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私が音楽に傷つけられた話

ずいぶん前の話だけど、HKT48の『アインシュタインよりディアナ・アグロン』という歌について、炎上したことがあった。歌詞の内容が女性差別的だ、というのだ。

「女の子は可愛くなきゃね 学生時代はおバカでいい」
「女の子は恋が仕事よ ママになるまで子供でいい それよりも大事なことは そう スベスベのお肌を保つことでしょう?」
「人は見た目が肝心 だってだって 内面は見えない 可愛いは正義よ」

作詞したのはご存じ、秋元康。歌詞の内容も確かに良いものではないけれど、それよりもこの歌詞を秋元康というオッサンが書いていることが、どうやら皆の反感をかったようだ。オッサンが女の子をこんな風に想っているのキモい、と。

もしこの歌詞を若い女性が作詞したら、ここまで話題にはなっていなかっただろう。

みんなこの歌詞に秋元康の顔を浮かべたからこそ、嘔吐いたのだと思う。

なんだか秋元康が不憫でならない。歌詞こそ否定しても、秋元康を「女性をそういう目で見てるキモいオッサン」と否定するのはやり過ぎじゃないのか?

そんなこと言ったらエロ漫画も官能小説もオッサンが書いたものはみんな「キモい」ものになってしまうではないか。『東京大学物語』を江川達也の顔を浮かべたらドン引きだぞ、おい。

人を元気にさせたり、勇気を与えたりするはずの音楽が、逆に人を傷つけてしまうことってあるのだと思った。

だけど、思い返してみたら私にも、音楽で傷つけられた経験があったことを思い出した。

それは小学生の頃の話。

私は運動神経が壊滅的に悪く、スポーツ全般が全くできなかった。

だから体育は苦痛の時間でしか無かった。足が遅いのはまだいい、誰にも迷惑がかからないから。

地獄なのは体育の時間のサッカーである。

チームメイト個々の技術力が勝敗を左右するサッカーで、私はチームの疫病神でしかない。私がそのチームに加わると分かると、他のメンバーは勝負が始まる前から自分たちの負けを確信し嘆息を漏らす。お前がいるなら俺らは勝てない、と。

そして本当にチームが負けると、それはもう想像に難くない。試合終了後は私への罵倒タイムになる。そして他のクラスメイトにも「あいつがいたから、負けるのは当然」と聞こえよがしに悪口を言う。

運動神経は壊滅的な状態だったが、一方で勉強はできる方だった。

だから母親は「あなたは頭がいいのだから、運動より勉強を頑張ればいい」と慰めてくれた。

そうはいっても、小学生は勉強より運動のできる人の方が上だ。

運動はできなくても、勉強を頑張ればいいって、本当にそうなのか?

運動できる人の方が強いし、女の子からモテる。事実、女の子が好きだと言っている男子は運動神経がバツグンの人たちだけど…

そんなモヤモヤとした気持ちで、テレビを観ていたら、NHKの某忍者学園アニメのエンディングテーマが流れてきた。

『0点チャンピオン』という歌だった。タイトルの通り「勉強なんかできなくてもいいんだよ」という応援ソングだ。

その歌はこんな歌詞から始まる。

「お勉強ばかりがんばってもダメなのさ。逆上がりができなくちゃ、けっこうカッコ悪い」

それを聴き、体育の時間がフラッシュバックした。

その日は鉄棒の授業で、逆上がりをしていた。

みんながスイスイと逆上がりをしていく中、一人もがく私。

そんなもがいている私の姿が面白いらしく、クラスメイトは指を指して私を笑う。

先生は「がんばれ、できるよ」と応援してくれるが、自分では全くできる気がしない。

嘲笑と同情の視線が私を見つめている。地獄…

「やっぱり、勉強ができたってどうしようもないんじゃないか!!」

私の気持ちはますます塞ぎこんでしまった。

そんな思い出があったから、音楽は必ずしも人を元気づけるわけではなくて、逆に傷つけてしまうこともあるのは分かる。

だけど作詞した人の人間性まで否定することはないのではないか?

そして久しぶりに『0点チャンピオン』の歌詞をネットで調べてみた。

小学生の私を傷つけた曲をつくったのは、一体誰なのだろうか。数十年の時を経て知りたくなったのだ。

そこで私は衝撃の真実を知る。

「お、おい、そんな、まさか、嘘だろ…」

その曲を作詞した人物とは。

幼い私を苦しめた、その相手とは。

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なんと、秋元康だったのだ。

秋元康、貴様、許すまじ!!


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