【詩誌評】詩誌「UNKO」を読んで

こちらも、創作集「うい!」とともに、詩人のエキノコックスさんからご恵投いただいた詩誌です。いやあ、面白かったです。エキノコックスさんのほかに、星野灯さん、高橋克知さんが中心となって、柿沼オヘロさん、草野理恵子さん、川嶋ゆーじさん、沖田めぐみさん、鈴木奥さんと、豪華メンバーが集結している。もはやここでは、UNKOは誰もがするもの、だとか、人間にとって必要不可欠なものであるぞよ、とか、そんなもっともらしいことは言わない方がよろしい。何でもクソ(笑)真面目に批評、解釈したがるのが、日本人の悪いところ。これは、ひたすら純粋に楽しめばよいのです。

わたしには、柿沼さんと鈴木さんの詩がよかったです。柿沼オヘロさんの「落としもの」は、せつない、壮大なロマンに満ちています。「ぼくはいま/空一面に/王国を描こうと思う/きみの落としものを手に取って/指も手のひらも/むっとする絵具でいっぱいにして」。わたしは何だか涙ぐみそうになりました。「ぼく」という一人称で書かれた詩にわたしは偏愛のようなものがあるから、よけいにそう思うのかもしれません。鈴木奥さんの「うんこ走る」は、これまた愛に溢れた作品。「うんこを抱えて走ったものだった/きいろいうんこはまるでカナリア」にはじまり、ラスト、「君のうんこの健やかなることを艶やかなることを/母は祈っている」で締めくくられるこの詩、わたしは正直唸ってしまいました。参りました、と言いたい。一言でいえば抜群のセンスの良さ。

ここまで書いたらわかる通り、この詩誌は、「UNKO」というキーワードから、どれだけ自由に想像力=創造力を羽ばたかせられるか、いわば詩を読み、書く者たちに突きつけられた挑戦状でもあるのです。あとがきのように書かれたエキノコックスさんの「うんこが出たら流す」に、「本当は私たちは自由なんです」とある。これは、生きづらさや不自由さを感じたことがある人間にしか出て来ない言葉。それを「UNKO」というテーマに昇華したというのは、見事というほかはないです。最後に、自戒をこめて、問いたい。「いま、わたしは、自由だろうか?」。


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