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昔のふじや染工房

昭和50年代のふじや染工房の話をします。

昭和52年(1977年)生まれの私は部分的にしか覚えていないので、これは母から聞いた話です。年月と共に多少盛っているところもあると思いますが、そのまま書いています。ご了承ください。

当時、着物が売れまくっていた時代です。成人式の振袖や子育て世代の黒の羽織、また、黒や訪問着や色留などが必要とされていました。

実際には1980年ごろに売り上げのピークを迎えた着物業界ですから大体リンクしています。

これから話す昔話は、そんな着物の売り上げがピークを迎えようとしているふじや染工房の物語です。

東京都新宿区の神田川沿いにあるふじや染工房は、抱えきれないほどの仕事量があり、朝から晩までずっと仕事をしていたそうです。
家族は2代目と母、私、弟、祖母、曾祖母です。

従業員は染めができる職人が3人、針仕事に1人を雇っていました。それと、住み込みで若い子を追い廻しとして使っていました。

※追い廻し…雑用係。主に職人の手元として働いていた。この子は川崎の染屋から来ていたそうです。

職人の1人は工房の2階に住んでいました。住み込みの職人とは、風呂に一緒に入っていた記憶があります。その職人が、リンスを洗面器に溶かして頭を漬けていたのを覚えています。(あまりの衝撃にしばらくマネしていました笑)また、叔母夫婦も住んでいました。家の前にも後ろにも庭があり瓦屋根の家でした。2階の窓からは屋根に乗れたので布団を干したり、屋根に乗って遊んでいました。

当時は祖母が先頭に立って、反物を各職人に振り分けていたそうです。
女性は、針仕事と受付と全員の食事や掃除など家事をやってました。当時から糊付けの仕事がほとんどでしたので、糠(ぬか)と新聞紙を片付けるのも一苦労です。とにかく反物が沢山あったので午前中は、前日の水元上がりを巻くのでほとんど終わったそうです。

※糊付け…柄の部分に防染の為の伏せ糊をしてある反物のこと。
※糠…ぬかは伏せ糊がくっ付かないようにするもの。


今、端縫い(はぬい)仕事はロックミシンでダァーって縫えますが、当時はミシンを使わずに手縫いで端縫いをしていました。ミシンが高価なものだったのか、手縫いのスピードが半端じゃなかったのかわかりませんが、慣れていたのでしょうか。

※端縫い(はぬい)…仮絵羽してある着物を縫い繋げて反物の形に戻す事。
※仮絵羽…つながった柄にする為に、反物にハサミを入れて着物の形に仮縫いすること。
※ロックミシン…生地と生地とに隙間を作って縫いつなげることが出来るミシン。色溜まりし難い。ほどくのも簡単。

染めは工房でやりましたが、三度黒は外で染めていました。
家の前の庭に工房内と同じだけの柱が立ててあって、反物を引っ張ってました。
職人は黒で汚れた麦わら帽子を被って染めていました。庭で近所の子たちと野球やサッカーをしていた記憶がありますが、黒の時は遊べなかったのを思い出します。野球ボールやサッカーボールが川に落ちてしまうのも日常でした。職人さんや2代目が川に降りてボールをとってくれました。

※三度黒…化学変化を利用して黒く染める方法。


話は変わりますが、染屋と川との関係について。昔は川で水元をしていたので、川の近くに染屋はありました。また、染めには大量のきれいな水が必要でした。当時は井戸水を汲み上げて使っていました。体感的にも川が身近にありました。

物理的にも川との塀も低く、護岸が深くなかったので簡単に降りることが出来ました。中学くらいの時にジャニーズのTOKIOがゴムボートでウチの前を下っていく番組をやってました。ネズミや蛇、コウモリもよく出ていました。新宿区とは思えませんね。これらは、2021年も変わらずにいます。

また、神田川は氾濫しやすく雨が降ると大騒ぎでした。反物を2階に上げたり、土嚢を積んだりとしていました。雨漏りも酷かったので、タライを用意していました。救助にボートが出た記憶もあります。

話がだいぶ逸れてしまいました。
水元前にはみんなでおやつの時間があります。私はその時間を見計らって工房に降りておやつを食べていた記憶があります。
木造の家では、冬場は水元場の水が凍ってしまい、氷を割って水元していました。職人が水元場で水元をしている時に、祖母は工房で次の日の準備で地入れをしていたそうです。

※地入れ…思い通りの染めをする為の下準備。布海苔や豆汁を水で溶いて引き染めする。
※布海苔…海藻。煮ると粘り気がでる。それを濾して使う。伏せ糊の防染や均一に染めるのを助けてくれる。
※豆汁…豆のタンパク質が染料の定着に役立つ。

住み込みの若い子は仕事が終わると、バイクで神宮に野球を観に行ってばかりだったそうです。女性は夜には、縫い物と帳面をしていました。
年末の大掃除には、昼飯に出前を取ってみんなで食べいました。大掃除はみんなでやったのを覚えています。

また、母から聞き出したら書きたいと思います。

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