マクベス
ふと気がついたら、大学で演劇を作り始めた頃から数えてもう十年になる。十年たっても、自分がその時と同じようなことを考えたり、作ったりしていることには少し驚きもする。ずいぶんと遠くまで来た、というのはよく聞くようなセリフだけど、自分には当てはまるような気もすれば、とくに当てはまらないような気もする。というのは、どれだけ時間がたっても、仕事場がプロフェッショナルな現場に変わっても、自分のまわりをぐるぐると回っているものがあり、自分も同じように円を描いて走っているような気がするからだ。
今、オルデンブルク州立劇場と、ロンドン郊外にあるローズシアターという劇場が共催する『マクベス』の舞台装置と衣装デザインを担当している。先日ロンドンから二人の演出家がオルデンブルクまでやって来て、これまでの長い長いリモートでの打ち合わせの後初めて実際に顔を合わせ、現場での打ち合わせができた。電車の旅は、11時間もかかったそうだ。パリでユーロスターを降りてからベルギーを経由してドイツに入る列車へと乗り換えていく旅の経路を本人たちの口から直接聞いていると、なんだか急に、プロジェクトに物理的な実感がうまれた。ようこそ、という言葉はまさにこういう時のためにあるのだ、とも思う。
彼らの演出する『マクベス』は、近未来の廃墟と化した世界で生きる若者たちに登場人物を置き換える設定だ。役者たちは実際にとても若い。衣装打ち合わせのために演出家がもってきた写真には、僕が大学で舞台をやり始めたくらいの年齢のキャストたちがうつっている。
舞台に立つことや、それに関わることに興味をもつ理由は人によって様々だと思う。僕の場合は、大学一年の春訪れたその演劇サークルの公演で、そこにある強烈な連帯の形のようなものに心を奪われたのがきっかけだった。その時はあまり意識していなかったけど、そこにはまだ、かつての学生運動の残像のようなものが、部の習慣や使われている用語、製作にあたる際の雰囲気の中に残っていた。それどころか部室のロッカーには、まだ当時の学生が書いた戯曲やポスターもちらほら残ってさえいたように思う。
そんな強烈な世界に引き込まれた僕の四年間の大学生活は、ほとんどその学生劇団の活動に費やされた。今思えば、舞台作りでなによりも痛快だったのは、戯曲が語るのがどんな叫びであっても、それが直接観客に届く空間が劇場であって、そこに観客を巻き込む一つの小さな世界を作れるという事実だった。「誰かに聞いてほしい」という欲求が常に叶う場所を自分たちで創造できるというのが、とにかく大きな衝撃だったのだ。
マクベスに参加する彼らの姿を見ながら、ふとそのように以前のことを考えた。ヨーロッパの二つの街の劇場をまたぐこの企画が自分にとってとても楽しみであることは間違いない。だが写真を通して彼らの目を見ていると、これから舞台に立っていくその背中を押す手のひとつになることもまた、自分がここでやるべき仕事のうちに含まれているのではないか、という気がしてくる。