出来ない事も実は才能である

今日はこのツィに関連して、自分が大学生時代にやった合気道の話でもしようかと思う。

僕は大学生時代に合気道をやっていた。


キッカケは塩田剛三という身長157cmと小柄ながらも、2mぐらいの巨人をバッタバッタなぎ倒していた老人をみてビビっときたからである。youtubeに山のように動画が転がっているので、一度はみる事をオススメする。こんなん、憧れない方が無理ってもんである。



まあ、もちろんというかこれは達人しかできない曲芸であり、実際にこれをやっている人は大学なんかには当然いなかったのだが。


話を本筋に戻すと、当時は自分を含めて2名が大学の合気道部に所属する事となった。


そのもう1人だがとんでもなく頭がいい奴で、いわゆる教科書を1回読むと難しい理論だろうがサッと理解し、かつ物覚えも異常にいい奴だった。


当然というか、こいつは合気道の技の覚えもよく、基本の型などをやらせると1回でだいたい形を覚えてしまう有り様であった。


かたや僕の方はというと、これがまあ頭が悪いもんで、大学の成績は下から数えた方が早く、そもそも受験もクソ真面目に勉強してて2回も浪人するという、まあダメダメな人間であった。当然というか、合気道の技もサッパリおぼえられない。


よくよく思い出してみると、そういえば昔から何かを新しく覚えるのが非常に苦手で、なんで他人はこうもサッとすぐに色々なものができるのかがサッパリ理解できなかった。


「ああ、いいなぁ。頭がいい奴は」


こうやって、いったい何回自分の頭の悪さを呪った事だろうか。大学卒業まではこんな感じで、自分のポンコツな脳みそがあまり好きにはなれなかったように思う。


しかしここからが非常に面白いのだが、この片割れの人間は、表面上の型を模倣するのは物凄い上手いのだが、それを運用するセンスのようなものが絶望的に欠けていた。


どんなスポーツでもそうなのだが、人の動きには上手い下手がある。このもう一人に単純に合気道のセンスが無いといえばそれまでなのかもしれないが、なんていうかどうも見ていて上手いなぁと思う動きが、こいつは出来ていなかった。


一方で自分は、本当に物覚えが悪いのだが、不思議な事に型をやると人を魅せられるセンスのようなものはあったように思う。


また、応用センスのようなものもあり、「この技とこの技は本質的には同じ事だ」という事や「この技はこうやってやると、もっと上手く決まる」というものを見つけ出すのが、とても上手かった。


この当時は単純に、相手方にはセンスがなく、自分はたまたま合気道の才能があるぐらいにしか思っていなかったのだが、いま思うとこれは合気道に限った話ではないように思う。どういう事か?それは…

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