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友達100人どころか10人も難しかったけど
「決して楽しい学生生活ではなかった。」
それが中学・高校時代を振り返ってみての総評だ。
卒業してから10年以上経つわけだが、今でも連絡を取っていて近況を直接知っているのは5人しかいない。
あとはFacebookで繋がっているので「結婚した」とか「子どもが生まれた」などアップされているものがあれば分かるが、特にメッセージを送って連絡を取り合ってるわけではない。
これが、紛れもない僕の学生時代の交友関係だ。
思えば僕は当時、スクールカーストにものすごい敏感だった。
まだあの頃は『スクールカースト』なんて言葉は存在しなかった時代だが、それでもみんな無意識のうちに『自分の学校内でのポジション』を理解していたと思う。
僕もそんな1人で、自分が下から数えた方が圧倒的に早い位置にいることは分かっていた。
今でこそあんなもの下らないと思えるし、どうでもいいと気にしないでいられるが、当時はスクールカーストの下のポジションにいるのが辛くて、何とか上にいきたくて上位のグループの仲間に入れてもらおうと必死だった。
しかし、上位のグループにはバスケ部とかサッカー部に所属するイケイケのタイプが多く、そこに僕のような陰キャが入る隙間なんて無かった。
彼等は決して性悪な人間ではなかったので邪険にこそされなかったが、どれだけ頑張ってもグループに馴染み仲間になることは出来なかった。
そして、そんな風に必死だった僕を、他のグループに所属する人間が受け入れてくれるはずもない。
話しかければ普通に接してくれるし、イジメに遭っていたとかそういうのでは全くないが、仲間ではなかった。
「知り合いだけど友達ではない」がいちばんピッタリくる表現だったと思う。
そんな僕なので、むしろ今でも連絡を取り合っている人間が5人いるだけでも奇跡。ありがたいことこの上ない。
当時を振り返ると、僕はなんてバカだったんだと当時の僕を殴り飛ばしたくなる。
スクールカーストなんて結局は学校というごく狭いコミュニティの中でのみ通用するもので、そこに意味など無いのに。そんなものより大切なことがたくさんあったのに。その気になれば学校以外にだって、いくらでも自分が居心地よくいられる場所を探して作れただろうに。
そういう意味では、今のインターネットが普及し価値観が多様化した時代に学生をしている子を正直少し羨ましく思う。
今なら学校に居場所が無くても、インターネットを少し彷徨えば別の居場所が簡単に見つかる。いや、簡単というわけではないかもしれないが、根気強く探していれば必ずそういう場所に巡り合える。
それに、たとえ学校という枠から外れてしまっても『それも個性であり良い経験』と受け入れてもらえる社会になりつつある。
「友達100人できるかな」なんて歌うけど、僕はこの歌に真っ向から反発したい。
もちろん友達が多いことは素晴らしい。それだけコミュニケーション力に優れているってことだし、できたら最高に楽しいと思う。
でも、大切なのはそんな目に見える数じゃない。
目には見えないけど、自分が心を開き許せる、気兼ねなく何でも話せる。そんな人間関係を築くこと。その力はきっと、学生生活だけではなく人生において生涯の糧になってくれる。
そしてこれは、今はもう学生ではなくなってしまっていても、決して遅くはない。
目には見えないけれど、深い絆で結ばれた人間関係を築くために、もう一度頑張っていきたい。