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明日のために、なのですが...

おはようございます!
 
年末年始最後の日、机に向かっています。
 
明日からの仕事で
良いスタートを切るために、
準備しているのです。
 
真面目だなと自分を思いつつ、
やりたくないと思っている自分もいます。
 
しかし、やらないと、
一日中、ときには寝てからも
悶々とした時間を過ごすことになるので、
やるわけです。
 
この性格はいまさら
変えられないでしょう。
 

 
そのような時に思い出すのが
最近書いている
「いま、ここ、わたし」
です。
 
幼児性を表す後ろ向きの言葉ですが、
時には、前向きな意味でも使われます。
 
座禅や瞑想では大切にされています。
 
頭でっかちになり、
先のこと、他所でのこと、他人のことを
気にしすぎても仕方がないとのことです。
 
また、
養老孟子さんは子供が亡くならなくなり、
子供の扱いが変わってしまったとします。
 
昔は、結核などで
子供は日常的に亡くなったので、
生きているうちは、
好きなように遊ばせてあげよう、
精一杯生きてほしいと
今を大切にしていました。
 
しかし、
医療の発達で亡くならなくなると、
立派な大人になるためには、
今、こうしておかなければならないと、
子供の時間が将来への投資として
使われるようになってしまったと嘆きます。
 

 
一方で、先ほど報道番組を見ましたが、
先のこと、他所でのこと、他人のこと
のオンパレードでした。
 
こうしたことに
私たちは目を向けなければならない
と警告していました。
 
「いま、ここ、わたし」を思い出し、
ニヤッとしてしまいました。
 

 
とどのつまり
「さき、よそ、たにん」の大人の世界と
「いま、ここ、わたし」の子供の世界と
バランスが大切なのでしょう。
 
もう少しいうと、
やじろべいの両端の重さを調整するのか
やじろべいの支点を調整するのか
に意識的でありたい。
 
今日もよろしくお願いします。
 
安島

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