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男はつらいよ。(#ならの日報2)
ある会議で感じた違和感。それが、男性性(=男性世界におけるいわゆるマッチョさ)を誇示する雰囲気だ。
会議の目的は「組織の目標達成のための意思決定をすること」だ。決して、自らを承認するために自身の存在価値を証明しようとする場ではない。これは発言することで会議の中でバリューを出すという話とは別だ。
だからこそ、「自らの男性性を誇示したい」という無意識レベルの意思を感じ取った際には、変なモヤっと感を感じる。
そんな変なモヤっと感を言語化すべく、「そもそもこの現象って何なんだろう・・・?」と思いAIに相談してみた。すると、どうやらこの「男性性の誇示=マッチョさ」のことを、世の中的には「マッチョイムズ」と言うらしい。例えばこんなもののようだ。
<マッチョイムズの例>
・弱みを見せてはダメ
・コミットメントの欠如は許しがたい
・強く自己主張をしなければならない
・野心的でたくましくなければならない
・強く自信に満ちた自分でないといけない
・他者との勝負で優位に立って負けてはいけない
・目標に向かって邁進する自分でなければならない
これらに共通しているのは、「~ねばならない」という感覚に囚われていることだ。つまり、「WANT」ではなく「MUST」が行動原理になっているイメージ。
僕なりにこの裏側でどんなことが作用しているのかを考えてみたら、おそらく「できていない人と比較して、MUST(~ねばならない)を実行している自分であることで、”自信”を形成している」ということなのではないかなと思った。言い換えるならば、「自分のモノサシ」ではなく、「世間のモノサシ」に合わせて自らを生きているという状態だ。
もしかするとこれも幸せの一つのカタチかもしれないが、結局はどこまでいっても他者との比較になるし、他者との比較においては必ず「上には上がいる」ので、永遠に終わらずに消耗し続けるレースをしているような感じになってしまう。何よりも本人は「WANT」でやっていると思っていても、無意識的には「MUST」でやっているので、ずっと満たされず、たぶん辛いのだろうなと思ったりする。こんな生き方は自分はあんまりしたくないなぁと感じた。
・・・と、いろいろ書いている中で思ったのが、自分もこれ無意識にやっている可能性あるなぁ~ということ(笑)むしろ、「自分は違う」と思ってる人ほど、実は無意識の自分を見て見ぬふりをしようとしているだけなのかもしれないなと。
肩で風を切りながら歩くことや、ズバッと意思決定することで"自信がある自分"を演出している無意識の自分も、もしかするといるのかもしれない。
自分自身がマッチョイズムに偏って生きたくはないと思っているからこそ、他人の中に自分を見てしまうとモヤっするのかもしれない。そう考えると、そもそも世間の尺度を使わないと自分の自信を形成できないほど、今の自分はまだまだ中身の薄っぺらい人間なんだなと思ったりもしたり。
いろいろ考えたが、めちゃくちゃ雑にまとめると、僕だけでなく、DNA的に男という生き物は古来からマッチョイズムで生きたい潜在意識を持った生き物なのかもしれないなとも思ったり(笑)そういう意味では、常に矛盾を抱えながら生きるのが男という生き物なのかもしれないですね。嗚呼、男はつらいよ・・・。
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そう考えると、男はつらいけど、その本能・DNAに抗おうとするのでなく、受け入れて生きていく道があってもいいんだろうなと思います。マッチョイムズの自分も、そうでない側の自分も、どちらも自分で、どちらもも素敵♪ そんな風なスタンスもありだなと!
まとめます!男はつらいけど、そんな自分も素敵だと受け入れて愛し、そのうえで組織の目標に向かってフォーカス(集中)をしていく!これを体現していきましょう。さぁ、今週も一週間駆け抜けていきます!!!やります!!!
それでは、また次の景色で!See you next time!