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卓球おじ達田(ほぼ80歳)をめぐる蝶たちのバトル〜Over 70s恋のから騒ぎ【第2話】

通い始めたホタルホールの卓球室で、私は2人の卓球女子と友だちになった。それがゆう子さんとすみ子さんであった。
私たち3人は同じ悩みや不満を抱えていた。卓球終わりにさ談話室でいろんな話をした。卓球男子で誰が上手いか?誰が親切か?1番のモテ男は誰か?とか。卓球女子の7割は負けん気がとんでもなく強く、発言もキツい。いっぽう私たち3人はどちらかというと腕も気も弱く、やられっぱなしのことが多い。ゆえにその日嫌だったことや嫌いな人の悪口を言い合ってスカッとしていたのだ。確か「枕草子」の270段にて清少納言も「人の悪口は楽しい」みたいなこと書いてたではないか

ある日、いつものように卓球後の女子トークをしていた時、ゆう子さんがすみ子さんと私を誘ってきた。清潔で安心できる達田という名の卓球おじさんに「山桜を見に行こう」と誘われたから一緒に行こうよ、と。ゆう子さんは達田さんと2人きりで行くのは気がとがめたからかもしれない。なぜなら彼は妻がいる人であった。私たち3人でならば問題ないし、楽しそうということになった。その旨、達田さんも快諾してくれた。

当日、るんるんの女子たちが達田さんの分のお弁当やおやつなども調達して、小型の車に乗せてもらったのだ。ところがその運転ぶりは穏やかな外見と年齢に反してまるで若者風に荒々しかった。カーブでさえスピードをゆるめなかった。私の心臓にはきつかった!
それでもなんとか無事、登山口に着いた。

車から降りた私たちはフーフー言いながら、山桜の下にたどり着いた。まだ八分咲きの清らかな花を見上げて嬉しかったことは覚えている。
達田さんはコーヒーをいれてくれた。4人の間に、和やかな至福の時間が流れた。この時の私たちは誰も想像していなかったのだ。このメンバーにドロドロの未来が待っていようとは。

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季節は変わり、次に4人で出かけたのは美しい蝶を観るためだった。その飛距離がはるか海さえ渡るということで話題になった、アサギマダラという蝶である。
4人はバス停から歩いてひと山越えた。先頭は山登りのリーダー達田さん、続いてすみ子さん、ゆう子さん、私の順番で歩いたが、だんだん間が開いていった。目的地に着いた時はもうヘトヘトだった。しかしその疲れも一瞬で吹っ飛んだ。眼下に青い海が広がり、あたり一面にうす紫の藤袴の花が咲いていたのだ。そっと近づく。いた、いた、いた! 憧れのアサギマダラ、羽を休めているのもいれば、ひらひら飛んでいるのもいる。奥に踏み込むほどに、その数は増えていった。夢の世界だった。なぜかその時、私はふっと「源氏物語」に思いを馳せた。

アサギマダラを堪能した後、休憩所の中でお弁当を食べ、コーヒーを飲んだ。達田さんを挟んでゆう子さんとすみ子さんが座り、私は達田さんの正面に座っていた。今にして思えば、いつになく達田さんの肌の色艶が良かった気がする。みな70歳を超えているとはいえ女子3人が彼1人を取り囲んでいたのだから。帰りも同じ距離を歩き、バスに乗ったらみんな睡魔におそわれてしまった。
4人の天国は、その時までだった。

しばらくたったある日の卓球からの帰り道、ゆう子さんが突然、私にこっそりこう告げた。
「もうすみ子さんとは距離をおきたいの。だから3人で話しして帰ることも、どこかに行くこともこれからはないから。ごめんなさい!」
理由を聞いても、ゆう子さんは何も答えてくれなかった。話しやすかったのに、楽しかったのに、そんなにあっさり友人関係を壊してしまうの……?
すみ子さんに尋ねても、「心当たりはない」と言っていた。なんとか修復したい私であったが、何も言わないゆう子さんをそっとしておくしかなかった。またいつか元の関係に戻れるかも知れないとも思っていた。

その後、すみ子さんは理由も言わず自分を避けるゆう子さんを許せず、彼女の後を追い、腕をつかんで「ちゃんと理由を言いなさい!」と迫ったりした。卓球場ですれ違いざまに何度も嫌味も言ったらしい。たまりかねたゆう子さんから「警察に届けようかとも思っているが」と私は相談された。しかし「それくらいでは警察は動かないだろうよ」と答えるしか私には術がなかった。

それからも当事者でない私には分からないことが次つぎに起きた。もともと達田さんに山桜見に誘われたのはゆう子さんであり、ゆう子さんがすみ子さんと私を誘って、4人で楽しい時を過ごしたのであった。それなのに、なぜゆう子さんはこの関係をやめたのか?2人の感性の違いからか?すみ子さんは思った事をズバッと言うところがあり、デリケートなゆう子さんは時どき傷ついていた。

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事態が本格的にドロドロしていくのはそこからだった。
ゆう子さんと私が知らない間に、達田さんとすみ子さんが、2人だけで何度も山に登るようになっていたのだ。すみ子さんが達田さんを独り占めにした、という感があった。ただしこの段階では、ゆう子さんはそのことをまだ知らなかった。私だけが、すみ子さんから打ち明けられたのだった。

しかし、すみ子さんはしだいに、達田さんとゆう子さんの仲を疑い始めた。
すみ子さんは「家政婦は見た!」の石崎秋子ばりに、卓球の帰りに偶然一緒になった達田さんとゆう子さんの会話の様子をうかがっていた。あるいは、すみ子さんはゆう子さんに対して、スマホのSMSで「~~~の私は達田さんと70回以上も山に登ったあなたは~~~」と、ついに自らの秘密を暴露するかたちで挑戦状を送りつけた。ところが受け取った側のゆう子さんは、「70回以上も山に登ったあなたは」というふうに文を区切って読んでしまい、「私はそんなに山に登ったことはない。」と首をかしげていた。つまり「〜〜〜の私は逹田さんと山に登った。あなたは〜〜〜」と句点を打っていれば相手に誤解を与えなかったはず。メールにおいても句読点を正しく使うことはとても大事である。

その後もすったもんだあり、すみ子さんとゆう子さんの不仲トラブルは人々の知るところとなった。この卓球室では、秘密はすぐに秘密でなくなる。2人きりでそんなに山登りしてたら怪しい関係にもなるだろう、すでに一線を超えているにちがいない……とひそひそ話している人がいて、それを耳にした別の人が「あら、でも達田さんって糖尿病らしいよ。知ってる?」とまたひそひそ。

それらは噂話にすぎないが、すみ子さんだけは「真実」を知っている。山から帰る車の中で、達田さんはすみ子さんに口づけをした。くちびるを許した時、彼のモノは「確かに立ったのよ」すみ子さんはそう私に報告した。それ以降達田さんはたびたび温泉に誘ってくるようになったが、彼女はその誘いを断り続けているという。そして拒めば拒むほど、達田さんへの疑念が膨らんでいくのだという。拒み続ける私の代わりに、達田さんは他の誰かを誘っているのではないか?もしかしたらその相手は、やっぱりゆう子さんではないか?だとすればそれが一番つらいし、許せないと。……恋愛とは、天国と地獄の表裏一体なのだろうか。不思議なものである。いや、そんなものなのだろう。恋が始まった瞬間から、すみ子さんの苦しみは始まった。すみ子さんはますます妄想に取り憑かれ、達田さんを問い詰め、喧嘩になったりもしている。

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それから数年経た今も、ゆう子さんとすみ子さんの関係は全く改善されていない。私や周りの人のアドバイスも、二人には届かない。
いっぽう達田さんはといえば卓球の達人としてもてはやされ、常に数人の卓球女子に囲まれて華やかにダブルスを楽しんでいる。そして彼が卓球場から帰っていくと、他の人とシングルスをやっていたすみ子さんも少しだけ時間をずらして姿が見えなくなる。

後期高齢の私たちの日々は、今日もあるがままに過ぎている。いとをかし!

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