今年のNO.1”反省させると犯罪者になります”を読んで、医者も犯罪者もメンタリティは根っこでは同じだなと思った

おそらく今年NO.1の本である。”反省させると犯罪者になります”だ。


この本の趣旨をいうと

「誰かが悪いことをもしやってしまったのなら、ゴメンナサイとか反省しろと言う前に、まずはちゃんと相手のイイワケを聞いてあげる事が大切であり」

「そうやって一通り相手がイイワケを言い尽くす事に成功したら、やっと反省できるフェーズが始まるのだ」

というものだ。

この本が凄いのは、冒頭から筆者による事故時の心理告白が始まる点にある。


心理士であり大学教員でもある筆者が、自動車事故を引き起こした際、頭の中にハチャメチャにイイワケが充満し、それらを吐き出し尽くした後になって、ようやく反省のフェーズが始まるという心理状態の解説には、誰もが共感せざるをえまい。


僕は昔から「イイワケをするな!」とドヤされて育ち、かつ医者になってからも


「ゴメンナサイじゃなくて、じゃあ次にどうするのかが大事だろ!これ以上事故を拡大させないように動けない奴は、医者として半人前だ!!!」


と聞かされて育って来た事もあって、他人が何かをやらかした際に謝罪されると


「いや、謝罪とかどうでもいいから、改善策を述べてくれない?」


と淡々と処理してしまうクセのようなものがあり、他人のイイワケを聞くのがあまり好きではなかった。


じゃあそういう自分が実際にどうやってミスした後のイイワケを処理していたのかを考えると、実はランニングの時に過去のミスを何度も何度も繰り返し後悔し、イイワケを下手すると半年以上もやり続け、それを飽きるまでやり尽くすというのがデフォルトであった。


個人的には、こんな感じでイイワケは自分自身で処理するものであり、他人に処理を手伝わせるのは申し訳がないし、かつ他人もそうやって自分で処理するのが社会人として当然の行いだと思っていた所がある。


イイワケは心の整理に必須なのかもしれない

しかし最近は、イイワケにもかなりメリットがあるのではないかと認識を改めている。

もう何度も書いているのだが、僕はこの4月に転職先を2週間でクビになるという、超芸当をやってのけている。

その時にカウンセリングをうけたのだが、いま思うとこのカウンセリングが、冒頭に書いた壮大なイイワケとして機能したように思う。


たまたまなのかもしれないが、僕がうけたカウンセリングは、とにかく僕に言葉を吐き出させるようなタイプのカウンセリングであった。


カウンセラーさんは特に何かの啓蒙や自分の考えを押し付けるといった事を行わず、とにかく自分自身で自分に対して認知行動療法を行う的なものを促すスタンスであった。


この時に僕は自分自身の思考のクセのようなものを幼少期から振り返って再考し、そして自分が意外とかなり頑固な性格を持っていて、かつそれが幼い頃の親や友達からの影響を無意識のうちにかなり受けているという事に気がつく事に成功した。


”反省させると犯罪者になります”でも、重罪人に対して筆者がカウンセリングを行い、そこで犯罪者の行動原理が意外と両親から負わされた心の傷のようなものがキッカケで、それを補填する為に犯罪行為に無意識のうちにつきすすんでいる様子が描かれている。


犯罪者自身がカウンセリングの導きにより、それに気が付き、架空の親に向かって毒を吐きまくる事を促された後、急に著者の前で自分の犯した罪に対して「反省」し始める様子をみるのは圧巻である。


昔はフロイトとかの幼少期からの抑圧みたいなのを僕も馬鹿にしていたけど、実際に自分自身で難しい体験をした事により、意外と人間というのは子供の頃に受けた心の傷から、色々と影響を受けているのだなと思うようになった。


ぶっちゃけ、医者も犯罪者もあまり変わらない

この本を読んで心底痛感した事の一つに「医者も犯罪者も根っこの所ではメンタリティにそう変化はない」という事がある。


これはどういう事か?

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