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【FX】サピア=ウォーフの仮説から見る相場分析における環境認識の重要性について。

■ はじめに ■

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今回の内容はなぜ相場分析における「環境認識」が重要であるのか、そもそも「環境認識」を言及するという事は一体何について考える必要があるのか?一つの理論を引用してお話していきます。


■ サピア=ウォーフの仮説とは ■

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我々は何をもって「思考」するのだろうかと考える時、あなたにはどんな答えが思い浮かぶろうか?その答えがどんな物であるにしろその問いも、その答えもおそらく特定の「言語」によって行われている事でしょう。

我々は我々を取り巻く世界から常に多くの事柄を認識しています。その認識とは何から形作られているのでしょうか?それも又、おそらく主として「言語」により成されているでしょう。「言語」の介在皆無な「思考」を想像しようとした時それが極めて困難でイメージし難い物である事に気づきます。

この事は私たちが世界に対する認識のすべて、とまでは言えませんが少なくともかなりの割合を言語を通して「見ている」とも言えるのではないでしょうか。サピア=ウォーフの仮説を端的に述べるとするならば、

「 言語はその認識に影響を与える 」

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サピア=ウォーフの仮説は言語学の世界において普遍的支持を得ている理論ではありません。が、絶えず議論の的にもなってきた理論でもあります。その理由はこの仮説が唱える主張について我々人間が経験則的に或いはそういった面もあるだろうと軽視出来ない程度の説得力を備えているからでしょう。

■ FX・相場分析との関係とは ■

今回私がこの言語学における理論を引用した理由は相場分析における環境認識に対し、非常に興味深く大切な視点と問題を提供してくれると考えたからです。

仮に「認識」の基盤が言語だとするのならばその基盤を担う言語自体の水準によって、目の前にした情報から得られる「認識」つまりは理解や抽出される情報の価値さえもが左右されると考えられるのではないでしょうか?

例えば原始時代に何らかの発声パターンをつかったコミュニケーションが存在していたとしてそれを言語とした際、その時代に「認識」出来た情報と現代の言語レベルから「認識」される情報及び理解には比べようも無い隔たりがある事に異論がある方はいないだろうと思います。

これを相場分析に当てはめて考えて見ましょう。相場分析における環境認識を担う言語があるとして、その言語水準が低い理論或いは手法を用いているのなら当然ながらそこから得られる「認識」は非常に低い水準となり、その上に成り立っている理論もまた信用に値する物にはならないであろうと考える事が出来ます。

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例えばトレンド概念を前提としたチャートモデルの場合、そのモデルにおける認識の基盤つまり「言語」を担う物はなんだと考えられるでしょうか?

まずトレンド概念を前提としているのでれば当然ながら以下の定義が必要となるでしょう。

0.トレンドに対するフロー化された理論(文法)

1.トレンドの定義(マクロ)

2.トレンドを担う波1辺の定義(メゾ)

3.波1辺を担う点つまり高値・安値の定義(ミクロ)

体系化された理論を文法、トレンド・波・高値安値を単語とした4点をもって言語を言う事が出来るでしょう。つまりこの4点に対する各定義がどれだけ明確で厳密であり尚且つ矛盾が無いかという点が、「認識」に対する一貫性や秩序及び優位性の評価指標となると考えられるでしょう。

これはどのようなチャートモデルにも当てはめる事が出来ます。サイクルを前提としたモデルであっても、トレンドを前提としたモデルであっても、又は局所的な優位性を前提にしたモデルであってもです。

例えば移動平均線を用いてトレンドの「認識」を行う程度のレベルで相場分析における環境認識を行うのか、或いは高値安値つまりは「点」まで定義を持てる厳密な「言語体系」に沿って環境認識を行うのか。どちらの方が「認識」される情報の価値は高いと言えそうでしょうか?

断っておきますが前者が問題があると言っているのではありません。目指す水準は各々違います。私の場合はただ曖昧さの中に身を置いて論理的に投資を行う事は困難と考え、より厳密さと明確さに言及する方向を目指したというだけの事です。

高度で精密で矛盾の無い認識を求めるのなら時列を持ち、チャート上のあらゆる事象の発生地点に言及出来、尚且つ順序に矛盾が無いような言語を構築するしかないでしょう。

■ チャートを何時間も見続ける事に意味はない ■

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過去にも何度が同様の発言をしておりますが「何時間もチャートを見続けましょう」「そこから見えてくる物があるはずです」というような乱暴なアドバイスをされる発信者がいるとするならあまり信用しない方が良いかと思います。

ただ漠然と何時間もチャートを見続けても実りと言えるような収穫が得られる可能性は非常に少ないと考えられます。なぜならチャートから得られる「認識」や「発見」はその基盤となる「言語」によって成されるからです。

「言語」の指定が無いという事は一貫した観測基準が無いという事であり、観測基準が無いという事は目の前にしたチャート状態・事象を評価する事も言語化して抽出する事も、フロー化する事も出来ないのですから。

逆にフロー化された厳密な言語を通してチャートを見るのであれば、その出来なかった事すべてが容易に可能になる事は非常にイメージし易い事と思います。

■ 最後に ■

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お久しぶりです。

最後の更新から1ヶ月以上が空いていましたね。K2理論の指導が開始された事もあり投稿に割り振るエネルギーがありませんでした。現在も二期生が受講中であり、又終われば直ちに三期生が始まります。故にしばらくは指導注力のため無料投稿の更新頻度については期待しないで下さい。

さて本日お読み頂いた内容は独自に論理的投資理論を構築したいと考えている方等に特に読んで頂きたいと思いながら執筆させて頂きました。

MTF分析にしろMF分析にしろその正確性やそこから生まれる優位性は、相場分析における基盤つまり環境認識を担う理論とその理論を支える定義・文法・単語からなる言語によって大きく上下します。

理論を広げていくにしても局所的な手法にしても、結局の所最小レベルの基盤から言及していかなければ組み上げようもありません。そしてその最小レベルの段階ですでに「矛盾」がある、又はご自身で「理屈」や「理由」を説明出来ない物を利用しているのならその先に組み上がる理論がどのような結末を迎えるかは容易に想像出来る事でしょう。

積み上げる一つめの煉瓦には特段の注意を傾けるべきです。本日は以上。

高 山

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