『9日目』7月23日の日記
私がそれっぽく、ロマンチストを騙り締め括るのは西尾維新先生の影響が大きいと思う。「なんかそれっぽく締めくくっとけばいい」なんて、それこそ誰かが言いそうな戯言だ。いや言ってるかもしれない。主人公でも言いそうだ。
騙り、などと言ったが私は私がロマンチストだと思っている。私という存在が否定されるからではない、とは言い切れない。しかし、私がロマンが好きだというのは自由と夢である。勿論、そんなものは金にならないし、生きていけない。少なくともそれを表現し他人に伝える力がない私には。ただ、私は生きたいとも思っていないから、私は自室のベットの上とスマホだけで、ただただそれに浸り、世界が終わってもいい。
何故こんなことを言い出したかと言うと、友人に直接話すときは口が悪いけど文章だと自信が付くくらい褒めるのが上手い、と言われたことを思い出したからだ。私は文章という文化が好きなので、LINEだろうと自筆のゲーム初見感想ログだろうと読み返す。その習慣の一つだ。
閑話休題。私はリアルな友人に対してその人のイメージ香水を作った人間だ。我ながら狂気の沙汰だと思う。ロマンチストでありながら破滅的、その友人に嫌われたらいよいよ生きる価値がマイナスになるな、という友人に対して引かれてもおかしくない行動をする。愛を試してるメンヘラと思われそうだが、単純に私が平均の5ではなく0か10かで喜ばれるサプライズが好きなのだ。自分ではあまり自覚をしていないのだが、やろうと思ったことに熱力を全力で注げたり、それを共有したいと伝えて本気でやってくれる人というのは珍しいらしい。勝手に人に期待して裏切られた気分になって速攻で引きこもりになったような人間には分からないのだが、これは長所にもなるようだ。知らないうちに誰かの心の支えになれていたというのは非常に嬉しい。まあ、やりたくなかったら一ミリもやらないのだが。NOを言える日本人なので。YESを聞き出したいなら権力をかざして私が聞くだけのメリットを提示するか、命令を下すかしてほしい。やりたくないことを自由意志でやったと思われるのが一番嫌いだ。社会人に向いてない。自己参加と書いておきながら事実上命令な飲み会とか、クソ喰らえである。社会人になり強制参加させられた飲み会で挨拶と接待で終わっていく大卒を見て、大学に行くメリットってこれか、なんて斜に構えていた。
夢と自由を愛するのは、真に強いものにしか許されないのだろう。青臭いロマンを追い求め、10を期待し、0になった私にはなにも残っていないという事実だけが現実に遺っただけという話だ。
……と、こうして締め括るのがソレっぽい。読書感想文かよ。
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