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2024年総集編 前進と発展の一年、良かった記事ベスト3

目標を書いたり、今の反省の気持ちを書いたり、考え方や精神論に沿った話や、世間の話題に触れた話など様々なことをエッセイ風にブログ風に今年も書いてきました。

2024年は全部で24記事。

全てを振り返ることはしませんが、自分の中でのベスト3の記事に触れてたいと思います。


ひとつめは

今年初めに書いた「2024年スタート」

ここでは一年の抱負を語りました。

今年は我武者羅に頑張ってみようと思ってます。
なので今年の抱負は、
「邁進」
です。
慎みながら我武者羅に走ります。
何事もやり過ぎは良くないからこそコントロールする。
無鉄砲に走らず、しっかり見極めて精進します。

今日までを振り返ると正直なところ、この時決意したような我武者羅な気持ちは足りなかったように感じてます。頑張っていたようにも思いますが、昨年12月ころに痛めたテニス肘は今年の1月には両肘がテニス肘という怪我に苦しみ身動きが取れなくなってしまい治るのに10月くらいまで掛かりました。
我武者羅な気持ちを抑え込まれたような感じもして、これは考え方を変えたほうがいいと思い、我武者羅から懸命に堅実に前へ進めて行くという解釈に変えました。それがとてもいい方向へ向かわせてくれたきっかけにもなったので意固地にならず柔軟に判断できた自分に感謝したいです。

そして最後2行にある
「何事もやり過ぎは良くないからこそコントロールする。
無鉄砲に走らず、しっかり見極めて精進します」
ということは常に意識して過ごせたように思います。
この数年で僕の中で育った「慎む」はメンタルコントロールの中枢の役割までになり、様々な判断機会に助けられています。
大切にしてきたその意識が上記の2行の対応力にも繋がりました。

今年の抱負だった「邁進」は気持ちの支えになり、一年前の自分に比べたら紆余曲折はあったものの前に進んでこれたように感じています。

来年の抱負は今は考えても無いし、今年同様に言葉に導かれると思うので次回の年明け最初の記事でお伝えします。



ふたつめは、

4月30日に更新した「自分に言い聞かす」です。

どんな物事も目先のことで捉えず、人生として捉えるようにしています。
経験上目先で捉えて良いことなんてひとつもなく、寧ろドマイナスに働きますね。
でも、分かっていても日々時間が螺旋で流れていくうちに目線が変わるもの。
そんな自分に気が付き、書いた記事です。
この記事はこれから自分が行き詰った時に心の助けになるような、読み直したい内容になっています。
タイトルにあるように、結局のところどんなことも解決させるのは自分ですからね。

この記事には書かなかったけど、現実的なことを言うとすればこんな思いもありました。

努力していてもその道は平坦ではない。
そしてその道は獣が出てくる危険な道かもしれない。
その道は知らない人間が石を投げてきたり嫌がらせすることもある。
その道は落とし穴があったり今にも崩れそうな緩い地盤かもしれない。
つまり、努力の道は何が起こるか分からないし自分の思い通りには事が進まないということ。
自分の中だけでも問題がたくさんあるのに、他人が邪魔してくることは当然ある。

そこに一々反応していたら埒が明かないし、そんな事を気にしていると感情的になり目線が近くなり目先に囚われやすくなる。そうすると本来向かいたい道を見失い迷いジレンマに陥り要らないストレスを浴び、当然ながら遠回りか逆戻りになってしまう。

そんな無駄な経験はいらないし時間の無駄。

でも人間だから、分かっていても全てがうまくいくことも無い。

そのために自分をコントロールできれば嫌なことから回避が出来、進みたい道に戻ることが出来る。

もしその道じゃなくても笑顔で日常が送れれば充実に繋がり、新しいチャンスを迎える準備にもなりますね。

「自分に言い聞かす」の記事の最後で書いた言葉が、自分がいつも大切にしている人生と樹木を重ねている比喩です。

季節的に初夏の今は、ついこの間まで葉が枯れ枝しかなかった裸の木々も緑が濃く青々としていてエネルギーに包まれている。
木々も周期があるように人間にも周期がある。
一抹の不安も無く元気いっぱいの時もあれば、不安や心配事で苦しい時期もある。
そんな周期に一々反応していては翻弄され人生が狂ってしまう。
強い根っこがあるから立派な枝葉や花が咲くように、時期を待ちしっかりと根っこを作り幹を伸ばしていくような人生にしていきたいですね。

来年はさらに努力していこうという気持ちでいますが、そこに不可抗力の試練も待っているだろうから、そもそも楽しむ心持で強い根っこを育てていきたいと思ってます。



最後のみっつめは、

「京都旅行後編」です。

「京都旅行前編」もあり、前編後編に渡っての京都旅行記事なのですが、なぜこれをチョイスしたのかというと「京都旅行後編」で行った高野山にあります。

京都旅行を計画した発端は高野山へお参りに行くためで、昨年空海生誕1250年という大イベントがありましたが残念ながら行けなかったので、今年の夏遂に高野山へ行くことができ、弘法大師空海が眠る奥之院の御廟前で手を合わすという念願が叶いました。

私は弘法大師空海を心より敬愛し、人生の師として心に置いています。

自分という人間はこれまでの人生で人を信じれず、人を頼らず、自分の力しか信じない勘違い大馬鹿野郎でした。
その為人付き合いが下手だとどの人にも言われ、生き方が下手でいろいろと勿体ないと言われ続けてきました。
当時の自分はその意味も良く分かりませんし、言いたい人は勝手に言ってろとワンワン!と吠え返すのが自分に出来る事。

そんなちっぽけな世界の自分はいよいよ限界が来ます。

そんなある日、神様に手を合わすことはした方が良いというアドバイスを貰い、神様も信じていないのに複雑な気持ちでしたが、神様を信じないならなぜ初詣に行くの?という単純な問いに大人気なかった精神の牙城が一気に崩され、きちんと向き合うことを始めました。
そこで子供の頃に行っていた川崎大師へお参りに行き、どこか居心地も良くこれならお参りが続けられそうだと御本尊様を調べると、真言宗開祖の弘法大師空海と知りました。
そこから色々調べてみると20代の頃に好きで読んでいた禅語集の本があったのですがそれが空海さんの言葉だったこともあり、運命的に感じ素直に向き合うようになっていきます。

向き合うと言っても仏像と向き合うわけではなく、弘法大師空海の思想や言葉と向き合うわけですが、そのすべては自分自身に向けられ自問自答の繰り返し。
馬鹿で色んなものから逃げてきた未熟な自分にとってサボってきた分のしわ寄せは想像を遥かに超える強烈な試練と修行となっていきます。
ここで逃げたら人生が本当の意味で台無しになってしまう最後のチャンス。そう自分に言い聞かせ、未来に向けた闘いが始まりました。
それが今から5年前の事。

いつから人生が変わってしまったのか。
いつ自分がダメになっていき情けない自分にしてしまったのか。
人生を狂わせ落ちこぼれにしたのは紛れもなく自分自身。


僕にとって空海さんはお釈迦様のような存在で、西遊記の悟空とお釈迦様のような関係に似ています。
自分を正して行けるようにいつもそばで見守っていて、、、
いや、見張られているのかな。

そんな例えもありますが、その選択に誤りが無いようどんな些細なことも選択として自分に問い、人生の道しるべとして空海さんの言葉を大切に過ごしていきました。

始めは辛抱する一方で何の変化も無く苦しみしかありませんでしたが、少しずつ自分が変わり始めていることに気が付きます。
特に判断の仕方に力みが減り、気持ち的に余裕も現れ穏やかになっていきました。

そして一つの目標が見つかります。
2020年頃、2023年に弘法大師空海生誕1250年の大イベントが高野山で行われることを知り、その年に高野山へ行って成長の感謝を直接伝え報告したいという目標が生まれるのです。

どれだけダメになっても、どれだけ成長しても、どんな結果になろうともそのすべてを報告する。
折角行くなら頑張ってどこまでも成長させていこうと決意しました。
ただ2023年は都合がつかず行けなかったのですが、今年の夏まで時間が伸びたことでさらに出来るところまで自分と向き合いました。

そして今年の夏その瞬間が訪れるのです。
約5年分の時間の感謝と成長の報告。
それはそれは感慨深い時間でした。

その為に頑張ってきたのですから。

5年分の時間で生まれた変化は説明しきれないほどありますが、中でも大きく得た事といえば、「心」と「先を読む力」

無鉄砲で身勝手だったあの頃の自分は今はもういない。
人ってやる気になればいつでも自分を変えられるんだ!!

この場で言い切れないことは過去のnote記事に記してきました。
かなり量も膨大になって来たので改めて読むのは大変ですが、もしお時間があれば、ぜひ読み直してみてください。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


2024年もお付き合いくださりありがとうございました。

チップ(元サポート)で応援してくださった皆さま、
心より感謝を申し上げます。ありがとうございました!!

良いお年をお迎えください。
来年もどうぞよろしくお願いします!



この記事が書けて満足の瑞穂氏。
一年お疲れ様でした。






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高杉 瑞穂 | 俳優
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