2022年の抱負
2022年のカブ研究会最新作は、かなり下らないことこの上ない、ヘンタイたちが跋扈する映画になりそうだ。
さて、そんな映画に出演していただける俳優が果たしているのだろうか。
私のように知名度の無い自主映画監督が、「こんな作品に出演してほしいのですが……」と俳優に出演交渉し了承を得るにはかなりハードルが高い。「お金の為に出るんだ」と俳優が割り切れる程、潤沢な出演料を用意できるわけもない。
「仕事に飢えた若手俳優は沢山いるだろう」と思われるかもしれないが、彼らは「この作品が自分にとって得か否か」をきちんと見極めている。
得、とは、自身の経歴や演技の勉強の為にプラスになること、である。
そこへ私が欲望剥き出しの企画書なり脚本、つまり「ひたすら下らないことこの上なし」な代物を俳優に持っていって、「なんて素晴らしく下らない作品なんでしょう、出ます出ます」という返事を頂くのはかなり困難だ。
俳優がある程度の勝算を見込める企画書なり脚本を用意するしかない。
勝算が見込めるもの、とは、「これはヒットしそうだ」と思わせるものと、「実は下らないだけじゃなくて、こんなに素晴らしい人間ドラマ始め崇高なテーマが……」と武装されたものとの二つに絞られるだろう。両方達成出来れば、ついてくる俳優は間違いなく一定数出現する。
前者は、作品がヒットすることで俳優自身の知名度が上がり、将来的に仕事が増えるだろうという打算が成立するし、後者は、自分の選択は決して間違いではない、何故ならこの作品には素晴らしいテーマ云々が含まれているのだから、と安心させ納得させる力がある。
だが、これらを成立させるのはやはり困難だ。
前者は、何が映画をヒットさせるのか皆目検討もつかないという大問題があるし、後者については、私自身が、ひたすら下らない映画を作りたいと考えている、つまり余計な武装で身を固めず「純粋に下らない映画」を撮りたいと考えているから、実現不可能だ。
下らない映画に出る俳優などこの世にいない様に思われてきた。
しかし、ただ一つ、これを達成すれば交渉成立も夢ではないという手段がある。
「面白い」ということである。
どれだけ下らなくても、素晴らしい人間ドラマや崇高なテーマが無くても、しかし有無を言わせぬ面白さを持った企画と脚本があれば、俳優の心を揺り動かすことが出来るはずだ。
万人が面白いと思う脚本を作ることは難しいが、自分が胸を張って「面白い」と言える脚本は、信念があれば出来上がるはずだ