【詩集評】サラ・カイリイ『ヴァージン・キラー』

やられた。
最初の一編から、やられてしまった。
すぐにわかった。これはわたしの大好きな詩集だ。わたしは、詩はロックであり、ときにブルースだと信じている。切ったら血が出る言葉を書いてなんぼである。サラ・カイリイの詩集『ヴァージン・キラー』は、そうしたわたしの欲求を十分に満たしてくれた。これは、すごいよ。優等生的な大人しい抒情詩など、お呼びでない。あっちに行きな。そうだよ、こういう詩集が読みたかったんだ。わたしを一発で虜にした、冒頭の、「シアトルズベストコーヒー」の一節。

「濡れた舗道にマクドナルドの紙袋がはりついて/色彩は夜に沈んでいる/恋人でない男と落ち合う 風景は/バスの窓に流れる 小さな月 つぶ/首をまさぐる かけられた金の鎖は/指先にあって 道だ/酔っ払いが老婆にからむ/優先席に座っていた男が酔っ払いを追い出す/アナウンスはやんでいる 運転手は/透明に背中を預けたようにみえる/鱗がはがれるように 脇の下から汗がにじんだ/消えていく熱量 わたくしの」

濃密な愛の詩である。これだけではない。他の詩では、激しい性愛も描かれる。そのどれもが、なぜか、すべてものがなしい。この瞬間、どれだけ激しく愛し合っても、やがて別れが訪れる。その究極は「死」だ。「死」があるからこそ、サラ・カイリイの詩の世界は、燃え上がるのである。ジョルジュ・バタイユ。文学にとって至高のものとは、悪の極限を掘りあてようとすることではないのか?と考えた彼の言葉「エロチスムとは、死を賭するまでの生の讃歌である」(山本功訳)が頭をよぎる。次の「キャンディ」も、また、すごい。

「抱きしめ合う/つよく つよく/背骨が折れんばかりに 抱きあう/抱きしめあう/くちづけの合間に 呼吸をする/くちづけの合間に 生命を投げる/わたしたちの 唾液がまじる/わたしたちは 色んなものを交換する/わたしたちは 色んなところに印をつける/わたしたちは だけど ひとりぼっち」「抱きしめ合う/つよく つよく/明日の足音に耳をふさいで 抱きあう/抱きしめあう/くちづけの合間に 過去を思う/くちづけの合間に 昨日が生きる/わたしたちの 爪が食い込む/わたしたちは 色んなものを忘れていく/わたしたちは 色んな場所を失くしていく/わたしたちは だから ひとりぼっち」

本当に誰かを愛せるのは、ひとりぼっちの人間だけである。人間存在の絶対的な孤独をわかっている者だけである。プラトニックなんて、嘘だ。ひとりぼっちだからこそ、この世でたったひとりの片割れと、激しく求め合うのだ。わたしは、この詩が、とてもよくわかる。不覚にも、涙がにじんだ。せつないとは、こういう感情を言うのだ。うれしくて、さみしくて、かなしい。ああ、この詩集を、もっと誰かに読んで欲しい。有象無象の詩に飽き足らない人は、ぜひ、この『ヴァージン・キラー』をよんで欲しい。言語のリズムの音楽的な美しさ、情景の視覚的な鮮やかさ、詩に必要なものはすべて揃っている。わたしの言葉では、その魅力を言い尽せていないような気がする。それがもどかしい。

最後に、これだけは言っておこう。サラ・カイリイは、札付きの不良である。それは、わたしが送ることができる、最大の賛辞だ。だって、古今東西、詩人ほどの不良はいないのだから。本当の、切ったら血が出る言葉で詩を書くことができる詩人は、いま、この刹那にすべてを賭ける不良だけである。詩を愛するすべての不良に、この『ヴァージン・キラー』を。

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