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大学生が起業するまでのストーリー

Hola Muchachos!!

みなさんこんにちは、たかとです。

今回は僕が生まれてから、大学在学中に月収77万円達成するまでのストーリーをお話しさせていただきます。

僕の過去話を通じて、あなたに特に伝えたいことは

”人生一度きりだから本気で生きましょう”

です。

目標に対してどれだけ本気なのか、どれだけ困難があってもできるか。

時間の大切さだったり、分かっているつもりで分かってないことは意外と多いです。

あなたに小さな気づきがあればいいなと。

誰もが後悔しない人生を歩んで欲しいと、本気で思っています。

それでは少し長くなりますが、僕の過去話にお付き合いください!

ペルーから日本に亡命

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日本ではあまり馴染みがないかも知れませんが、僕の生まれた環境を正直に話します。

僕が生まれたのは南米のペルー。家族は両親と兄が2人いて、全員ペルー国籍です。

父はペルーでコーラ製造業の経営事業を営んでいて、会社の年商は約5〜7億円。年収自体は2億円クラスの社長でした。

地域にお金も出していて、学校やスポーツ団体に寄付なども多くしていたようです。

例えば、サッカーチームなのにユニフォーム、靴、ボールを買うお金がないみたいなことが、ペルーでは日常茶飯事でした。

そんな時にお金を出せるのが僕の父で、本当にすごい人でした。

しかし結果、そのペルーを離れて家族全員で日本に亡命することになります。

僕が生まれた時期、ペルーでは内戦。武力紛争が頻発していて、テロリストと警察が銃撃戦をするような事態が続いていました。

夜中寝ていると、いきなり響く銃声。家族全員でベッドの下に隠れて怯える夜。

父は一人そんな中、入り口で見張りをしていました。

屋根をドコドコとテロリストが渡り歩く音も聞こえてきます。

ペルーで事業を成功していた父だけれども、家族の命が危ない。

父が下した選択は、事業を捨てて日本に亡命することでした。

幸い僕の母方のおじいさん。僕のひいお爺さんが完全に日本人だったので、日本の永住権を獲得することができました。

そうして僕たち家族は日本での生活をスタート。両親は自動車系の工場員として働き、静岡で暮らすことになります。

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幼かった僕は幼稚園、小学校と通う事になるのですが、特に辛かったのがやはり言語です。

学校では日本語を使って、家ではスペイン語を話す。という環境で、どっちも中途半端だったんですよね。

小学校では自分の言いたい事をうまく表現出来ず、からかわれる。そして先生に怒られたりと、なかなか苦い経験もしました。

中学校は暴力が正義

中学校に入る頃、流石に日本語は問題なくなってきました。

ただ、見た目は完全に外国人だという事で、周りから陰湿なイジメを受けるようになります。

ちなみに小学校や中学校は、ほとんど法律が通用しません。

暴力が正義になってしまう、実は大人社会よりずっと厳しいものなのです。

僕はクラスのガキ大将のような存在に目をつけられ、イジメにあうようになりました。

ガキ大将を敵に回すと、そのクラス全員の男子は敵のようなものです。

ホラ話を捏造され、嘘つきと広められたり。

知らない間にあだ名(青木とか適当な)をつけられて、「青木ってマジキモいよな〜」みたいなやり取りを大声でされたり。

僕に向かってその”青木”の悪口を直接言ってくることもありました。

しかし僕は、嫌なことは嫌というタイプでした。

父からの教えで「嫌な事を無理にする必要はない。誰かの奴隷にならなくていい」と言われていたので、自分の意思はちゃんと出そうという信念がありました。

しかし、法律の通用しない中学生社会では暴力が正義です。

「何だこいつ、生意気な奴め」

と、いじめはエスカレートしてしまいました。

他人を変えることは出来ません。でも自分を変えることは出来ます。

僕は当時「体を鍛えればいじめられないんじゃないか?」と考えました。

背も小さく体もヒョロヒョロだった僕は、自分を変えるために筋トレを日課にしました。

この筋トレの日課が、僕の人生での小さな成功体験へと繋がります。

高校から物販で月32万円稼ぐ

高校に入ると、さっぱりいじめには合わなくなりました。

やはり印象というのは強力なんだなと思います。筋トレの日課は続き、体が鍛えられると甘くみられません。

中学の時にいじめてた人も、僕の体格を見て手のひらを返したような態度になっていきました。

他人を変えることは出来ないけど、自分を変えることは出来る。

基本的に自信のない僕でしたが、少しだけ自分に自信を持つことができました。

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ちなみに、他人を見返そうと始めた筋トレは、今では純粋に好きになって趣味になっています(笑)

僕の入った高校は偏差値35のおバカ高校で、不良校のような感じです。

自由な校風で勉強も特に興味がなかったので、アルバイトを始めました。アウトレットモールのNIKEで接客業です。

このNIKEで、僕は初めて物販ビジネスに出会いました。

NIKEの店舗とメルカリを使って物販を始めたんですよね。店長からの許可もありです。

ノウハウなどのやり方は独学で行なっていました。この物販が上手くいって、高校生でありながら平均で月利27万円。最高で32万円稼いでいました。

これがビジネスでの初めての成功体験です。

ちなみに、何故物販ビジネスをしようという発想になったのか。これは、僕の家族が起業一家だったからだと思います。

父が元年収2億の経営者だったこともあり、親や兄弟との会話もビジネスやお金のことが多かったんですよね。

「金持ち父さん貧乏父さん」(お金の回し方を学べる書籍)は10歳の頃には読んでいて、お金は使うことでしか増えないことも知っていたし、娯楽といえばキャッシュフローゲーム(ビジネスとお金が学べるボードゲーム)を家族で遊んでいました。

さらに僕が高校の頃には、10歳離れた長男はFX。次男はサッカーチームを運営していました。

そんなビジネスに触れることが多い環境だったからこそ、常に僕は頭の中がビジネスで一杯でした。

不動産物件とかみながら「これなら利回りいくらで・・・」みたいなことを考えながら過ごしてたんですよね。

NIKEのアウトレット店舗で仕入れて、物販で利益を得る。この発想も早い段階で気づくことができました。

ビジネスは順調。卒業も間近になり、進学の時期になりました。

僕はその時、スポーツトレーナーへの憧れがありました。サッカーチームや野球チームにいる、選手の体調や身体を管理する人です。

怪我を直すためには柔道整復師という資格が必要です。

そのため、僕は千葉の了徳寺大学に進学することにしました。

地元の静岡の大学でも取れたのですが、新しい環境に出会いたいと思い千葉の大学を選択。

僕は実家を離れ、千葉に引っ越すことになりました。

独学の限界

僕はビジネスにおいて、”独学で出来た”という自信がありました。

千葉に行っても同じように物販をやろうとして、アウトレットモール仕入れメルカリ販売。

しかし、全く同じようには出来ませんでした。

商品が違っていたり、NIKE以外の商品は扱ってなかったこともあったので、利益の出る商品や売れる商品が全然わからなかったのです。

さらに交通費もかかるので、完全に赤字でした。

何故静岡のNIKEの時はうまくいったのか?

それは、その静岡のNIKEの店が日本一売れる店。もともとの仕入れの目利きが優れているからだったんですよね。

要するに、運よく僕は稼げていたわけです。

物販は2ヶ月で挫折。でも何かビジネスはやろうと思って、副業を探していました。

そこで出会ったのがバイナリーオプションでした。

バイナリーオプションとは、トレーダー同士のお金の掛け合いで、完全にギャンブルに近いものです。

ある日YouTubeでサーフィンしていると、ある女性がトレードの配信をしていて、15分で10万円とか稼いでたんですよね。

「そんなに短い時間で利益が出るのか!」と、とにかく衝撃的を受けます。

僕はその女性の投稿している動画を全て見て取り組みました。

動画の中で何本か、”商材を販売しています”と書いていました。

当然気になって、「どんなのだろう?」と興味を持ってリンクに飛ぶと、最後に6万円と書いてある。

「6万円かぁ。ちょっと高いな」

僕はこの6万円は高いと感じてしまい、無料の動画だけでなんとかしようとしました。

自分なりのルールを作って、ノートに記録しながら熱心に取り組みました。このノートは2冊溜まっていて、今も残っています。

そして半年続けた結果………マイナス-22万円でした。

気がついたらアイフルから10万円借金もしてました。

半年やったのにそれだけマイナスで、僕のモチベーションはどん底です。

ずっと落ち込んでいて、家から出ない日が続いていました。

1週間後、僕は父に電話しました。そして、今までの経緯を相談。

ここで僕は大きな学びを得ることが出来ました。

「独学はやめた方がいい」

そう父親に言われました。バイナリーの商材6万円を渋ったことに対して強く指摘されました。

どんなことにせよ、無料で学ぶことはよくない。遠回りだと。

そしてもう一つ大切なこと。

”事業には必ずお金と時間の投資が必要”

これについて強く言われました。

独学だったら、初期投資がない代わりに時間がかかる。お金を払って人から学んだら、お金はかかるけど早い時間で学べる。

それを聞いたのが20歳の時です。父は続けて

「若いうちは時間の貴重さが理解できないから、時間の大切さを知れたらかなり大きいよ」

そう僕に教えてくれました。

この話を聞いてから、考え方や価値観が大事だ。つまりマインドが大切ということを思い知りました。

Iさんとの出会いから情報発信へ

父の話を聞いてからはノウハウだけではない。お金持ちのマインドが知りたくて、ひたすらYouTubeで動画を見ていました。

スティーブ・ジョブズだったり、ウォーレンバフェットだったり。

他にもマインドの系の動画を見ようと、”お金 知識”、”お金 思考”などでYouTubeサーフィンを続けました。

再生回数の多いものはあまり興味がありませんでした。たくさんの人が見て知っている事は価値がない。少数派でいようと。

その時、Iさんという今も一緒にビジネスパートナーとなっている恩人と出会いました。

Iさんは動画で、”学び方”について発信していて、僕の甘い部分の図星をついていました。

「無料でやっていませんか?」と、まさに当時の自分そのままです。

僕は直感的に「この人だ!」と思い連絡をします。

通話をしていると、Iさんは物販スクールを運営しているとのこと。

そして僕は最初から「情報発信がやりたいです!」と訴えました。

今まで店舗せどりはやってきたけれども、ネット内のビジネスは未経験。自分の知らない世界。挑戦してみたいと思ったからです。

Iさんに「そんなに簡単じゃないよ」と忠告されつつも、僕は自分を信じて物販の情報発信の道へと進みました。

そして、物販の情報発信を始めてから半年が経ちました。

半年経ってもビジネス収入はずっと0円。

なので、続けていたゴールドジムのバイト代で生活していました。今思えばこれが大きな間違いです。

事業には時間の投資が必要と教わったばかりでしたが、今の生活のため事業以外に時間をたくさん使ってしまっていました。

情報発信。新しい事業に取り組むには、長い時間の投資が必要なのは当然です。

「今大事なビジネスに一点集中するべきだ」

2019年11月。ゴールドジムのバイトをやめ、無収入の状態で情報発信に取り組みました。

貧乏生活の先にあるもの

人間は追い込まれると、なんとかしようと頭を働かせます。逆に、追い込まれないといつまでも楽をしてしまう生き物です。

無収入になった結果、新しい時間が出来て情報発信に避ける時間も増えました。

けれども、11月、12月、1月とビジネス収入はほぼありません。情報発信は、結果が出るのが遅いビジネスモデルなのです。

この時に自分はお金。特に1月が本当にヤバくて、生活はかなり工夫をしました。

エアコンを付けずに、服を重ね着をする。靴下を二枚履いたり(笑)

ポップコーンでお腹を膨らませたり、業務スーパーの安いラーメンで凌いだり…

口座残高が500円になったこともありました。ATMって、1000円単位からしか下ろせないんですよね。

なので家にあった気まぐれで貯めてた貯金箱を突っついて、500円かき集めたり。それでポップコーン買うみたいな。

そんな生活を経て、2020年2月からは10万円ほどビジネス収入が上がるようになりました。

その後も3、4、5月は15〜20万円。6月になって33万円が月収となりました。

ここで初めて、大学生のアルバイトでは達成が難しい金額にたどり着き、生活も少し楽になります。

そして、ひたむきに作業量をこなした結果、8月に月収77万円を達成することが出来ました。

ゴールドジムのアルバイトをやめて、ギリギリの生活を乗り越えた先でようやくたどり着けた77万円です。

ビジネスに一点集中する。時間の投資が大切だということを身を以て知った瞬間でした。

就職だけが全てじゃない

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人生が幸せかどうかは、職業や収入によって決まりません。

本人が幸せと思えば、幸せです。サラリーマンであっても、ホームレスであっても。

僕の場合、就職してしまっては夢が叶わないので就活は捨てました。

自分で事業をしていった方が楽しいと思ったからです。お金も稼いだ方が幸せになると思ったからです。

大学生は本当にチャンスがたくさんあります。時間もたくさんあります。

何かに縛られる必要もないし、夢や目標はいつ変えてもいいはずです。

僕もスポーツトレーナーになるのが目標で大学に行ったけれども、今は大学の学士を楽しみにしている母親のために大学に通っています。

みなさんには目標が何かありますか?

家族を幸せにしたい。旅行にたくさん行きたいなどなど。

ちなみに”お金を稼ぎたい”は目標にはなりません。お金を得た後
に成し遂げたいことが本当の目標です。お金を稼ぐ事は必要ですが、手段です。

目標があれば、あとは何にも縛られず突き進むだけです。

どんなことでもやり続ければ必ず結果は出ます。

僕も失敗ばかりで辛いと考えていた時期があったけれども、今思えば100年生きるうちのたった数ヶ月の話です。

本気で何かに取り組んだ後にある人生は本当に楽しいですよ。

あなたも必ず、後悔のない前向きな人生を歩んでください。

”人生一度きりだから本気で生きましょう”

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!






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