もしかしたら、ぼくと同じような経験をしている人もいたかもしれない。嫌な出来事が台詞のようにサウナの中で延々と降り注ぐあの感じ、ととのいたいのにととのえなくて、いったい何のためにお金を払ってまでサウナに入っているのか、わからないあの感じ。そういう経験を経てみないと、今年のドラマサ道にきっと共感はできなかったかもしれない。

現に自分も、いざそういう場面になって、あらためて思い出すぐらいだった。コロナ以降にサウナファンになり、嫌な出来事をまるごとサウナ室に持ち込まない人だっているかもしれない。けれどもたしかに、ととのわないサウナは実際に存在していた。今日、自身がそれを再び体験してしまった。

ととのわない、サウナの役割とは何だろうか。自分の苦しみからも抜け出すことができず、気が紛れるわけでもなく、解決策を示してくれるわけでもなく、しまいには嫌な台詞や出来事ばかりが思い出される。そこに共感も、肯定も否定もなく、サウナは、ただそこに寄り添ってくれるだけだった。

これは自分自身への反省でもあるのだが、日々生きているとすぐに答えを求めてしまう。できるだけ効率よく、己が苦しまないように、遠回りをしない答えを欲しがる。コスパというと響きはよいが、自分が向き合わなくてはならないこと、自分の人生さえも、流れの早い現代社会では日常という喧噪にかき消されていき、人生に対する扱いそのものがおざなりになっていく。

それでもぼくたちは、日々と向き合いながら、何かを選択しなくては生きなくていけない。進学、就職、転職、結婚、出産、育児、介護、老後、死別…  選択をすることなしに、自分の人生を生きることはできない。気晴らしをしても、誰かと話をしても、選ぶのは自分でしかない。その選択をするとき、サウナはただ傍らに寄り添うだけなのかもしれない。

ただこれはひとつ、事実として書いておきたいが、布団に潜って寝込む時間が明らかに短くなった。2024年12月25日の深夜。日が変わり、気づけばぼくは自分なりのベストを尽くすアクションを起こした。以前は1日2日、寝込むことは珍しくなかった。

立ち直りが早くなったのはサウナのおかげなのかどうか、その因果関係はよくわからない。けれどもサウナが傍らにあるからこそ、ぼくの人生は着実に前へ進んでいる実感がある。ぼくにとって、サウナはありふれた趣味でも流行でもない。サウナは、人生そのものなのだ。

その気付きと体験を、残りの人生で、あらゆる人たちに伝えていきたい。



いいなと思ったら応援しよう!