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自分との対話

おはようございます!
 
「言葉は、考えそのものだから大切にしよう」
そのように、仲間と声を掛け合ってきました。
 
(客観的)事実を言葉にしている時でも、
(客観的)事実に対する本人の(主観的)関心
を言葉は表しているという意味です。
 
新聞は客観的事実を表していますが、
その客観的事実を選別したのは、
編集者の主観です。
 
言葉はその人の考えそのものを
表しているのだから、
丁寧に扱おうということです。
 
さて、もう少し考えを進めてみると、
言葉になる前には、
感覚があると思っています。
 
スポーツをしていると、
チームプレーがうまくいって、
どんぴしゃりで点が取れることがあります。
その感覚は、まだ、言葉にできていません。
「あの感じ!あの感じ!」といって、
仲間同士でそのプレーの感覚を
たしかめあいます。
 
音楽や、舞踏などでも
そういう感覚はあるのではないでしょうか。
 
毎朝のこの文章を書くときにも
そういう感覚があります。
その日のことで、心の隅っこに
何か引っかかっていることがないかと、
丁寧に、灯りで暗闇を照らすように、
心の中を探っていきます。
何か引っかかったことがあったなあ。
なんだっけ?
あっ!あの時だと、
その引っかかりを拾いあげます。
それを見ながら、
なんで引っかかったのだろう?
と考えます。
 
ちょっとでも気持ちが
他のことに向いてしまうと、
ひっかかりそのものがなくなってしまい、
もう一度、
初めから探さなければならなくなります。
 
いくら思い出しても、
二度と見つからないこともあります。
そのように、小さく淡いものです。
 
このようなものに、
言葉をつけていくことになります。
考えと言葉を行ったり来たりします。
自分とのコミュニケーション、
すなわち、「沈黙」です。
 
ファクト&ロジックとともに、
この「沈黙」が大切だと思っています。
 
今日もよろしくお願いします。
 
安島

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