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lazy_planet
自分で気づいたと思ってもらうために
おはようございます!
人は自分で気づいた、わかった!
とならない限り、行動は起こしません。
そこがマーケティングの奥の深いところです。
押しつけのストーリーはその意味で、
内容に関わらず失格です。
ほら、泣きなさい、泣けるでしょ、でしょ?
と言われたら泣けません。
泣いたとしても、食傷気味となる。
そっとおく。
自分で見つけたと思えるように
自然に置きたい。
*
長編小説を好む作家というのは
そういうことがわかっている人
なのではないかと想像します。
多少面倒でも、
序章があり、
気づきがあり、
えっと前のめりになり、
そうだったのかと
主人公に感情移入してもらう。
自然に気づいてもらうための、
これは自分のことではないか
と思ってもらうための仕掛けが
必要なのでしょう。
短編小説では、
いきなりメインディッシュなので
発見したという心持ちにはしてくれない。
手ごろではあるし、メッセージもクリアですが、
自分が見つけたという感覚は持ちにくい。
*
AISASという
マーケティングの概念があります。
電通の登録商標だったと思います。
Attention(注意)→
Interest(関心)→
Search(検索)→
Action(購買)→
Share(情報共有)
の頭文字を取ったものです。
はじめこの面倒くささに、
敬遠していました。
ただ、冒頭に書いた、
自ら見つけたと思ってもらうために、
必要な長編小説のようなものだと考えると、
別な見え方がしてきます。
今日もよろしくお願いします。
安島