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2人の老人どちらに譲るか

電車に乗っていて、お婆さんが立っているのに気づいた。お婆さんは私の左斜め前にいる。私は席に座っていたので、ここはひとつ席を譲ろうかと思った。

私は席を譲るタイミングを見計らい、お婆さんの方へ視線をやった。視線をやってから席を譲るべきか迷った。改めて見ると、お婆さんはお婆さんじゃない気がしてきた。

少し若いのである。お婆さんだとしても、まだ成り立てだ。お婆さんとしての自覚が足りてないかもしれない。席を譲られたら絶妙にショックを受けるのではないだろうか。

成り立てのお婆さんは、なんとなくすぐ降りそうな様子だった。もう次の駅で降りるかもしれない。いったん保留にして、次の駅で降りなかったら譲ろうと決断した。

けっきょく、お婆さんは次の駅では降りなかった。それどころか、新たにお爺さんに成り立ての人物まで乗車してきた。お爺さんは私の目の前に立った。ちょうどお婆さんの隣である。

私は再び悩んだ。いったいどちらに譲るべきか。順序でいえばお婆さんに譲るべきだ。位置でいうならお爺さんに譲るのが自然である。要するにどちらに譲っても自然であり、不自然でもある。

だからこそ私は悩んだ。譲られた老人は、自分が隣の老人より老人扱いされたとガッカリするかもしれない。

年寄り扱いされてショックが大きいのは、やはり女性の方だろうか。ここはお爺さんに譲るべきか。

しかしひとつ懸念がある。お爺さんは確かに白髪であるのに、新型のiPhoneを使っている。私のiPhone8よりずっと新しい。

お爺さんは「若さ」に自信を持っているのかもしれない。そうして見ると、耳につけている補聴器らしき機会もワイヤレスイヤホンに見えてくる。腕の数珠は信仰のための仏具ではなく、オシャレのためのマストアイテムかもしれない。

ところで、最近の若者はジーンズを履かないらしい。もはやジーンズは年寄りの特徴だという。

お爺さんは明るい色のGパンを履いていた。

私の感覚さえ若ければ、このGパンを根拠にお爺さんを老人と認定できただろう。

「Gパンを履いているから年寄りに違いない」と自信を持って席を譲っただろう。

しかし私も年をとった。Gパンを履いているお爺さんが若々しく見える。「若者はGパン、お爺さんならスラックス」この感覚が根付いている。

あれこれ悩んでいるうちに、電車は次の駅に到着した。さあどうするか。私は決断を迫られた。

そんな中、2人のお年寄りは元気よく下車していった。

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