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142857tatsuta
明日のために、なのですが...
おはようございます!
年末年始最後の日、机に向かっています。
明日からの仕事で
良いスタートを切るために、
準備しているのです。
真面目だなと自分を思いつつ、
やりたくないと思っている自分もいます。
しかし、やらないと、
一日中、ときには寝てからも
悶々とした時間を過ごすことになるので、
やるわけです。
この性格はいまさら
変えられないでしょう。
*
そのような時に思い出すのが
最近書いている
「いま、ここ、わたし」
です。
幼児性を表す後ろ向きの言葉ですが、
時には、前向きな意味でも使われます。
座禅や瞑想では大切にされています。
頭でっかちになり、
先のこと、他所でのこと、他人のことを
気にしすぎても仕方がないとのことです。
また、
養老孟子さんは子供が亡くならなくなり、
子供の扱いが変わってしまったとします。
昔は、結核などで
子供は日常的に亡くなったので、
生きているうちは、
好きなように遊ばせてあげよう、
精一杯生きてほしいと
今を大切にしていました。
しかし、
医療の発達で亡くならなくなると、
立派な大人になるためには、
今、こうしておかなければならないと、
子供の時間が将来への投資として
使われるようになってしまったと嘆きます。
*
一方で、先ほど報道番組を見ましたが、
先のこと、他所でのこと、他人のこと
のオンパレードでした。
こうしたことに
私たちは目を向けなければならない
と警告していました。
「いま、ここ、わたし」を思い出し、
ニヤッとしてしまいました。
*
とどのつまり
「さき、よそ、たにん」の大人の世界と
「いま、ここ、わたし」の子供の世界と
バランスが大切なのでしょう。
もう少しいうと、
やじろべいの両端の重さを調整するのか
やじろべいの支点を調整するのか
に意識的でありたい。
今日もよろしくお願いします。
安島