医者、カウンセリングに行く。その5(終了)
続き(この記事で終わりです)
究極的にはカウンセリングというのは、認知行動療法だと思う。
認知行動療法を僕なりに表現すると、自分自身の行動や思考に焦点をあて、その特性を把握し、上手に運用できるようにする事だ。
多くの人が自分自身を「だいたいこんな奴」と把握する事はできているとは思う。けど、それだけでは社会と上手く付き合っていくには不十分だ。
例えばIQが200の人がいたとしよう。彼は自他ともに”頭がいい”という認識を持てているかもしれないが、だからといって、それで心地よく生活を営めるというわけではない。
結局のところ、自分自身がどういう所で上手にやれるのか、あるいはどういう所で駄目になるのかは、実際に社会で生活を営んでみないとわからない。
みなさんも最初の第一印象と実際に触れてみてのイメージが食い違うという経験が何度かあるとは思うけど、結局のところ何が合うか合わないかは、社会でリアルにそれに触れるまでは、本当の意味では理解する事ができない。
だから30代ぐらいになって、改めて自分自身の人生を振り返ってみて、自分がどういう場所で上手くやれて、どういう場所で駄目になるのかを深く深く掘り下げていく事は、思っている以上に学びがある。
この自分自身を深く掘り下げるという工程は、やってみればわかるけど意外と簡単な事ではない。話を傾聴しつつ、適切な場面で質問あるいは質疑を重ね、自分自身の深いルーツに降りていく行為は、ロープで深い井戸の底を目指す感覚に近い。
適切な手引でもって井戸の奥底に降りつつ、そこで見えた暗い景色をキチンと正視して向き合う行為は、とてもストレスフルである。自分の嫌な場所をえぐっていく行為には、他責性のような逃げが無い。
こういうシンドい行為を、人生がうまくいかなかったというシンドいタイミングでやるのは、ハッキリ言って簡単な事ではない。
けど、タイミング的には、そういう時が一番都合はいいのである。
では僕の話に戻ろう。
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