【断章】「一羽の」のこと、峯澤典子論のためのノート(2)
いま、どうしても書かなければならない、というものがある。それは、詩でも、文章でも、何でもいいのだけれど、わたしにとってはこの小文がそうだ。現在、訳あって、こころとからだをめちゃくちゃに壊している。自然と、自分の来し方行く末を思うことになった。書かずに死んだら激しく後悔する、というと大袈裟だけど、実際、ベッドに横になりながら、わたしは、次の詩のことばかりを思い出していた。峯澤典子さんの第三詩集『あのとき冬の子どもたち』に収められた「一羽の」である。それは、こんな書き出しから始まる。
明けがたの
階段の踊り場に
どこかの赤ん坊が落としたのか
あたたかそうな茶色の手袋が片方だけ
近づいてみると
それは一羽のすずめだった
日暮れに迷いこみ
窓に必死にぶつかったのかもしれない
ガラスには若い赤が混じった
雨粒の跡
ほかの部屋の物音はまだ聞こえていない
ハンカチで包み
中庭の茂みのそばに運んだ
手を離すと
小雨の音がした
峯澤さんの詩が、わたしの魂に触ったのは、まさにこの瞬間だった。少なくとも、わたしのこころの奥底に届くような、こういう詩を書くひとは、それまでひとりもいなかった。しいんと、音が消えて、わたしは、詩のことばと、ふたりだけになった。少なくともこの時間は、わたしはひとりではなかった。こうした素材を選ぶこと、ことばの扱い方、そして、このように書くこと。すべてが、わたしにとっては初めてだった。もっとも衝撃を受けたとき、ひとは静かにそれを受け止める。不遜な物言いであるが、峯澤典子さんの詩だけは、誰がどんなに勉強しても、真似は出来ないし、書けないと思った。本当にすごい詩とは、こういう詩のことを言うのだ。
実は、わたしは、この詩に書かれてあるような経験を、いちどだけしたことがある。大学院生のときだった。三階建ての研究棟のベランダで、すずめが一羽、死んでいた。友だちは、気味悪がって誰も近づこうとしない。わたしはしばらく、無言で、その死の有様を見つめていた。その後、学生が行き交うなか、桜の木の下に穴を掘って、埋めた。晩秋の、裸の木の寒々しさ。曇天の下、わたしはわたしでしかなく、すずめも、すずめでしかあり得なかった。ひとの顔は茫漠としていて思い出せない。峯澤さんの詩は、そのときのことを、ありありと思い出させてくれた。「一羽の」という詩は、次のようなことばで結ばれる。
あのとき
何に触れたのかを
何が
触れてきたのかを
死ぬまで思い出さないように
峯澤典子さんの詩、というと、わたしは真っ先にこれを思い出す。魂に触れるような詩に出会ったひとは幸福だと思う。ものを書く人間として生まれた以上、自分も、誰かひとりでいい、そのひとの心の奥底に届くような作品を書きたい。峯澤典子さんの詩も詩集も、どれもわたしには大切だけれど、この作品はまた特別である。『あのとき冬の子どもたち』は、わたしが最初に手にした峯澤さんの詩集だ。少なくともこの詩集があるかぎり、わたしはひとりではない。そしてわたしは何度でも、この「一羽の」という詩に帰ってくる。