Why:なぜスポーツの夢の国をスタートアップという形で目指すのか
Ascenders株式会社の代表をしてる橋本です。スポーツの会社を経営しています。スポーツにおけるヒト課題を解決すべく事業をつくったり、最速で成し遂げるために資金調達をしたり、仮説検証を繰り返し試行錯誤をしながら現在5期目を迎えました。
かつてこんなnoteを書きました。興味があれば、あとで読んでください。
このnoteを書いた当時は世界がこんな感じになるとは思いませんでした。これによってビジョンが変わったわけではないですが想像していたプロセスには大きな変化を与えました。
今、会社はリブランディングの真っ最中です。新しいコーポレートサイトでは、自分たちの目指している世界、どんな事業をしているのか、なぜそれをしているかを言語化し、デザインに落とし込んでいます。このnoteでは言語化した内容をまとめていきたいと思います。
リブランディングは見た目だけでなく、これまでやってきたサービスのUI(User Interface)も変革をしている最中です。なぜかといえば自分たちが変わらなければいけないフェーズであり、外部環境が大きく変わったからです。このままではいけない、そんなタイミングだと思ったからです。決してビジョンやミッションが変わったわけではありません。
私たちのビジョンは「スポーツの夢の国を創る」です。私たちは国を創りたいのです。国は英語にするとCountryやNationという単語になりますが国を創るのに必要なこと、国を作ろうとするプロセスにおいて社会課題を解決しうること、つくった先にもつくる過程においても目指す理由があります。
Nationの定義、意味から考えると国には「共通の文化、アイデンティティなどの組み合わせを持つ人々の集団」が必要だということがわかります。私たちは国をつくる組織として「Ascenders」という株式会社を立ち上げました。
国を立ち上げる組織として「ascend...上昇する」「er...人」「s...集」という言葉が表す通り「上昇集団」を意味し、成長し続ける集団として定義しました。これは夢の国の文化ではなく、それをつくる組織です。
国をつくる上で共通の文化をつくることは必須ですが、文化は成熟してできるもです。スポーツの夢の国の文化をつくっていくために、コアバリュー(考え方の基盤になるもの)を定めました。「主体性をもつ、仲間を勝たせる、当たり前を世界基準に」をコアバリューとして、今も、これからも文化を大事にし、成熟させていきたいと考えています。
「夢の国」と言われると特に日本ではテーマパークを連想してしまいます。故に施設のようなものをイメージしますし、作りたいという人は本当に沢山います。決してそれが間違ってる訳ではありませんが、国を創るというのは大きな意味での国ですので、施設はその一部でしかありません。
例えば、国には必要な4つの条件があります。
1. 国の創立を目指す正当な理由がある(他が国の正当性を認めている)
2. 国境を超える人、物、金の流れを管理する機能
3. 大規模に徴税し、支出する仕組み
4. 法律(ルール)を公布し、執行する能力
この4つの必要条件を満たさなければ国はできません。スポーツの夢の国をつくるにはこれらをスポーツで実現しないと意味がありません。施設のようなハードだけでなくソフトをつくり整備がです。理想を現実に変えるにはどうすればいいのか?夢のような話を実現するにはそれなりの過程が必要です。1つ1つ過程を着実に成し遂げる戦略とそれを実行する組織が必要です。
さて、このnoteは”Why”についてを書いています。「スポーツの夢の国をスタートアップという形で目指す」のはなぜか、これまでどうゆう過程を歩んできたのかを書いています。
『スポーツの夢の国をつくる』
は具体的にはどうゆう世界なのか?
『スポーツのワークとライフをつくる』は何を成し遂げたいのか?
『スポーツのインフラをつくる』は
何をどうしたらできるのか?
興味がなかったのにスポーツの会社をつくった
一応こちらに私の生い立ちと起業するまでのエピソードがまとまっています。起業前に3日間不眠不休で動き回って、脱糞するわ、気絶するわ、数百万の借金背負うわ、その後もめちゃくちゃな体験するわ、「死相出てるよ」って言われるわ、色々あった話です。
そんな経験はしたけど、性格なのか辛いとか苦しいとか思うこともなく、周囲に恵まれていたおかげでなんとかやっていけています。
実はスポーツ系のベンチャーの創業者に多い「スポーツの会社を創業の理由」に強い原体験みたいのがあるかといえば特にありません。
よく言う「プロを目指していた」かと聞かれれば、当時の日本のバスケはそんな状況じゃなかったし、まあ実業団でやろうかなって思ってたくらいで、怪我や病気でやめた訳でもなく、周りのレベルから挫折した訳でもなく、未練や周囲を見返してやろうという反骨心もありませんでした。
スポーツそのものに特に強い想いがある訳でもなく、スポーツが大好きというわけでもありませんでした。なんなら漫画やアニメのが好きで浪人中は一度も運動をせず、毎日アニメばっか見てました。
スポーツの会社を作ろうと思ったのは2015年のことでした。大学生の私は友人のプロバスケ選手のセカンドキャリアの何気ない一言から、起業を決意したわけですが、もともと起業そのものには全く興味もなく、何をするかも決まっていませんでした。
ただ友人が現役選手のうちに何かしたいし、スポーツの会社をやれば一緒にやれるのではないかと思ったのと、当時のメンターや周囲から「やるならスポーツ系がいいんじゃない」って言われたのが大きかったです。
ある程度、領域が決まった方が考えるのも楽だと思ったし、実際そこから何を掲げて、何を目指して、何をするのかを考えました。
正直何も思いつかなかったので1番ワクワクするものを目指そうと考えました。「スポーツの夢の国をつくりたい」誰もが思う総合型スポーツ施設、みんながスポーツに関われる社会、そんな世界観を目指そうぜ的な感じで始めました。
幸いなことに、私の当時のメンターから起業する上で、理念やビジョンの重要性、どんな価値を届けるのか、特にソーシャルビジョンとファイナンスビジョンが一致しないと実現できないぞ的なことを言われていました。なら1兆円の企業を目指せば自分たちのやりたいことに近づけるだろうそう考えました。
こうして「スポーツの夢に国をつくる」を掲げ、縁あって一緒に活動していた同い年で専門学校を卒業して独立し、フリーのトレーナーだった宮代を誘いAscendersを創業することになりました。
スポーツの夢の国をつくるぞ
会社をつくったけどプロダクトも何も決まってない。アイディアがあった訳でも、自信があったわけでもなく、何かできるから会社をつくったわけでもないのが事実です。
見返したい、社長になりたい、有名になりたい、お金を稼ぎたい、そんな意欲もありません。むしろそういった強い欲求がある方が成功するんだろうなとさえ思っていました。
コンプレックスもないし、強い原体験もない、プログラミングもできない。家庭環境に恵まれたし、スポーツも学歴も底辺スタートでしたが、環境のおかげで最終的にそこそこの位置までいけました。
起業しても上場したいとも思っていませんでしたし、資金調達も考えていませんでした。無欲な訳でもなく、自分たちが稼いだお金で自分たちの世界を作ろう!みたいなことを思っていた訳でもありません。
ただ、わかっていたことは自分たちには0から1億円つくる力も、1億円を集める力も、1億円を10億円にする力も現状なかったこと。学生の時から色々やっていたとはいえ、就職もしたことがないので社会経験もありませんでした。
当時の私はイベントで失敗して借金を背負い大変な時期を乗り越えたばかりの頃、宮代も互いに苦労しながらも、それぞれがコミュニティをつくったり、お金を稼いだり、夢を周囲に語りながら頑張っていました。
確かに努力をしていたと思いますが頑張っていただけでした。若い割に頑張ってる=やってる気になっていました。理想とはほど遠い現実と、何をどうしたら理想に近づけるのかすら見えてなかった状態でした。
夢を掲げてるだけのあまりにも無力な人間だということ、何もできないし、何も持っていない。それを自覚したうえで、目標から逆算し、自分たちがビジョンを実現するために必要なことをやっていかないと体力も気力も持たないし意味がないと考えていました。
「今の自分たちだけじゃ何もできない。仲間を集めよう。そして成長できる環境、例えば誰もが思う総合型スポーツ施設をつくるなら、そこで働く人が必要だ。ディズニーランドは何がすごいって、働く人たち企業カルチャーが素晴らしい。つまりカルチャーをつくって人を集めないと」
こうして新たにプロジェクトを立ち上げ、コミュニティをつくること、それ自体を事業として成長させることを決めました。学生時代のコミュニティ内のメンバーに声をかけメンバーを募りました。こうして最初には始めたのがWPPという事業であり、サービスであり、スポーツの専門職のコミュニティでした。
この事業は何もない私たちにとって最適なものだったと思っています。ある意味、仮想国づくりになっていたと思います。コミュニティが拡大すれば専門家の仲間も増え、やりたいことも増えるし、環境が充実すれば成長スピードも上がる、そしてカルチャーの成熟にもなります。
事業(サービス)内容は月額会費を支払うとコミュニティの中でスポーツの専門職の人材が成長する環境作りと学ぶ機会の提供が受けれます。最初は20代前半に必要な環境作りから入り、10年続けば30代、40代と年代別の環境構築を想定していました。実際に今では年齢層が上がってきています。
サービス内容はコミュニティの規模と需要によってアップデートする仕組みです。会費として得たお金でメンバーたちの成長環境をつくり、資金を運用し新しい収益につなげる事業です。
弱い奴らが群れている、宗教みたい、散々いろんなことを言われました。確かに未熟な部分は実際にありましたが、しかし理想の形を今すぐできるのか言えば、できないです。ただ理想を語り、リスクも背負わず、批判する人たちのいう通りの人生を歩んでもその人レベルで終わってしまいます。
何十年と批判したり理想を語るより、今自分たちが理想の何%に到達しているのか、どの課題解決に向き合い、何をやり続ければ「スポーツの夢の国」が実現できるんだということを理解することが重要だと考えていました。自分たちにとって小さな国づくりでした。
この時は、β版プロダクトをつくってエンジェルやVCにプレゼンして資金調達、一気にユーザー伸ばしてエグジットしよう!みたいなITベンチャー、スタートアップの世界から程遠い思考でした。
先ずは身の丈の経営をやっていくこと、会社が潰れても生きていけるスキルや経験を積もう、そして十分な仮説検証をしていくことで着実に成長していくプロセスが必要でした。
当然、当時は同時並行でコミュニティを拡大させる上で「スポーツの夢の国」の言語化をしていくことにしました。立ち上げてから1.2年立って少しづつ言語化することができました。
『スポーツの夢の国』
概念:スポーツに関われる社会をつくる
場:スポーツに関わる人たちが来たいと思う場所をつくる
体験:スポーツで自己実現できた人の数を増やす
ライフスタイル:スポーツを仕事にする
挑戦:スポーツ関連の事業を増やし働く人を増やす
重要:共通のカルチャー(コアバリュー)
夢の国実現に必要なことを洗い出し、確実に成し遂げるためにプロセスを戦略に落とし込む作業をしていきました。こうしていると気がついたことは、このままでは、このペースでは実現が不可能であるということでした。
冒頭で紹介したnoteの『スポーツの夢の国の創り方』にも書いたように、フロリダのIMGアカデミーやヨーロッパのサッカークラブに憧れたからつくりたいと思ったわけではありません。
自分の原体験としては、シリコンバレーでGoogleに、ラスベガスでZapposに行って「スポーツの夢の国」をイメージしたので、今のままスモールビジネスを何年続けても50年後に大したものはできないし、存続すらできないとさえ思っていました。
その後に世界の総合型スポーツ施設を見にいき、話を聞いてきましたが、その建設プロセスや背景、費用などを見ても決してハードルが高い話ではありませんでした。なのになぜ実現できていないか、日本にはなぜないのかを調査し、2年ほどでその答えは出ました。
そのなぜを解消しなければできないとわかる一方で、会社が理想を実現するためには急成長し、スタートアップ型にならねばダメだと思いました。0から1億円はできても1億を10億、1000億と増やしていくのはこのままのやり方では生きている間に実現できない。
会社が3期目に入り、スタートアップ型を目指すべく初めて資金調達に動きました。ここからは苦労の始まりでした。
いざITベンチャー、スタートアップの世界へ
スポーツの夢の国を目指すに当たって、会社を大きくしていかなければ、理想には近づけない。スタートアップこそ、最速で確実にビジョンを実現できる手段だと判断しました。そしてITを活用しなければ、成長は実現できないし、ITベンチャーになるかどうかではなく、活用できなければ終わるという認識を持っていました。
先ず資金調達するには理由と材料が必要だと考え、今までやってきたことを既存メンバーに任せながら、全く別軸でアイデアを出しあいサービス開発をはじめました。
今となっては反省なのですが当時はアイデアベース、十分な仮説検証も、市場の分析もせず、面白そうでサービスを考え、いきなりプロダクト作りをしてしまったことです。
スモールビジネスで黒字経営をしていた中で、初めての先行投資、ここで開発には大きな費用がかかることを痛感しました。先ずはデット(融資)で資金を調達して開発費用に当てました。学生時代から一緒にやっていてIT領域に知見のある2人を誘い、業務委託でデザイナーとエンジニアを探しアプリ開発をしました。
エンジニアもデザイナーも海外在住、プロジェクトメンバーの2人は外部で働きながら空いた時間にコミットしてもらう形でした。こうしてできたのが「Tryster」というサービスでした。
これは男女が観戦相手をアプリ上で探し、住んでるエリアから直近で開催されえる試合のチケットを買って誘うことができる、サービスです。好きな競技でコミュニティを選択し、相手を探したり、興味のある試合を検索して、その試合に興味がある異性を検索したりすることができます。
原体験はないわけではなかったです。観戦する相手を探す方法ってないし、特に異性を見つけるのは大変。この年はマッチングアプリが盛り上がっていたこともあり、これは自分たちも使いたいと思えたからこそ作っていました。
2020年の東京オリンピックで観戦相手がいないのは寂しいし、それまでに相手見つけたいよね、という心理から今からやって3年後にピークを持っていくんだという思惑でした。
プロダクトができたはいいものの、資金はなくなり、スケールするには、先行投資する体力がない。とは言えプロダクトもできたしコミュニティも成長しているのでいざ資金調達を試みました。
結果として数名の投資家からも「面白いね」とは言われました。小額での出資の話も数名から頂けました。
しかし、多くはこの男女のマッチングサービスがそもそもスポーツに絞る必要性もないし、この市場は間違いなく伸びる(実際のびた)けど広告費に億単位のお金を使う企業が出てきてる中で勝ち筋が見えないなど、当たり前の指摘を受けました。
そして、一番多く言われたのが「なぜこのサービスをやってるの?今までやってきたことやビジョンのが素晴らしいのに、なんか合ってなくない?」でした。
初めてのサービス作り、アプリ開発に夢中になり、苦労した結果、一番刺さったのがこの言葉でした。「あれ、これって本当にやりたいことなのか?」と自分に問いました。
「確かにスモールビジネスのままだと難しくて、別軸でレバレッジの効く事業をつくりたいのも分かるけど、ビジョンやこれまでの経験はすごく面白いのに勿体ない」と言ってくださった人たちがいました。のちに株主になってくださる人たちでした。
マッチングアプリを続けるか否かの決断に迫られた気がしました、融資のお金の半分以上の数百万を注ぎ込んで作ったサービスでしたが、ビジョン実現に最適なプロセスではないと判断し、「このアプリ(Tryster)辞める」とみんなに伝え、撤退を決めました。
全てが無駄だったわけではなく、サービスをやめると決断する前に、マッチングアプリ関連でエグジットされた方が最初のエンジェルとして出資していただき、そこからご縁も生まれました。
また、このスポーツのマッチングアプリを引っ提げIT界隈のイベントやピッチに出たことはとてもいい経験になりました。同時にIT界隈の人たちの繋がりやフィードバックをもらえたことがスポーツ界隈とは全くの別の世界の価値観と当たり前に触れたことができました。
この経験はこの先の事業を組み立てるきっかけになりました。そして資金調達の際に、エンジェル投資家やVCの方々言われたことは市場の捉え方、スタートアップになるために必要な視点で考えるようになりました。
試行錯誤の4年間
創業前からこれまでオフラインでもオンラインでも様々な取り組みをしました。
・イベント企画、大会運営、設営、グッズ制作、販売
・プロチームの試合の運営、設営、スポンサーセールス
・コミュニティ、オンラインサロンの立ち上げ
・リオ、平昌オリンピックでの活動(現地)
・アプリ開発(0→1)、Webサービス、キュレーションサービス
・選手マネジメント、スポンサー獲得、エージェント(代理人)
・セミナー、講演会、パネルデスカッションの登壇と主催
・国内研修、海外研修の実施
・メディア制作、受託、制作、DtoC、商品開発
オフラインでもオンラインでもスポーツでサービスを考えれば考えるほどスポーツである必要がないことに気づきます。自分たちが生きていくだけ、所謂スモールビジネスなら問題ないですが、起業家として市場に変革を与える、ビジョンを実現するためを考えると様々な課題がありました。
例えばサービスを切り取るのであれば、マッチングだったりEC、クラウドファンディング、SNSなどの機能をスポーツに特化する必要がないということです。市場は小さくなるし、特化するメリットがありません。以前作った「Tryster」のようなマッチングアプリも同様でした。
ビジネスをつくること自体が難しいわけではありません。マネタイズが難しい、稼げないとかではないので、スモールビジネスとしてはチャンスは沢山あります。しかし、スタートアップとしてスポーツでITサービスを考えることはとにかく大変だということです。
ユーザーにとっては、それらの機能に特化したサービスをスポーツ界でうまく活用した方がいいわけで、ITに限らす、他業界の企業においてスポーツは抑える市場の1領域にすぎないということです。スポーツっぽくスポーツの広義なマーケットをいかに獲得するかという意味です。
人材会社がスポーツ市場を取りにいくのか、スポーツの会社が人材事業をするのかという違いです。
4期目に入り、スポーツを仕事にするためには採用課題を解決しようと、スポーツの専門人材を増やしマッチングさせる事業やスポーツに関われる仕事の採用プラットフォーム「MERCI(メルシー)」をつくって運営していました。
こちらもサービス自体が悪いわけではないですし、情報をまとめて届けることは、あれば間違いなく便利だとは思いました。スポーツで働くも広義な意味で、多種多様なスポーツに関わる企業の紹介をしていました。
プロチームのフロントや現場スタッフ、選手のエージェント会社、商社(からのチームへの出向)スポーツトレーナーなど実際に採用が何件か決まったりもしました。定期的に仕事の依頼や人材の依頼もありました。
ミッションとしてもスポーツを仕事にできる事業でしたが、このサービスもスポーツに特化する必要もないし、市場サイズも当然ながら小さくなります。仮にこの市場を独占したとしても、いずれは縦割りして展開していく中で、目的や根本の解決に至っているかという疑問を再度投げかけることになります。
スポーツに絞る必要もなく、これで転職希望者(ユーザー)を集めて、スポーツに関係ない仕事に転職させたとして、お金になる。それがやりたいことなのか?人材会社ならそれでいいですが、弊社がそこに注力するのか否かを考えた時、優先度が低いのは明白でした。
「スポーツ×採用」の状況もわかってきた中で、やはりスポーツ市場を拡大しなければ、採用の母数も増えませんし、フリーランスや副業が増えてるこれからを考えると最適とも思えませんでした。 結局、出口や機会、情報提供としては引き続きネットワークをつくり続けますが、それを事業にすることは辞めました。
スポーツの専門人材のコミュニティ事業であるWPPは4年間で所属人数も少しづつ増えて、着実に伸びていました。コミュニティ内外を見ていてもスポーツに関わりたい人は沢山いました。
スポーツに関わる仕事をし続けることのハードルの高さ、理想的に関われてる人とそうでない人の違い、ボトルネックはなにか、再現性をどうやって出すか、市場を拡大するためには何をすべきなのか。
スポーツに関わることは決して「ハード・シングス」ではく、原因があり、全て理由があります、どうしたら解決できるのかを考え続けなければなりません。内的要因と外的要因の把握と解決。再現性のない根性や運だけでなんとかなる業界ではなく、より持続可能な仕組み作りが必要です。
スポーツを仕事にする、スポーツに理想的な関わり方ができるようになる。この体験をする人をできるだけ増やすことが私たちのミッションになります。最高のUX(ユーザー体験)はスポーツで自己実現することです。自己実現できた人の数をどれだけ増やすことができるかが「スポーツの夢の国」実現において重要な指標になります。
どうしたら自己実現できた人の数を増やせるのか?市場の拡大が必須なことは確かで100→200、50→300と既存の市場を大きくするのと、0→10と新しい市場を作ることです。既存の枠を取り合っている状態、もしくは分母が増えないでは当然、不可能です。
「スポーツで働く市場」は、まだまだニッチな市場かもしれないがこの市場こそスポーツ界全体の市場に影響を与える領域ではないかと思っています。このうえでどう市場を独占するのかが重要です。
「小さな市場で独占する」は、ニッチな市場に切り、かつ縦に独占することができる市場であるか否かにあります。大きな市場を狙う上での道としてのニッチな市場を独占するという戦略をしっかり持たないと単なるニッチなスモールビジネスで終わってしまいます。
スポーツで働くは多様です。広義に捉えれば現場からデスクワークまでありますし、特にビジネスというキーワードにするとBtoB、BtoC、CtoC様々あります。しかしニッチをやろうと思えば思うほど小さな市場です。
例えば、スポーツのスペシャリストを仮に集めたとして、派遣や業務委託契約だけでは市場はしれています。労働力不足の市場の規模やエンジニアのSES、クリエイティブやコンサルの単価と比較しても低すぎるのが現状です。母数でも単価でも同じことしてて規模の小さい版で終わってしまいます。
この点において私たち自身が感じている課題感であり、危機感でもあります。先で述べたように既存市場を伸ばし、新規事業をつくり、副業やフリーランスの仕事環境を最適化し、仕事を増やし続けることで産業を伸ばして行かなければいけません。
自分たちの挑むべきミッションと事業への熱
ビジョンをブラさず、ITサービスを考える上で、どうやったらレバレッジがきく事業になるのか。何年も思い悩む中で、会社のリソースは少しづつ増えてきたり、経験値はもちろん、これまで様々な仮説検証ができたこと非常に大きかったです。
スポーツに関わる仕事における課題をどこを解決するのか、誰の課題解決をするのか、それをどう広げていくかを考えてきました。
そして、スポーツというドメインで事業を考えるなら、医療、IT、金融にどう繋げていくかを考えるようになりました。単にスタートアップとしての考えではなく、医療、IT、金融、この3つ無くして、自分たちのやりたいことは実現できないと思ったからです。
自分たちのビジョンから最初に挑むべきは「スポーツ×身体の専門家の働く市場」だと思いました。スポーツ×身体の市場は「If you have a body, you are an athlete(体さえあれば、誰でもアスリートだ。)」というナイキの信念の通り、私たちにとっても非常に大きな市場となりうる領域です。
「スポーツ×身体の専門家」の部分から上記の3つの連想できるのは、医療で言えばトレーナーといった部分であり、金融に関して言えば保険がイメージつきやすいと思います。これらをITサービスだったり、業務をDXしたりが考えられます。
そして「スポーツで働く身体の専門家」の視点から考えられる課題は専門家たちの能力の可視化です。どのトレーナーが優れているのか、個々にどんな価値があるのか、どれでだけの変化を与えることができるのかを判断できるように可視化することでした。
そしてスポーツで働く身体の専門家の育成においても大きな課題と市場があると判断し、新たに育成事業としてAscenders Collegeを始めました。
事業内容についての詳しい内容は、続きのnote”How”で書いてるので是非読んで下さい。
人は目標や先がほんの少しでも”姿・形”が見えたときにこそ熱が湧いてくると私は思っています。タイプにもよると思いますが、ゴールが見えないのに走り出すランナーに私はなれませんでしたし、相手や優勝のない球技に打ち込むことはできません。
スポーツの夢の国を創るというワクワクしたイメージが、具体性に変わったとき、それはワクワクが熱になる瞬間だと思っています。この市場のシェアをとったら、こんなプロダクトを開発して世の中に浸透したら、この数字がこれだけ伸びたら、これができる、あれができる。この課題を解決できればこんな世界になる。
スポーツはお金の使い道に困らない世界だ。世界のスーパースターを何人も雇う、あるいは輩出しようと思ったら、毎年数百億かかる。スタジアム、アリーナを作るなら数百億かかる。その他にもお金をかけ続けることで理想の空間が作れる終わりなき挑戦ができる世界だと思っています。
多様な形で一生関わり続けれるこの世界に挑もうと決意した瞬間、事業への熱が湧いてきました。
動き出した国づくりへのプロセス
1. 国の創立を目指す正当な理由がある(他が国の正当性を認めている)
2. 国境を超える人、物、金の流れを管理する機能
3. 大規模に徴税し、支出する仕組み
4. 法律(ルール)を公布し、執行する能力
結局はこれを実現できなければ国をつくることができないわけです。これを株式会社として、サービスを通じて実現するにはどうしたらいいか?
仮にお金があるので夢の国(例えば施設)をつくったとして、求人サイトで働く人募集したとします。これで応募はくるかもしれないし、採用をしっかりやればいいわけです。でもそれが本当に理想的な国(施設)になるのでしょうか?
今現在、実現しない理由があり、それをしない理由もあるわけです。同じようなゴールを考えている人が沢山いて、ハード面や資金がある企業や人たちがなぜできないのか?それを考えればそこまでのプロセスと整備していかなければいけない環境と積み上げてきたカルチャーが必要だと思っています。
その上で、スタートアップとしての急成長とプロダクトやシステムを構築して国境を超えて使われるサービスにしていかなければいけません。
ではどうやるのか?これからどうするのか?続きはHow編で書いています。
ここまで読んで頂きありがとうございました。もし”How”気になったら是非とも続きを読んでみて下さい。