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渡米一年 映画化に向け長編執筆、ナイアガラへの旅、死ぬかと思った引

昨年8月23日に家族で渡米して以来、一年が経ちました。今日から子ども達も無事に新学期を迎えました。そして明日からエマーソン大学も新学期に突入します。怒涛の日々に巻き込まれてしまう前に、8月から今日までの日々を振り返ります。

【ファミリー・ストーリー】
現地校は夏休みが2ヶ月以上続くため、子ども達は7月下旬から約3週
間、近くのローレンス小学校で行われる夏期英語学校「スターアカデミー」に参加した。ちなみにこの小学校は以前、尾崎豊さんの息子が通っていたことでも有名な学校だ。長男はこの夏期講習がつまらないと休みたがっていたが、最近とりわけリスニング力が飛躍的に伸びてきていて、これまで一年間の学習効果が現れてきているのを感じる。夏期講習が終わると、日々どうしてもダラダラしがちなため、8月中旬以降は、毎日時間を決めて僕が長男に、妻が次男に英語を教えている。10月には長男は英検準2球、次男は英検3級を受験予定だ。

長男が半年前に脊髄炎を発症して以来、最初予防のために4週間おきに続けてきた IVIG の点滴投与も 14歳の誕生日の前日の8月12日に終わりを迎えた。しかし、その後の血液検査でいまだに再発リスクを示すMOG 抗体が陽性であることが判明。先月のMRI では脊髄内の炎症がおさまってきていてそれを聞いて安堵していただけに、担当医からその報告を受けたときにはショックを受けた。ただ MOG 抗体が陽性でも再発しない子どもも珍しくはないらしく、今後は半年おきに経過を観察しながら、何かあればすぐに診察及び治療を受けることになった。

8月後半にはちょうど僕の誕生日の日から一週間、家族でカナダのナイアガラの滝まで一週間の小旅行に出かけた。私が運転できないため、妻がハンドルを握り、500 マイル(約 800 キロ)近い道のりを途中、ヨーヨー・マなど世界的な音楽家が演奏するタングルウッドや、大学進学を検討したシラキュースなど、マサチューセッツ州とニューヨーク州の町々に立ち寄りながら片道二泊三日かけて往復した。子ども達もナイアガラの滝では水飛沫を浴びながら、雄大な北アメリカの自然を堪能したようで初の小旅行はとてもいい思い出になった。

その後、月末の引っ越しに向けて大忙しで準備を進め、8月末に親友の助けを借りて、引越しの日を迎えた。アメリカでは9月の新学期に備えて、多くの人が8月31日に引越し作業を行う。街中はレンタルトラックで溢れ、街角には不要になった家具が放置されている。この日、引越しの作業をトラックの運転も含めて手伝ってくれたのは、大親友のデイビッドだ。彼はなんと以前引越しの仕事も一時期していたことがあるらしく、トラックの運転はもとより、荷捌きも的確で、かつとても力持ちだ。彼が朝の9時からテキパキと我が家の子供達にも指示を出し、引越し先のマンションでは大学の友人で大家の娘でもあるバーバラも手伝ってくれて、とてもスムーズに引越しは進んだ。だが、僕ももう若くはない。もう階段を何度も何度も往復するうちに、古傷の膝が痛み始めた。そんなことを無償で手伝ってくれているデイビッドの前で言えるはずもない。

そうした中、引越し作業の中で最大の山場が訪れた。バーバラのお母さんが僕たちのために以前の住人が使っていたソファを譲ってくれることになった。新居は2階でエレベーターはない。細い階段をどうやってこのソファを運び込むことができるのか。しかもベッドにも展開するタイプのしっかりしたこのソファはとても重い。しかし、エマーソンに来る以前はアーミーにも所属していたデイビッドは僕がこのソファが欲しいと知るやいなや、ベッドの可動式の部分を固定してテキパキと準備を進めている。このソファ、きっと60キロはゆうにあるのではないか・・・。ソファを担いで急階段を登り始めたとき、僕はこのソファを欲しがったことを途端に後悔した。デイビッドは僕のことを気遣い、時に上でソファを引き上げ、時にソファの下側に回り込み、最も重たい部分を支え、また一段一段と階段を登った。しかし。ソファが大きすぎて、天井につっかえてしまい、階段を回り込むことができない。ソファを押し込むたびに築100年を超えた建物の天井が崩れ、ボロボロと頭の上に落ちてくる。このマンションのオーナーであるバーバラの母親のスーザンに大丈夫かと尋ねると、よくあることだから問題ないという。

僕は何度も「もう諦めよう」とデイビッドに言いかけたが、デイビッドには全くそのつもりはないようだ。「パパ、大丈夫?」階段の下では次男が心配そうに見守っている。実際、次男は僕が呻き声をあげているのを見て加勢しようとしたが、もしソファの下敷きにでもなったら危ないので、下がってみているようにお願いした。

ついになんとか最大の難所を乗り越え、奇跡的にソファを二階の新居に運び込むことができた。まるで大きな白鯨と戦っているかのような時間だった。ソファを運び込んで僕とデイビッドはお互いを称え合うかのように、強くハグを交わした。彼とはこれまで何本も映画を一緒に撮ってきて、その度に鯨と戦うような瞬間を迎えてきたが、今回の鯨はそれに勝るとも劣らないだけの大きな戦いとなった。

しかし、これだけ友人のためにすすんで汗を流せる男がるだろうか。そもそももし今日、デイビッドがいなければ、僕たちはどうやって自力で引っ越しをするつもりだったか。すべての大きな荷物を運び終えて、僕はデイビッドにお礼に200ドルを渡そうとすると「頼むからそんなことはしないでくれ」と彼は頑なに拒んだ。しかし、それでは僕たちの気がすまない。あまりに少ないがせめてこれだけでも受け取って欲しいと100ドルを渡し、次男も自分の小遣いから20ドルを渡した。彼もすっかりデイビッドのファンになったようだった。固い握手とハグを何度も交わし、僕たちはデイビッドを見送った。この引越し作業を通じて、僕たちの絆はさらに深くなったのを感じていた。引越し作業の合間に、スイカとマンゴーを切り、ざるそばを食べた。ざるそばを美味しい、美味しいとおかわりしてくれたデイビッドの笑顔がわすれられない。

新居は子ども達の学区内にあり、僕たちの暮らすブルックラインの街の中心部にも近く、二つの駅が近くにある。子供達の学校へは少し遠くなったが、夜間の街灯も少し明るい地域になるため、僕も今後大学院への通学が便利になりそうだ。

【長編脚本とシズルリール】
大学院の夏休みを利用し、先月に引き続き「Visionary Fellowship」への出願を進めた。今回、80ページに及ぶ英語での長編脚本を初めて書き上げ、さらにシズルリール(宣伝用動画)としてそのファーストシーンを近くの森で撮影した。撮影には、SAGに所属する女優のエミリーが進んで無償で協力してくれた。彼女が僕の映画に協力してくれるのはこれで3本目だ。彼女の演技は申し分なく素晴らしく、編集した動画を試しにYouTubeに載せてみたところ、二週間で5000回近い再生回数に達している。結果は10月に判明予定で期待と不安が入り混じるが、それまでの間にも更なる成長を遂げられればと思う。

この秋から当初予定していた大学生の映画制作基礎クラスに加えて、大学院生の映画撮影基礎クラスもサポートすることになった。その結果、次の秋学期からは自分が履修する3つのクラスに加えて、合計9時間大学で働くことになる。おそらくとても忙しくなるが、手当も支給されるため、2 年目以降フルブライトからの生活費の支給が年 25000 ドルに減額される中でとてもありがたい状況だ。そして教えることを通じて、さらに自らの学びを深めることにもつながるだろう。

【希望と絶望のはざまで】
この8月で信じがたいことに49歳になってしまった。振り返ると、希望と絶望は常に表裏一体で、僕自身は最強と最恐のカードを併せ持つ数奇な運命を生きているかのように時折感じることがある。昔、世界中を旅していた時に出会った占い師に僕はエンペラーとハングマン(皇帝と首吊り男)のカードを併せ持つ非常に珍しい星のもとに生まれた人だと言われたことがある。

網膜色素変性症の更なる進行も重なり、昨年8月に渡米して以来、さらに見えづらさが増し、最近では手元にあるものを認識することも難しくなってきた。担当の Micaela Gobeille医師によると、こうした変化は網膜色素変性症の進行に加えて、白内障がちょうど左目の中心部にかかっていることが要因らしく、白内障の治療を勧められる。これまで Mass Eye and Ear の Eric Pierce 医師のもとで遺伝子治療に向けて検査を受けてきたため、Mass Eye and Ear での治療に向けて準備を進めていくことになった。こうした動きを通じて、遺伝子治療に向けても新たな進展が得られることを願ってやまない。

人生生きていると色々とあるものだとつくづく思う。しかし、何があっても僕たちには「今を生きる」ことしかできない。ならば、現状を嘆くのではなく、その現実の中で、何ができるのか、そしてどんな瞬間に幸せを感じることができるのか、それを大切にしたいと思う。そんな切なる思いを込めて描いた曲のミュージックビデオがようやく今月完成した。(撮影自体は去年の5月に東京で終えていたものの、その後の怒涛の日々の中で編集する時間を見出すことができていませんでした・・・)「幸せになる勇気」ぜひ、ご覧になってください。

「幸せになる勇気」作詞・作曲カワサキタカヤ
https://youtu.be/XzgaFMoWuKA

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