渡米18日目 映画とは記録ではなく記憶を伝える風化しないジャーナリズム
大学院の秋学期が始まり、ブログの更新をする暇がないほど忙しくなりつつある。このブログも二日後の早朝3時半に目が覚めて、ようやく更新している。
「映画とは、記録ではなく記憶を伝える風化しないジャーナリズムだ」
生前、大林監督は常々こう語っていた。だが記憶とは曖昧なもので、記録に残しておかないと上書きされていく。映画を追求するための日々がいよいよ本格的に始まろうとしている。いや、もうすでに始まっている。その貴重な記憶を日々たとえ少しずつでも記録に残していきたい。例え短い文章でも、きっと未来への何かの足がかりになり、また道に迷った時にも原点に立ち戻るサルベージラインのような役割を果たしてくれるかもしれない。
今日は日中大学近くの公園で行われているピクニックに参加した。同じFilm and Media Art Program(映画メディア専攻)で学ぶ新入生が集まり、それぞれ何か食べ物や飲み物を持ちよっての懇親会が開かれていた。次男のオンライン英会話の対応や電車が遅れたこともあり、一時間ほど遅れて到着するとすでに20人近い仲間が集まっていた。皆、大学の授業が始まって過ごす最初の週末。すでにクラスで何度か顔を合わせた顔馴染みの仲間も増えてきて、お互いがよりお互いを知ろうと、積極的にパートナーを見つけては深く会話し、また次の相手と話す。
こうした集まりのときに僕が心がけていることは、目の前にいる人の話としっかり向き合って話をすること。広く浅く話して(例え沢山名刺を配るようなことをしても)記憶には残らないし、関係が深まることもない。こういった席は一期一会のようなもので、目の前にいる人を大切にすることで次につながっていく。そうすると不思議なもので、一人との会話が終わるとまた次の仲間が向こうから自然に話しかけてきてくれる。きっとこちらが相手に興味を持っているのと同じかそれ以上に、相手もこちらに興味を持ってくれていることがとてもよく伝わってくる。気まぐれな電車に揺られて到着が遅れたものの3時間近く、とても親密に一人一人と会話をすることができた。
懸念となっていたConceptual Developmentのクラスの代わりにどのクラスを取るべきかについても、僕ぐらいの経験者であれば、撮影と編集を基礎から学ぶFoundationのクラスよりも、より上級のCinematography(映画撮影)クラスの方が得るものが大きいことなど、同じくパーティに参加していた2年目、3年目の先輩からより具体的な経験談を聴くことができた。また、Cinematographyのクラスであれば、毎週より実践的な映画撮影の課題が出されるので、自然とそれを仲間と協力し合ってこなしていく中で、自然と映画を撮りたい仲間との強固なネットワークが培われていくはずだというアドバイスを得ることができた。
来週の授業への課題もこなさなければならない中で、やるべきことはすでに盛りだくさんになってきているが、その時間を割いてでも今日のピクニックに参加して良かったと思った。
皆が持ち寄って沢山余ったドーナツや、太陽とひまわりのバルーン風船を自宅に持ち帰ると、子ども達はとても喜んでくれた。その姿を見て僕もとても嬉しくなった。