見出し画像

人生振返り 事業承継決意してからの道

人生振返り、第四章となる今回のブログは
事業承継を志し、東京から地元宮城県塩釜市の家業に戻ってから、3.11から2018年10月のプロスピーカー合格までの人生を
振返りをしていきたいと思います。

前回ブログは下の通りです。

レスリングで日本一を志し、東京に上京。
大学では理想と現実のギャップに苦しみ
数多くの試練、多く挫折の連続でした。

「竜馬がゆく」と「思考は現実化する」の2冊の本によってパラダイムシフトが起き、仕事を通じて社会に変革を起こしたいと思った学生時代。

銀行では挫折、苦しみ、彷徨い、
心は不安と恐れに覆われ
非常に深い谷にはいっていました。

そこで出会った、グロービス。
そして、3.11が起き、
私のパラダイムシフトと知覚の成長が起き始めました。

そして事業承継し、事業を通じ東北に貢献していく。
この使命・志に目覚め、数多くのご縁・出会いによって
プラスJTXを通じて、数多くの学び・経験をさせて頂きました。

グロービスで習得した志と経営学・論理的思考をもとに、
「絶対この会社を守る!」決意
株式会社高山に2014年4月に入社しました。

妻の梨奈さんのお腹の中には4カ月前後の赤ちゃんがいました。
父にもなるし、絶対に成功するんだ。その覚悟と決意でした。

一般社員で入社しました。
朝礼で毎朝社長(父)が怒号の様な檄を飛ばします。
「ここができていない」
「こんなものではダメだ」
そんなメッセージが毎日続いていたと思います。

実際に、経営は赤字続きでした。
このまま、この赤字経営が続けば会社はヤバいと思いました。
まず黒字化に転換する事が私の使命だと思いました。

黒字化・経営を良くするために、考えに考えました。
正直、全てを根本的に変えなければならない。。と思いました。

あの当時、理念はありましたがお題目。
語られる事や体現されていなかったと思います。
また、社長が朝礼でメッセージすると、
営業メンバーは全員で喫煙所に行って、
タバコを吸い、コーヒー飲みながら、社長のダメ出しと愚痴から始まる。

仕事は正直、やっつけ仕事や他力本願の人が多く驚きました。
真面目で優秀な社員の方もいましたが、大半の方は、
お客様からのご要望には応えるものの、
組織として機能していない状態でした。
逆に、真面目で優秀な社員が、仲間外れの様にされており、
陰口、妬み、嫉みの様な会話が影から聞こえてくる感じでした。

商品・サービスも、文具・事務機・家具を販売会社として、
特別なお客様にとっての価値、差別化、強みがありませんでした。

会議はを社長が檄を飛ばし、いかに売るか。を語ります。
営業報告会議では、社員がいかに売れないかの報告が多かったです。
ほとんどの方が未達が当たり前。営業会議は暗く沈んでいる。

正直、これがあの当時、私が感じた(株)高山の第一印象でした。
「この会社を必ず守る!」と決意していた私は、この状況でも絶対にV字回復させるのだ!と決意と覚悟を固めていました。

私は大きく3つ取り組みました。
一つは、各社員と同行しながらコミュニケーションをしていきながら、自分の想いを伝えていくこと。

二つ目は、この経営を根本から変革出来る戦略やパートナーを探し、構築していくことでした。

三つ目は短期的に売上を上げていかなければならないので、自分が率先して営業活動をしました。

1つ目のコミュニケーションには大きく苦しみました。
私は「この会社をどうしたら守れるか、黒字化に出来るか
一方でその当時いた社員からの言葉は「いかに社長や会社へのダメ出しか。
低い次元の他愛もないことでその場を楽しむ会話
」が多かったです。

あの時、私は「自分がこれだけの代償を払い、志高い使命感を持って高山を救いに帰ってきたので、みんなに待ち受け入れてくれる」と期待してました。

実際には私の志や情熱を話しても「へーそうですか。熱いですね」
とほとんど受け止めてもらえていない。
それどころか、「後から入ってきて、社長の息子だからって、俺たちの事を考えず一方的で、受け入れられない」そんな反対勢力の様な人間関係の壁を常に感じる様になりました。

私は父・社長を責めました。
自分「あんたが、こんな経営しているから、この会社はダメなんだ!
父・社長「うるさい!黙れ!何も分からない、何もできないお前に何が分かる??そんなことばっかり言っているなら、お前がやってみろ!!
自分「あぁ、俺がこの会社の変革やった方がマシだ!!余計な口出すなよ

こんなやりとりを、社内でも・家庭の食卓でも、毎日していました。
私は、この頑固親父め! 

そしてなんで今いる社員はなんで、こんな人ばかりなんだ。。
今やっている仕事はほとんどが儲からない。勝てない仕事ばかり。。
身の回りの人を責め、環境を責め、仕事を責めていました。。。

妻は出産まで、母の管理・経理処理の仕事をしてくれていました。
社長の息子の妻という事で、非常に孤独感や疎外感を感じていました。
ある夜に泣いている姿を見ました。

私が営業で不在の時、営業のある社員が
妻が社内にいる中で、私の悪口をしていたそうです。

妻は、私の人生かけた覚悟を知ってくれていた反面、
その想いが全く社員の方に伝わっていない。
それどころか、反感を買っていることに、
悲しく・苦しく・切なく涙していました。

私は、正直「怒り・フラストレーション」に満ちていました。
なんなんだ、こいつら。
経営者の大変さなんて、全く理解していない。
稼げもしないくせに、愚痴・不平不満・出来ない理由・自分を守ることばかり。出来る社員がいれば、妬み・嫉み・陰口・・・

ふざけんな。こんな奴やめちまえ。
正直、こんな酷い感情・想いを内側に頂いていました。

人間関係・社内はこんな感じです。
更に、毎月未達で毎月赤字が積み重なる。
売れない。売っても薄利。
長期案件にチャレンジしても入札で負けてしまう。

八方塞がりでした。

絶望

サイバーセキュリティの師との出会い

そんな時に、ある出会いがありました。
それが中小企業向けサイバーセキュリティのプロコンサルタントの兎澤さんとの出会いです。

銀行時代からインターネットバンキングの普及に伴い、不正送金が問題化されてきており、そこに対するソリューションを提供するのはどうだろうか?という思いつきの種はありました。

そこに、中小企業サイバーセキュリティ対策のプロフェッショナルの兎澤さんの話を聴いた時に、これだ!この事業こそ、これから社会に求められ、お客様に求められ、私達がこの状況を突破できるものだ!と確信しました。

兎澤さんとの出会いは今でも覚えています。
朝9時から話をして、午前中からお昼過ぎまでは、サイバーセキュリティ対策の事業化について話をしました。

これから大きなIT化・デジタル化の波が来ている。
一方で、サイバーセキュリティ対策はほとんど、ウイルス対策ソフトのみ。
どの中小企業も他人事。
メーカーや通信業界は、恐怖を煽っての売り込みが主流で、
それでより、日本のサイバーセキュリティ対策は遅れている。

そこをねらった、中国、北朝鮮、アメリカ、ロシア、イスラエル等のサイバー攻撃のハッカー集団が日本企業を狙っている。そしてじわじわとその被害が顕在化してきている。

しかし、みんなそれは国家や大企業の話だと対岸の火事。
知らずに乗っ取られている、中小企業が実は潜在的に多い。

自分は、事業を通じて中小企業のお役に立ちたい
これが就職活動の時からの、仕事の目的の土台であり、
3.11通じ、東北の企業・起業家の想いを実現・支援できる会社になりたい
その想いが強かったので、この事業に強い使命感を感じました。

その後、経営で大切な事の話となります。
船井幸雄先生の教えから、兎澤さんが経営で大切だと思う事
素直、プラス発想、勉強熱心
圧倒的地域NO.1戦略
時流適合
包み込み法
ファン作りの顧客アプローチ法
徹底と継続
全ての出来事は善 過去オール善

あの時、話した内容が私の経営の血肉となりました。
ここで学んだ事を、私は誰よりも実行したと思います。
思いは、ただこの厳しい現実を変えたかった。
良くしたかった。
良くなりたかった。

そこから、ネットワーク、サイバーセキュリティの勉強・情報収集を徹底して1~2年しながら、日中はお客様へ情報提供やセミナー活動に注力しました。

最初は社内でも、社外のお客様にも
「なんで、文具屋の高山がサイバーセキュリティ??」と相手にしてもらえなかったです。

この当時はサイバーセキュリティのノウハウ・経験・実績もないです。
ただ、「この情報を伝え、分かってもらう事に価値がある」と思い、
沢山の企業様に毎日訪問して、ご挨拶しながら1分だけでも聞いてもらえるような営業活動・情報提供をしていきました。

私は四代目です。創業者でなく、事業承継者ですが、
(株)高山のスタートから今まで、ほとんどを新規事業をゼロから起ち上げ、
新規事業を一歩一歩事業化・組織化してきたと思っています。
あの時、泥臭く1件1件の訪問・情報提供の積み重ね
お会い出来、話を聴いてもらえた事に、本当に有り難い。
感謝の気持ちを込めて、お手紙をかく。

夜はサイバーセキュリティやネットワークの本で勉強や、情報収集して
いち早く資格を取得し、プロと言われるレベルを目指しました。


そういった積み重ねが今の私の仕事観や事業に繋がっていると思います。
若い方には、こういった泥臭い・古臭いと感じる仕事も疎かにしないで欲しいと思います。

最初は、力も、知識も経験も周囲からの信用信頼もないところからスタートです。一生懸命頑張っても、社会やお客様は厳しいです。簡単に門は開かれません。それでも諦めずにやり続けると、一人・二人と話を聴いてくれる方が出てきました。

あの時、兎澤さんの月一回の支援が、私の道しるべでした。
兎澤さんから、その当時上司の那須さんをご紹介頂きます。
サイバーセキュリティのプロ中のプロであり、
考え方や、愛妻家であり、とても人格者の方だとご紹介頂きました。

那須さんが初めて(株)高山に来て頂いた時に、
かなりの衝撃を受けました。

サイバーセキュリティやITの、プロ中のプロでありながら、
非常に親しみやすい。
難しい専門的な話もとても分かりやすく、すーっとはいってくる。
分かりやすい例え話や、具体例から、どんどん話に惹き込まれました。

また、これは感覚的なところですが、
強制感や自分が正しい。という感じがなく、
常に聴き手の私達の立場に立って話をしてくれながら、
飾らず等身大でいる姿に、驚きました。

また深い哲学的な話も沢山しました。
なぜ、私達は生まれてきたのか。
その当時の那須さんは「生まれた時よりも、色々な経験を通じ、ゴツゴツしていた魂が、磨かれ、生まれた時よりも魂がキレイになる為に、生きているんですよね!」という話を聴いたときに、稲盛和夫さんの「生き方」そのものだと思いました。

この人は本物だ!
私は出来るだけ那須さんから学びたい、吸収したいと思いました。
その当時、サイバーセキュリティの講演やセミナーは、兎澤さんや那須さんにお願いしていました。私はそのセミナーを食い入るように見て、学ばさせてもらいました。

また、東京本社で全国の同業の事務機屋からサイバーセキュリティ対策支援を行っている経営者の皆さんの集まりがある事を教えて頂き、東京に学びに行きました。

東京で、同業の数多くの素晴らしい企業の経営者様や、プロのコンサルタントの方々、良質な情報と出会いから、自社の経営変革の突破口を見出していきました。

画像3

出産の経験からのパラダイムシフト

非常に苦しかった半年間を乗り越え、サイバーセキュリティ事業も少しずつ軌道に乗り始めた2014年10月に、当初11月中旬出産予定であったのですが、
色々とあり、東北大学医学部のお医者様から10月中旬に出産する方向で調整しましょう。と言われました。

お腹に赤ちゃんがいる時は「でんちゃん」というニックネームでよく声をかけていました。でんちゃんの由来は田から来ています。
高山と 妻の旧姓 山田を合せて、高山田→高山 田→でんといった感じです(笑)

でんちゃん、は待望の第一子です。
私は命名に半年近く、深く考えました。
自分自身が道に迷った時に、よく自分の名前に立ち戻りました。
私は智慧があり、壮大な経営者になるのだ。
といつも創業者・両親の想いに立ち返れました。

だからこそ、生まれてくる子にも誇りをもてる名を。
人生で道しるべとなる名を。
愛着が持てる名を。
出産日まで候補は3つありました。
私は、生まれた時の姿を見て、最後決めよう!と考えました。

そして出産日
あの日は、10月の雲一つない、晴天の秋晴れでした。
東北大学病院に向かう銀杏並木がキラキラと輝いておりました。
その時に、この子には「光り輝く子」であって欲しい。
自分自身が輝き、周りの人を輝かせる事が出来る人になって欲しい。
その想いから「大輝」と名付けました。

画像2

大輝の誕生から、
それまで自分の人生を如何に生きるかという、自分中心の自己実現型から
これから、この大輝や家族が幸せな人生を歩んでもらう為の人生
に変わりました。

その2年後には、第二子を授かります。
第二子は女の子でした。
2016年9月初旬の検診が終わり梨奈さんから
「先生から順調にそだっていて、10月初旬出産予定だって」
と電話があり、安心しました。

その日は、いつもより早く帰ると
妻がソファに横に倒れて、出血していました。

私は、ゾッとしました。
まさか、、、

大輝を実家に預け、
直ぐに救急車を呼び、
救急車で東北大学病院に搬送されました。

あの時に、ずっと妻の手を握りながら
「どうか神様、助けてください」と念じる事しかできませんでした。

病院に到着後、即座に緊急のオペとなります。
私は手術室の前で待っていますと、看護師の責任者の方に
覚書の様な、書面を説明を受けました。

かなり動揺していたので、詳しい内容は覚えていませんが、
ニュアンスとしては、万が一母子が手術によっての支障、最悪死亡となる可能性がありますが、あなたは代理で手術をやるとサインしてくれますか?
というものでした。

最悪の事が頭をよぎりました。。
主治医の先生に全てを託し、その書面にサインをしました。

ただただ祈り続けました。
手術室から主治医の先生が出てきたときに
「無事に赤ちゃん産まれました。
 お母さんも無事です」と言って頂けました。

その瞬間に感謝の気持ちが、わきあがり泣きました。
頑張ってくれた梨奈さん
産まれてきてくれた、赤ちゃんに
救急搬送してくれた方、看護師さん、主治医さん

本当にありがとうございます

その時に感じたのが「」でした
一人ひとりの「」への想い
それが「
特に、妻梨奈さんの愛から産まれてきてくれた子
その想いから「愛梨」と名付けました。

出欠から1時間近く、お腹の中で酸欠状態だったそうで、
確か1~2か月MICUに入り、なかなか面会出来ませんでした。
早く、娘の顔みたい。抱っこしたい。
会えないと分かっても、病院に通いました。

初めて愛梨と面会した時に、感動しました。
生きている。
ただ、それだけで、有り難い。
この命の尊さに気づかせてもらう体験となりました。

愛梨は、小麦、卵、乳製品の重度のアレルギー持ちと分かり、
その後の食事は大変でしたし、
何度か口にしてしまい緊急搬送、緊急入院する事もありました
その都度感じるのは、アレルギーは大変だけど
生きているだけで、尊い
そう思えるパラダイムシフトでした。

人生、経営の支えとなった良書・偉大な人物

グロービス在学中に沢山のビジネスリーダーとの出会いや本を読みました。良書に出会う事によって、新たな気づきが得られるので読書が習慣化していました。

あの当時、人生、経営の支えとなったのが
稲盛和夫さん
中村天風さん
船井幸雄さん
到知
に出てくる真のリーダーの生き方、考え方に
いつも、自分の視座を磨かせて頂きました。

稲盛和夫先生の「生き方」「フィロソフィー経営」「燃える闘魂」に感化
されました。

中村天風先生の「成功の実現」はバイブルとなり、天風会にも参加し、
東京で心身統一法の修行もさせてもらいました。

船井幸雄先生の「法則」はこの宇宙の法則・原理原則を分かりやすく、
シンプルに書いてあり、マーケティング含め勉強させてもらいました。

また、3.11が起きた後から、神棚・仏壇に手を合わせる事を大切にしてきました。

まず生きていられる事、仕事与えて頂いている事に感謝。
神様・仏様・ご先祖様に感謝。

そして心の葛藤や、迷いがある時は仏壇に手を合わせながら
「この出来事は、私に何を教えてくれているのでしょうか?」
「この出来事を、どのように捉え、判断していく事がいいでしょうか?」

と問い続けてきました。

すると、ふっと何かが閃きや、
これだ!という解が見えてくる。
その後、創業者の遺影を見ると、創業者が語ってくれるのです
時には「甘えるな。迷わず進め」
時には「驕るな。素直であれ」
時には「迷ったら、経営理念に立ち返れ」
と、創業者・祖父とテレパシーの様なもので会話をします。

私にとって、創業者・祖父が最大の師です。

画像4

念願のシリコンバレーでの衝撃

経営で「時流を読む」大切さをグロービスと船井幸雄先生から
学んでいた私は船井総研主催の、シリコンバレー視察に行く事を決めます。

銀行時代、小正君からイーロンマスク、スペースXやテスラモーターの存在を知ってから、世界を席巻するシリコンバレーの風を感じたい夢がありました。

シリコンバレーは全国からIT企業の経営者様と一緒に確か1週間くらいの
ツアーで行きました。

行きの飛行機で、左側に座っていた方に、世間話をして、なぜ今回シリコンバレーに行くのか聞いた時に「セールスフォース」との出会いの話を聴きました。

旧態のビジネスモデルでの限界から
セールスフォース×分業(業務フローの仕組化)によって高い生産性
付加価値を上げられた話に感化されました。
それがシステムフォレストの富山社長から衝撃をもらいました。

シリコンバレー到着後、
Plug and Play Tech Center(ベンチャー企業の聖地)に行きました。

画像6


そこでChatWork創業者の山本社長の話を聴きました。

シリコンバーの凄さをここで、学びます。
「エコシステム」
起業家が起業しやすい環境、風土。
そこに潤沢なキャッシュと経営のプロの投資家
あらゆるところで、ビジネスネットワーキングを組めるコミュニケーション


実はそこに、グロービス同期の平野んが、社内ベンチャー責任者として滞在していました!

こうやってグロービス同期が世界で闘っている姿にめちゃくちゃ刺激をもらいました!帰りは初めて一人でUberを利用し、世界のサービスが変わることを体感しました。

画像5

その後に、マルケト、テスラ、insta、3Dプリンタ企業、Evernoteを視察しました。そこで感じたことは
デジタル・テクノロジー」がビジネスを制すると言う事です。
視察主催者船井総研のトップ斎藤さんから「タイムマシーン経営」だと
教えて頂きました。

シリコンバレーのテクノロジーやビジネス潮流は、約5年後に日本にくる。
日本に来て、東京・大阪から拡がり、地方経済に普及していく。


このシリコンバレー視察が確か、2015年の3月。
その5年後の2020年3月にコロナが全世界に大きな影響を与え、
オンライン化・デジタル化がシフトしまた。

経営者には時流を半歩先を読み、時流に合わせ変化対応していく大切さを
肌で感じた経験となった。

試練・困難の連続。再度人生の谷に。。

帰省して1年、2年経ち
サイバーセキュリティ事業や、新築案件でのオフィス家具が軌道に乗り
経営を成長させ黒字化にV字復活が出来、採用も出来る様になりました。

少しずつ会社業績が良くなり、
創業70年目の感謝祭に400名近いご来場頂く成功を
おさめれるようになっていました。
あの当時、お世話になった社員の皆さん、
お客様、パートナーの皆さんに心から感謝しています。

画像7

感謝祭後に訪れたのが、感謝祭の準備とアフタフォローで
逆に業績が落ちました。
400名のお客様に来て頂いたのに、仕事に繋がっていない。。
営業は何をやっているんだ!?
いつも「なんで?出来ないんだ?
と社員を疑う心や、責める心がありました。

あの当時の私の心の中は
「まだまだ、こんなんじゃダメだ」
「自分が稼いでいるのに、なんであの社員は稼げないんだ」
と社員を責めて、裁くところがありました。
今思うと、俺は凄いのにこの社長と社員ときたら・・と見下した見方をしていたのかもしれません。。。

外部の一流のビジネスパーソンと仕事するときは楽しい、
ワクワクするのに、社内で仕事するとイライラと孤独感を感じていました。

そんな渦中に、2つの大きな仕事が舞い込んできました。
1つが、震災で大規模半壊となったお店・事務所をグループ補助金を
活用しての大改装・リニューアルプロジェクト。
2つ目が、大規模なLED案件でした。

私は両方ともチャレンジを選択しました。
1つ目のプロジェクトでは全社員を巻き込み、中小企業のロールモデルとなる店舗・オフィスを作ろう!と自分が中心となって、全社員プロジェクトチームを作り、この機会に新しい会社を作ろうと思いました。

2つ目のLED案件は社長の紹介で、価格競争力あるパートナーと組み
営業担当に任せながら、進めて行きました。

途中までは良かったです。
ただ、ここから数多くの試練・困難が起きて行きます。

改装・リニューアルプロジェクトでは、社員と一緒に夢を語り、理想となるお店・オフィス作りの為に、色々な視察や、話合い、計画立てをしていきました。設計事務所ともレイアウトについて練りに練りました。

自分のビジョンと社員の想い・アイディアを詰め込んだプラン。
とてもワクワクしました。
そこに社長が来て、色々なダメ出しをします。
「ここは狭すぎる」
「ここにこんなドアは絶対にダメだ」と
「全然オフィスの事分かっていないな、全然考えていない、ダメだ」

みんなで話合っている時、話合いに入っていなかった社長が
最後来て、ちゃぶ台返しの様な言葉に
私はぶち切れで反論しました。
かなり激しい口論を社長としましたが、最後社長は
「俺が社長だ。社長の俺が最後決めるんだ」と言い放たれました。

その時、社員たちから言われたのは (たしかの記憶ですが)
「部長(当時)が、みんなの意見を取り入れてリニューアル成功させたいといったから、こちらも忙しい中時間割いて関わったのに、、」

「結局、俺たちの考えは認めてもらえないんですね。」

「親子ケンカを私達まで巻き込まないでください」

「このプロジェクトに注力してきたので、業績は上げられません。
 業績上げられないのは、このプロジェクト参加強要されたからです。」

本当に厳しい状況になりました。

またこのプロジェクトには数千万のお金がかかります。
補助金を頂ける予定とはいえ、自己負担でも数千万の借入が必要でした。

その時に、私は銀行員として連帯保証人を依頼した時を思い出します。
銀行員の時に、普通に連帯保証人にサイン下さい。と言っていたが、
自分がいざここにサインするとなると、非常に怖くなりました。

この組織の状態だったら、、、
また赤字に転落し続けたら、、、
どんどんと経営が悪い方向に進むのではないか
と思うと
夜寝れなくなりました。

更に追い打ちをかけるように
父・社長と、設計会社・施工会社との定例打合せが
いつも話が嚙み合わない。

今思い返すと、お互いの立場の主張が多く、
相手との協調・歩み寄りがなかったからだと思います。

話が噛み合わず進むから、問題が更に問題を作り、
何が本質的な問題なのかもわからなくなるほど、問題を抱え
ていました。
金額、納期、完成状況の確認、デザイン、補助金申請関係の調整
私が、やると言ったからですが、一人では抱えきれないほどの
仕事量と問題の山になっていました。

更に同時期に、LED案件のパートナーが怪しい行動をし始めます。
詳しい内容は書けませんが、とんでもない裏切り行為をしました。
何千万の損失が㈱高山に発生するもんでした。

私は許せなかった。ありえないと思った。
事務所で裏切り・不正行為を、あたかも正当化して説明する、
そのパートナー企業の責任者に怒りが爆発した。

訴えてやる。
これは明らかに、商取引の法律違反だ。

記憶にはないですが、私は相手にそう言ったと思います。
とはいえ、顧問弁護士がいなく、商工会議所の無料相談に行き、
そこで出会った弁護士に藁にすがる思いで、依頼しました。

しかし、その弁護士とも話が噛み合わない。
私達は訴訟して、その裏切り行為によって、弊社が何千万の損失を追うのに
なんだか頼りない。というより私達の心情に寄り添ってくれず、
先生の考えとしては、訴訟しても損失は回収できないと思いますよ。。
との返答。。。。

更に、こういった問題に時間がとられ、営業活動が出来ず
毎月未達が続き、赤字が積み重なる日々。

ある社員が信じられない問題を起こし、お客様が怒鳴り込んできて、
謝罪を強要されることもありました。

離職の話も続きました。

心も頭がぐちゃぐちゃで、
日中は「怒り」「フラストレーション」「相手を責める、批判する」
そしてなんでこんなに問題が起きるのだと環境や状況を「恨み」「憎しみ」
の感情でいっぱいになっていました。

夜になると「不安と恐れ」で、神経質になり不眠症になりました。
アトピーが悪化し、やっと寝れたと思い、朝起きると
顔や体を搔きむしり、朝起きると枕もシャツも血だらけ。
身体も心もずっしり重く、疲れがどんどん蓄積されていく。。

常にお腹がキリキリして痛い。
頭がギューッと締め付けられる。

あぁ、もう限界だ。
誰か助けてくれ。。
もう逃げたい、楽になりたい。。。


こんな状態に追い込まれてました。

何とか、改装工事・リニューアルオープンを期日通り実現ができ、
訴訟問題もその後、七転八倒しながら半額は回収が出来ましたが、
私の心と身体は限界に来ていました。

ある日、突然耳が聞こえなくなり
身体を真っすぐ立っていることが出来なくなっていました。

病院にいくと、中耳炎が中まで入り重度の内耳炎になっていました。

即入院を宣告されます。

2週間程、入院しました。
その時に、私はこれまでの人生を振り返ってきました。
なんで、俺の人生はいつも苦しいのだろう。
なんで、俺の人生はいつも辛いのだろう。


見舞いに家族や友達、知り合いの経営者が来てくれました。

画像8

あの苦しかった時に、小尾ちゃんから
ともちゃん、苦しいよね。でもともちゃんなら、大丈夫だよ!」と声をかけてもらったのが救いでした。私の恩人です。

苦しい時に、手を差し伸べてくれる方ほど、有り難いものはないと。
今でも有り難い気持ちが蘇ります。

この入院中にショックだったこと。
それは、社員の方が誰も見舞いに来てくれなかった事です。

私は3年前に、人生かけて、この会社を守るために㈱高山に入社しました。
全てを捨てて、人生かけての覚悟と決意で。

この3年間、経営の答えが全く見えない中で手探りながらに、
一生懸命やってきた。本当に自分の最善を尽くしてきた。

なのに自分は心身ともにボロボロで
会社も今また、赤字。
父・社長が見舞いにきてくれても月次決算と会社の状態がヤバいことを
告げられる。
そして、誰も見舞いに来てくれない。

自分は、何の為にこの㈱高山を引き継ぐのか。。
自分は、なぜこんな状態になってしまったのか。。。
こんなに勉強して、学び、努力しているのになぜなんだ。。。。

私は、その時

「よくなりたい」
「幸せになりたい」


と心から思いました。

この時に、新たな出会い・ご縁が訪れます。

人はいつからでも、どこからでも、必ずよくなれる!

「よくなりたい」
「幸せになりたい」
「もう苦しみから解放されたい」

そう思っていた自分に、ある経営者からお声かけ頂きます。
「高山さん、もしかしたら高山さんに役立つ勉強会があります。
 実は私がプレゼンするので、聞きにきませんか?」とお声かけ頂きます。

その経営者の方が、(株)よくする代表の鈴木盛登さんでした。

正直私は、自己啓発やセミナーに対して、かなり斜めに構えていました。
かなり学んできた自負があり、お手並み拝見という姿勢だったと思います。

ただ、その勉強会は普通のビジネスセミナーと違うのです。
周囲に入る方々が、笑顔でハッピーなオーラ満載
スーツを来ている方々がカッコよく、キラキラ輝いている

あの当時JPSA仙台支部にいた、野伏さん、畑中さん、久保さん、山口さん、
鹿内さん、佐藤さん、その他にも数多くのカッコいい輝いている方が多かったです。

そして勉強会では、鈴木さん方が、自分の人生の歩みを
話始めるのです。

2011_JPSAオリジナルZoom背景_4

斜めに構えていた私は、スピーカーの盛登さんの話に惹き寄せられます。
そのキラキラ輝いている姿からは、信じられないほど
壮絶な人生を歩まれてきている話に、
今苦しい・辛い自分の人生が重なっていきます。

その壮絶な人生の歩みに、私も涙がこみ上げてきました。
今おもうと、自分の人生で、生きる痛みを知ったことで、人の痛みを共感出来る様になっていたのだと思います。

そして、ある情報との出会いによって人生が根本から変わる事が出来た

人はいつからでも、どこからでも、必ずよくなれる!

この言葉。
このプレゼンテーション
この生き様に
稲妻が走りました。

「よくなりたい」
「幸せになりたい」
「もう苦しみから解放されたい」
と思っていた私は
自分もよくなりたい」と思いました。
「よくなって、自分も今苦しい・辛いけど、
いつか自分もこの経験を糧に、人に勇気を与えられる様にになりたい!」と思いました。

その勉強会はJPSA 日本プロスピーカー協会の仙台支部の勉強会でした。
その良質な情報とは、アチーブメント社が提供する「頂点の道コース」
でした。

その時仙台に来ていた、橋本拓也さんに
AERのスタバで提案してもらいました。

私は、正直営業されると思っていたので、かなり構えていました。
橋本さんの商談は衝撃でした。
まずは、売り込まない。どんどん聞いてくる。
最初は良い面や自分の考えを喋りながら承認してくれるのです。

内心「え、ここで今承認したら、自社のサービス売り込めないのでは?」
と思う程、親身に質問され、そして私の経験や考えを全て受け止めてくれた感じがしました。

衝撃だったのが、クロージングトークの「自信」でした。
高山さんが実現したい人生、経営に高山さんだったら必ず実現出来ると思います。私達の頂点の道は必ずその実現を早め、確実化することを私は確信しています」(たしか、こんなトークだったかな)

初めて営業トークで衝撃が走りました。
商品を売り込む、力強さではなく。
私の成功、会社の成功に、自社の商品が必ず役立つという確信。
この確信に、私は受講を決意しました。

アチーブメント 頂点の道コースとの
出会いによって、人生・経営が変わる

あの当時は五反田駅から坂道を上がっていったところに
アチーブメント本社があり、ドキドキしながら行きました。

会場に入ると、机と人がびっしり入っていました。
私は後ろの方で、まだ斜めに構えて聞いていました(笑)
今思い返すと、自分の「素直じゃない。疑ってかかる姿勢が、
物事・現象を歪んでみていて、自分で苦しみを作っていた
のだと思います」

私が一番最初に衝撃を受けた事。
それは、「私の人生、私に責任がある
文章に書けば、当たり前のことですが、青木先生が語ると、
何故か自己観照が始まりました。

自分は今まで、苦しい・辛いと思ってきたことは、
大学の先輩、銀行、3.11
父・社長、社員、トラブル・・・
次々と襲い掛かってくる合わない人や
嫌な人、嫌な出来事、嫌な環境、試練が
私を苦しめている
と思っていました。

そこに、
事実は一つ、解釈は無数
思考は現実化する
あなたは、あなたが考えている通りの人間となる

青木先生の言葉が突き刺さります。

全て、知っていると思っていた言葉ばかりでしたが、
今まで「知っている」と思っていたのではなく
「見て・聞いたことがある」レベルで
この言葉の本当の意味・奥深さが
一つひとつ胸に突き刺さってきました。

2日目終わる時の席替えで、担当の木村顕太さんに、
高山さん、是非あのテーブル行ってください。と言われました。
一番後ろのテーブルでした。

そこには丸山EPSがいました。
しかし、私は何も分からず座り、図々しく
質問攻めしたと思います。

初受講でのスタンダードコースで非常に重要だと思ったのが
願望の明確化
事実に対する肯定的解釈
愛を土台とした目的から一貫した生き方を貫く
真の成功とは、自分自身の求める成功と、
 他の人々が求める成功への貢献が一致している状態

この学び・気づきが、強烈につきささりました。
 目的から土台とした目標設定でした。
 自分の人生の目的、自分の経営の目的
 本心・本気・本当の目的はなんだろうか
 自問自答しました。

また、初受講印象的だったのは、周囲の人の優しさです。

初対面で前に座った瀧澤さんが、私に
「気づく人、気づかない人」の著書をプレゼントしてくれました。
しかもサイン入りで。びっくりしました。
なんで、初めて会った私に本をプレゼント??
何か裏があるのか??なんて勘ぐるほど、優しかったのを覚えています。

登山家の栗城さんのチャレンジの話も心震えました。
生きるか、死ぬかの瀬戸際でのチャレンジと経験に震えました。

今までのビジネスセミナーと大きく違うのが、
これは真の成功の人生。幸せな人生を歩む
生き方・考え方」と「行動・習慣の行動管理技術」の
セミナーなのだと分かり、その場で学び続けて行きたいと思いました。

画像10

■ダイナミックコース
その後、ダイナミックコースでは数多くの「パラダイムシフト
が連続で体験型で体感していきました。

自分では気づいていなかった、「思考の癖」に色々なセッション・ワークを
通じて痛感していきました。

特に、頭を叩き割られたのが「赤黒ゲーム」というものでした。
詳しくは書けませんが、ゲーム内容を聞いた時に
私は、いかに勝つか。
いかに相手より上に立つか。
瞬時に戦略を考え、チームで勝つための話合いをしました。

結果は、両チームとも残念な結果でした。
その時に、私の中にある
勝負」のパラダイムに気づきました。
父との格闘、受験、野球、レスリング、就活、銀行、社会人、経営で
いかに勝ち上がるかを目指してきた人生。

ただ、その「勝ち/負け」のパラダイムでは真の勝利
真の勝利とは、相手を勝たせて自分も勝つ。
Win-Win」という事でした。

ビジネスで「Win-Win」は当たり前だと思っていたけれど、
自分の潜在意識は「勝負」に瞬間的に反応している。
分かっている事と、出来る事の違い。
顕在意識と潜在意識の大きな差を痛感しました。

確か、一番最後のセッションで
人の温かさ、愛を感じました。

どこかに、私は「相手より優れていたい」とか
相手に傷つけられたくない」という潜在意識が強かったと思います。
どこかに人間関係で、自分より上の人か、下の人かと
格付けで判断
しているフィルターがありました。

その小さなフィルターを取っ払った時、
人の「」を感じました。
あの体験から、出会う人を好きになるようになったと思います。

■ダイナミックアドバンスコース
ダイナミックアドバンスコースは、
私の人生を根本から、劇的に変わった3日間でした。

できない。と思ったことも、
出来る!と信じ、チームで信じて・力を合わせて取り組めば出来る!
限界の最大の蓋は自分の思考の壁であることに気づきました。
あの体験を通じ、最初から出来ない・不可能という言葉を自分の辞書から
消そうと思いました。

二日目のワークで、自分が死ぬ疑似体験をしました。
その時に、「まだ死にたくない」「まだ死ねない」
「自分はまだ、誰も幸せに出来ていない」
もっと、家族を、社員を、大切な人を幸せにしたい」と
心から思いました。

夜のプレゼンでは苦戦しました。
伝えているのに、伝わらない。
なぜ、この人達は理解してくれないのか??と思いました。
その時に、プレゼンの極意は伝える。ではなく
ForYouで伝わる ことなんだと体感しました。

これが、その後の自分・会社のビジョンの原体験となりました。

三日目のワークで、自分が成功しなければならない理由。
私のビジョンを語る時がありました。

この自分の使命と思える言葉と出会えた感動。
同志が魂のプレゼンに感動。
自分が、心からプレゼン出来たことに感動がありました。
プレゼンテーションは、プレゼント。
心からのプレゼントの素晴らしさを体感しました。

これが、㈱高山で最終面接でのプレゼン課題
・誰の為に、何の為に、なぜ、(株)高山に入りたいのか?
・㈱高山に入って、どんな人生・仕事をしていきたいのか?

の大本なのです。

最後の最後のワーク
縁ある方に「持ち上げられる・支えられる・祝福される
あの体験が、私の人生観を変えてくれました。

あの瞬間、フラッシュバックの様に
これまでお世話になってきた父や母
友達や、先生。先輩、同期、後輩、恩師、ご縁ある方々
妻や子供。社員一人ひとりの方
天から、祖父創業者に支えられてきたのだ。
そして、祝福のパワーを体全身で感じました。

そこで、過去の苦しみ・辛さに潜在意識・心・思考が
引っ張られている状態から
まず、心と頭がパーッと解放された瞬間
だったと思います。

■現場でのギャップを埋める 継続学習・共同学習・習慣形成
いつもアチーブメントで学ぶと、愛とエネルギーに満たされ
現場に戻りますが、現場は何も変わっていません。

アチーブメントの学びや感動を伝えたい。

一方で、社内では、
「智壮さんは何か変なセミナーに参加して、
 テンション高くなって帰ってきている。」
「自分達は洗脳されないように気をつけよう。」
「セミナーの内容を、自分達に押し付けないで欲しい。」

このギャップに現場に苦しみました。

そんな時にプロスピーカーの先輩方に数多く相談に乗ってもらいました。
野伏ベーシックプロスピーカー
佐藤ベーシックプロスピーカーには
手弁当で、社内の勉強会をしてもらったりもしました。

その時私は、この学びに共感してくれた母や妻に
内容をシェアして、共に学ぶようになりました

そして、父・社長も仙台ATCで一緒に受講してくれました。
父・社長の受講態度は、かなり斜めに構えていて、同じテーブルの
受講生の方に申し訳ないと思いました。

ただ、そんな父にアシスタントの野伏BPSが
「アニキ‼受講素晴らしいっすね!!是非、懇親会行きましょう!」と
声をかけてくれたのです。

私は父は断ると思ったら
「よし、行こう!」と超ノリノリ(笑)
飲み会での よいしょ!して頂いた時の写真です。

画像11


この時分かったのが、父社長がこんなに楽しんでいる姿を初めて見た!
と思いました。周りの方が父社長を「承認」「傾聴」「賞賛」してくれるので、ニコニコ・ワクワクしていました。

ここから学んだのは、相手の足りない点、出来ない点
批判し、責めれば、相手からも批判し責められる。
この連鎖が親子関係であった事に気づきました。
ここからこの連鎖を断ち切ろうと決めました。

アチーブメントの学びはコースはもちろん
人と人との関わり、
プロスピーカーの方々の人間力と相手の願望を明確にし、
満たしながら導いていく技術

とても勉強になりました。

父社長、母、妻と人生、人間関係、経営で大切な
共通言語ができ、
少しずつ家庭内、職場内が良くなってきます。

営業では、アチーブメントセールスプログラムを活用しました。
朝に社員全員でDVDを見て、シェアして、行動計画を立ててから営業活動。
自分の車の中で、営業行くときにその時に再確認の意味で提案やプレゼンのCDを聴きながら、お客様の為の提案を常に心かけるセットアップとなりました。

育成では、プロフェッショナルセールスマネジメントが非常に役立ちました。メンバーとの関わりの前にDVDを見てから、青木先生の原理原則を意識して関わるようにしました。
それによって、「減点主義」「相手を裁く」「強制的指導」のスタイルだった私は、「相手の可能性を信じる」「相手を支援する」「内発的動機付け」ボスマネジメントからリードマネジメントに少しずつシフトしました。

家庭で、妻と口論になった時があります。
その時に頭を冷やすために「選択理論のDVD」を車でかけながらドライブしました。DVDを見終るたびに、早く帰って謝りたい。
相手の願望を全く理解していなかったと。
責任 自分が源
相手との良好な人間関係に戻る。ことが出来ました。

そしてJPSA仙台支部に定期的に通い、数多くのプロスピーカーの皆さんと
関わる中で、楽しく満たされていきました。
パワーパートナーと言える、素晴らしい方々と受講を続ける中で出会っていきました。パワーパートナーの方に本当に沢山の愛や支援を頂きました。

手帳に目的・目標・習慣チェックリストを書き、
毎朝早く起きて、目的・目標を声に出して読み上げ
優先順位が高い仕事から最初に計画立てするする習慣

身につけていきました。

自分は目的目標・コミットメントを録音して
毎朝毎晩聴く
ようにしました。

3日間での学びでは、大量の情報で頭がパンパンに吸収したものを、
目標と計画を立て、決意を固め、日々の現場で1つ1つ実行してみる。

そこで、出来たこと・出来なかった事を手帳に書いて
再受講の時に、出来たことを確認し自信に。
出来なかった事を、何故出来なかったのかを原因分析するようにしました。
そして、願望 目的・目標をスパイラルアップしていく。
この継続学習・共同学習・習慣形成の成長スパイラルで
どん底にいた自分は少しずつ、良くなっていきました。

ピークパフォーマンス でプロスピーカーを志す


・2017年8月に成田ヒルトンホテルで
ピークパフォーマンスを受講しました。

あの時の青木先生のプレゼンテーションの極意に
痺れまくった3日間でした。

そしてプレゼンテーションを通じて、
これまで実践してきたアチーブメントピラミッド
タイムマネジメント
選択理論の
理解が深まりました。

知る→分かる→行う→出来る→分かち合う
この「分かち合う」価値をプレゼンテーションしながら
体感をしました。

青木社長の無言のセールス
言葉はなくても「想いの強さ」で相手が動く事を目の当たりにしました。
相手の幸せを願う・想う力
 これがプレゼンテーションの極意だと思いました。

この世の中には、外的コントロール
批判する、責める、文句を言う、ガミガミ言う、脅す、罰する、目先の褒美でつる。コミュニケーションで大切な関係を崩している事があまりにも多い。

親子関係
夫婦関係
先輩・後輩関係
先生・生徒関係
上司・部下の関係

それが、いじめ、差別、虐待、うつ病、自殺、離婚、人間関係トラブルに
発展している。テクロノジーはどんどん進化しているのに、人間が争い
傷つき、苦しむ世の中は何も変わっていない。

自分自身、過去に色々な痛み・苦しみを体験させて頂き、
その根源が「外的コントロールのコミュニケーションしか知らない
自分の考えが正しい」と思っている力が強く、自分より力が弱い人に
力でねじ伏せる風潮が起因していると、強い憤りを感じました。

このコースで、選択理論の素晴らしさ
そして伝える・プレゼンテーションの価値
プロスピーカーとしての使命感を感じました。

画像12

このピークパフォーマンス後に、宮城県警察本部で
民間先にサイバーセキュリティ講演の
プロポーザル型のプレゼンテーションがありました。

このピークパフォーマンスでプレゼンテーションの極意
聴き手に立った、プレゼンテーションを意識して行いました。
大手競合他社が数社コンペの中、
弊社が試験官全員で高山を採択してくれました。

これも兎澤さん・那須さんからのサイバーセキュリティの指導
アチーブメント青木社長はじめ、数多くの方、学び
社内で誠実にサイバーセキュリティに取組んでくれた社員の
大きな実績となりました。

■アチーブメント社 創立30年式典で、30年後のビジョンを描く
2017年10月 アチーブメント社 創立30年式典に参加させて頂きました。
目的は2つです。
1つは、お世話になった青木社長をお祝いしたい。
2つ目は、約30年後私が60歳の時に、(株)高山は100年企業となります。
その時に、息子は30歳です。その時に創立100周年式典を最高のホテルで
行うのが私の超長期の願望でした。

そのイメージ写真を脳に焼きつけたいと思いました。
あの時みた、青木社長へ祝福に集まられたパワーパートナーの方の
質と量に圧倒されました。

そして社員の皆さんの、青木社長への想いが伝わってきました。

自分もこれから30年かけて、こういった会社にしてきたい。
絆、思いやり
こういった人と人の繋がりを大切に出来るリーダー
会社を目指していきたい
と思いました。

画像13

アシスタントの価値 人は人によって磨かれる。

2016年12月の仙台ATCに初めてアシスタントに入りました。
講師は嶌村さん。アシスタントには山本SPS、野伏BPS、小島BPSと
とても素晴らしい方々ばかりでした。

アシスタントに入って感じたことは
人は人によって磨かれる。
人は人によって導かれる。
という事でした。
感動するストーリーがいくつもありました。

また、最終日野伏BPSと隣の席で、お互いにアファーメーションしました。
あの時の、野伏BPSの眼差し・可能性を信じてくれる波動に号泣しました。

人に、自分以上に、自分の可能性を信じ
自分の可能性を引き上げてくれる 成長空間の素晴らしさ
を感じました。

画像18

プロスピーカーを志し、プロスピーカーチャレンジ


2018年は挑戦の一年となりました。
1月からプロスピーカートレーニングプログラムにチャレンジしました。
39期の素晴らしい同期に恵まれました。

この時に、宮城県警察本部のサイバーセキュリティ講演をしながら、
自分が責任者で1~4月に大型の案件を3件同時にを抱えていました。

かなり大きなプレッシャーと負荷が2月からかかりました。
正直、このタイミングでPTPチャレンジは肉体的にも精神的にも
しんどかったです。

今思うと、こういった試練の時に
学んできたアチーブメントテクノロジー(AT)と
選択理論(CT)が大きく役立ちました。
目的からの一貫性
タイムマネジメント
パワーパートナーの力を借りる
内的・思いやりを示す関わり

何よりも、半年間プレゼンをし続ける中で、
このATとCTが価値がある!とどんどん信念が強くなっていきました。
これは自分の喋る言葉で自分の潜在意識に入っていったと思います。

この情報を多くの経営者に伝えたいと思い、当時担当の平野さんにご尽力いただき、高木さん、渚さんに塩竃に来て頂き、「理念経営」の勉強会を
6回で延べ80名近くのパワーパートナーにご参加頂きました。
このメンバーで行く行くは塩釜支部を設立したいと思いました。

この時期に仕事・経営で圧倒的実績を出すことが出来ました。
非常に苦しかったですが、それは「成長痛」であり、
終わってみると人生の中で、最も成長出来た半年間となりました。

PTP最終回は、第一次試験です。
その時に、妻と母を招待しました。
自分のこれまでの歩み、
そしてこの学びを通じての成果
そしてこれからのビジョンをプレゼンしました。
時計を見ずに、ちょうど30分でした。

39期同期全員のプレゼンテーションを終えた時、
無償の喜び・達成感を感じました。

画像14

■二次試験にむけて 本当のプロスピーカーチャレンジの価値に気づく
7月に第一次試験後、アチーブメント社の本社がちょうど移転して
初めての10月3日にあるJPSAの日に
プロスピーカー二次試験に申込をしました。

そこから私がアチーブメントを学ぶきっかけとなった野伏BPSです。
野伏さんには、仕事やプライベートでも困った事があった時に、
よく相談に乗って頂きました。
私の大好きなカッコいい尊敬するプロスピーカーであり、経営者の方です。

画像15


鈴木盛登BPS、沢山のプロスピーカーの皆さんにご協力頂き、
プレゼンを磨いていきました。
鈴木BPSのあの、プレゼンテーションがなかったら、今の自分はないと思います。その他にも多方面でお世話になり、大恩人の方です。

画像16

あの当時は、確か朝5時に起きて、
ウォーキングしながら自分の30分プレゼンを耳で聴きながら
小声で声に出して、ジェスチャーやイメージしてトレーニングしてました。
あのシャドーイングのトレーニングがその後、プレゼン力向上に繋がったと思っています。


最終二次試験2~3日前に、PTPアシスタントだった原田康子SPS(当時)に
プレゼンを見て頂き、フィードバックをお願いしました。

画像17

私の中では、今まで練習してきたプレゼンがほぼ30分ちょうどで
出来、かなり自信がありました。

康子さんからは
「高山ちゃんは、どのレベル目指したいの?
 合格するのが目的?
それとも壇上シェアして、プロスピーカーのトップ5%に入りたい?」
と聞かれました。

私は、最初??と思いながらも「檀上シェアして、プロスピーカーの
トップ5%を目指したいです!!」と答えました。

康子さんの顔が一瞬曇った様に見えました。
どんなフィードバックがくるのか。
あの時、結構な間があったと思います。

あの時のフィードバックは衝撃でした。
康子さん「今のプレゼンテーションは100点中3点です。

最初、意味が分からないのと、
この人は何を言っているんだ?と驚きました。

「高山ちゃん、壇上シェアして、プロスピーカーのトップ5%に入りたいって言ったから、今厳しいフィードバックをしました。」
この3点の意味は、あなたはこんなもんじゃない!
 過去に、もっともっと大変なこと、苦しいこと乗り越えてきたんでしょ!
 あなたは、もっともっと志高く、会社も地域社会も変えていけるプロスピーカーになるのでしょ!あなたがもっている可能性はこんなプレゼンのレベルじゃない。試験まであと2,3日であなたはもっともっと成長できる!

あなたの可能性・力はこんなもんじゃない!!

このフィードバックに私はZOOM越しで泣きました。
その後も何か、嬉しさと何か体内の細胞から熱くこみ上げてくるものを
感じました。

この2,3日でどれだけ、自分自身が変われるのかチャレンジしよう!!

そう決めて、今までのプレゼンから改良するのではなく、
改めて、過去・現在・未来を自分の中で見つめて行きました。

プレゼン当日の朝5時くらいに、起きた時に
ホテルからみた景色が非常に朝日が出始めて美しかったです!

人は変われる!
人は、いつからでも、どこからでも、必ず良くなれる!!
あの初めて、JPSAに出会った時の言葉が舞い降りてきました。
これだ!
これが自分の最も伝えたいメッセージなんだ!!
これが、自分の人生を通じて伝えられるメッセージなんだ!
気づき、涙しながら、プレゼン資料を最後仕上げました。

二次試験会場には、ダイナミック・アドバンス同期の
飯田のりちゃんも一緒でした!
共に頑張ろう!!って心強かったです!!

英郎先生が試験官でした。

確か自分は四番目のプレゼンでしたが、
一人ひとりのプレゼンがあまりにも素晴らしく、
聞いていて本当に感動しました。

聴きながら、みんなのプレゼンを応援していました。

そして、自分のプレゼンの番が来ました。
緊張感はありましたが、どこかゾーンの様な
リラックスと集中状態に入っていました。

無我夢中でプレゼンテーションしました。
最後、ビジョン・コミットメントを伝え終わった時に
何ともいえない、充実感がありました。
30分ちょうどでした。

その後、休憩時間を挟み結果発表されるのですが、
周囲のみんなが非常に素晴らしかったので、
自分は、どうだろうか。。と不安に思っていました。

確か、結果発表は嶌村講師でした。
ドキドキする中で、数多くの方の名前が読み上げられていきます。

確か、中盤で私の名前を呼んで頂きました!
本当に嬉しかったです!!
そして、まさかだったのが、当日合格者9人いる中で、
私が壇上シェアを指名して頂いたのです!!

これは、原田康子SPSのフィードっバックの賜物でした!
合格した同期のプロスピーカーの皆さん

画像19

壇上シェアは15分でお願いしたいと、言われました。
これまで30分どんぴしゃりで仕上げてきているプレゼンを
あと数時間後に15分???
自分はかなり焦りながらも、仕上げました。

アチーブメント本社移転して初めてのJPSAの日
数多くの同志の皆さんが会場に来ていました。

合格者が発表され、全員で登壇しました。
その時に、宮城県からわざわざかけつけてくれた
野伏BPS,山口BPS、鹿内BPS、小尾BPSに出会い、心から嬉しかったです。

画像20

そして壇上シェアは3人で
一人目がPTP同期の吉川さんのプレゼンでした。
本当に素晴らしく、感動するプレゼンテーションに圧巻でした!

たしかその次が、廣岡さんの奥様のプレゼンでした。
また本当に素晴らしく、私も感動しました。

その後に私が壇上シェアをさせて頂きました。
何かこみ上げてくる気持ちと、リラックスして等身大のプレゼンしよう!
そんな気持ちでプレゼンしました。

笑いあり、涙あり、そして強いビジョン・コミットメントを伝えられた
過去最高のプレゼンテーションでした。

「プレゼンテーションは人生の縮図」
この意味を、心底体験させて頂けけました。

画像21

人生で最高の瞬間となりました。

全体で懇親会があり、沢山の方々から温かい祝福・賞賛の声を頂きました。本当に満たされました。

その後、小尾ちゃんと有明の路上ベンチで
缶ビール片手に、語り合った夜を忘れません。

本当に苦しく、辛く、真っ暗で、八方ふさがりだった自分が
こうして、晴れ舞台に上がらせて頂き、みんなから祝福して頂けた。
そして憧れのプロスピーカーとなれた。

人生最高の一日となりました。

以上、ここまでが第5章でした。
次回は、2019年から2021年を振り返っていきたいと思います!

では、また!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?