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niccorifuwafuwa
社会を二分する論点の扱い
おはようございます!
元首相の安倍さんの事件です。
安倍さんを支持してきた方の話も、
安倍さんを批判してきた方の話も伺いました。
私の印象は、
両方ともに、かなり熱狂的な意見というか
スタンス、態度であると感じました。
とても折り合いがつくような
印象は持てませんでした。
私はこのことに、
明確な意見があるのですが、
双方の熱狂的なスタンスの前に、
言葉を飲み込みました。
双方ともに理屈があり、
とても歩み寄る余白がなく、
議論を推し進めると、
神学論争のように
社会を二分してしまう気がしました。
社会に住む人は
ここから出て行くわけにはいかないので、
それは不幸なことです。
ですから、私は口をつぐむことになりました。
*
論点を明確にして決着をつけるのが
米英のやり方のようです。
日本では小泉さんがその手法をとりました。
経営コンサルタントも
右か左からという思考が好きです。
私も好きでした。
論点を隠さず詳らかに机の上に並べて、
万機公論に決すべしとばかりに、
やあやあとやるのです。
しかし、出入り自由の会社なら
それでもよいですが、
出て行くわけにもいかない土地では
不機嫌な隣人と共存して
いかなければなりません。
共同体の中では
決定的な対立はできるだけ
避けておきたいものです。
その論点は、
しばらくそのままに横に置くのです。そ
れが知恵というものでしょう。
万機公論に決すべしとした
五箇条の御誓文は、
脱亜入欧の明治時代のものでした。
今日もよろしくお願いします。
安島